リタイアメント・オーストラリア

2017年11月7日、連邦準備銀行は月例理事会を開き、政策金利を1.50パーセントのままに据え置くことを決定しました。この決定により、2016年8月に現行利率に引き下げられた後、14回(15カ月間)連続して据え置かれていることになります。

両生空間
No.241

人間「エンタングルメント」(MOTEJIレポートNo.12)

両生 “META-MANGA” ストーリー <第18話>

MATSUよ、周囲も驚く順調な回復ぶりを見せているようでなによりだ。でもご免だが、俺の目論見はまだ終わっていないんだな。クモ膜下出血という手荒な手法だったが、MATSUには《META交信》を通じ、「両界体験」がどんなものかをもろに味わってもらった。でもな、俺にとってはまだ、し残したことがある。つまり、それがじいさんたちの「冥途の土産」話どころか、他の誰にとってもの今世のリアルな出来事でもあると言える、その理由でありその根拠なんだ。それも、科学的な。これまで、後回しにはしてきたんだが、いよいよそれを片付けなくてはならん。誰も車のメカなぞ知らなくても平気で運転できるように、その根拠なぞほっといても、俺にもMATUにも、むろん、何らの実用上の不都合はない。だが、ここへはいま一歩踏み込んでおいた方がよさそうだし、いかんせん、それなしじゃあまるで片手落ちでもある。それにMATSUだって、このままで収まっちまったら、この一連の体験は、馬鹿な失敗から生還できた「ラッキーじいさん」の話で片付けられてしまうんじゃないか。 詳細記事

両生空間
No.241

いくつもの文明を経てきた地球

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その59)

本章に述べられているさまざまの滅亡文明は、数万年以上も昔の、しかも証拠に乏しい伝承も参照にされていて、歴史的事実としての確証という意味では、一種の靄につつまれている。それほどに古い話であるのだが、人類の起源についての「欠いた環」にかかわるストーリーでもある。加えて、それだけの長さの地球の歴史となれば、長周期で起こる壊滅的な天変地異も関係し、平穏な時代の常識を越える事態も現実のものであったろう。だがそういう太古でも、今日の文明の技術を越える技術が使われていたと考えるしかない謎も残されているという。エジプトのピラミッドでさえ、その建造技術の全貌が解明されているわけではない。 詳細記事

両生空間
No.241

失われた大陸(その2)

〈訳読‐2b〉現代の「東西融合〈涅槃〉思想」(その24)

 

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【新版(Second Edition)に基づく】

 

 

失われた大陸(その2)

レムリアの衰退

多くのレムリア研究者は、その原初文明の最大の成果と言われているものは統治の科学であると言う。おそらく、私たちの遠い過去には、ひとつの共通言語とひとつの政府があっただけである。教育はその帝国の成功の基盤であり、すべての市民が宇宙の法則に精通し、職業や貿易について徹底的な訓練を受けたため、素晴らしい繁栄をもたらしていた。どの子供も21歳までの義務教育が受けられ、その修了者が市民学校への入学資格を得られた。この訓練期間は7年間続き、帝国市民になる可能性の最も早い年齢は28歳であった。地球は野生動物で満たされ、人口は今日と比べれば、ほんの一部に過ぎなかった。 詳細記事

両生空間
No.241

2015年末、オランダのデルフト工科大学の科学者らによって行われた実験は、ひとつの対象が他の離れた対象によって、いかなる物質的媒介もへずに作用を受けることを実現して見せた。この発見はある突飛な考え――一世紀前、アルバート・アインシュタインはそれを「馬鹿げた遠隔作用」と見下して拒絶した――を立証することとなった。量子理論では、この現象は「エンタングルメント」として知られ、今や多くの物理学者によって、量子理論が描くミクロ物理学の世界での最も深遠で重要な特徴と考えられている。量子エンタングルメントは、いかにも常識的直感に反する考え方で、物理現象のもっとも根幹となる人間の実体験に逆らうかのようである。毎日の(古典的)物理学の世界では、物体は何らかの物的接触を通じて互いに作用を及ぼし合う。つまり、テニスボールはラケットによって打ち出されて飛んでゆき、窓ガラスにぶつかってそれを壊すのである。 詳細記事

私共和国
No.175

 緊迫・感謝・喜びの34年目のスタート

 自己健康エコロジー=切迫編=その3

Day 1,280+26(10月22日〈日〉)

今週は、中途経過判断として、火曜に脳スキャン検査、そして金曜に医師と会ってその診断を聞く。先週一週間のリハビリ出勤の結果、もうほとんど以前の状態が回復してきた感じだが、ただ、体力という面では、まだおぼつかなさがある。

気が付けば季節は初夏、街のあちこちで、僕の“オーストラリア上陸記念”の花、ジャカランダが咲き始めている。桜で言えば三分咲きといったところだろうか。かくして、今月26日で、オーストラリア在住34年目が始まる。目下、なかなか緊迫感の伴うスタートとなっている。 詳細記事

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