リタイアメント・オーストラリア

前号で、昨年の平均日訪問者数が763人で、年末には800人に接近していると報じました。ところが下左表のように、今年一月の結果は、驚くことに800人台を飛び越え、910人に達したとの集計結果が得られました。 詳細記事

両生空間
No.247

再度、「米国連銀」のトリックについて

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その65)

前回でも書いたように、米国の連邦準備銀行制度は、アメリカの国家機関のひとつではありません。それどころか、アメリカという国家を操るまぎらわしい私的装置でもあります。このからくりを知ることは、ケネディー大統領がなぜ暗殺され、また、今日のアメリカがどうしてそこまで混乱しているのか、その理由をつかむ第一歩となります。 詳細記事

両生空間
No.247

秘密家族(その2)

〈訳読‐2b〉現代の「東西融合〈涅槃〉思想」(その30)

 

 == 本書の《もくじ》へ  「もくじ」の中の《本章》へ ==

 

秘密家族(その2)

 

 

J・P・モーガンという癌

J・P・モーガン〔1837-1913〕は、20世紀が始まるころ、ロスチャイルド家の客引き役だった。彼は主に、通貨切り下げや株式市場の崩壊といった危機の際、その調整を巧みに助けて、そこから利益を得た歴史を持っていた。1893年と1907年の二度の銀行パニックの際には、経済的安定の幻想工作を妨げる一方で、自社のために富を統合していった。J・P・モーガンはまた、彼の一味がタイタニック号上に爆弾を仕掛けたのではないかと嫌疑された。というのは、彼は、その処女航海に乗船し、連邦準備銀行の設立についてアメリカ最強の批判者と話し合うはずだったが、直前に乗船をキャンセルしたからだった。その有力な批評家は〔タイタニック号が沈没した〕1912年4月15日をもって沈黙することとなり、さらに翌年には連邦準備銀行が設立された。J・P・モーガンはまた、大恐慌から非常に恩恵を受けた。1929年に「暗黒の木曜日」が襲った時、彼は値下がりした株式を「経済を浮揚させる」ために買い上げた。こうして、人々が極度の辛苦に耐えている間に、J・P・モーガンは著しい財政的利益を得て歩み去ったのであった。 詳細記事

私共和国
No.181

 NZ南島、バンクス半島トレッキング

  自己健康エコロジー=切迫編=その9

Day 1,390 & 110(1月22日〈月〉

朝8時45分発のエミレーツ航空EK0412便でクライストチャーチへ。3時間の飛行で現地時間午後1時50分着。公共バスで市内へ。

街は、2011年2月22日の大地震からの復興はまだ半ばという感じで、真新しいビルと、ひびの入った無人のビルや更地にされた未復興の土地区画が入り混じっていて、生々しく痛々しい。

文字通りの象徴であるクライストチャーチ大聖堂は、その尖塔部分が崩れ落ち、まだ本格的復興は着手されておらず、鉄骨によって支えられ、かろうじての姿を保っている。立ち入り禁止の周辺は草が生い茂り、以前に訪れた際の記憶にある、おごそかな広場の雰囲気は全くない。

詳細記事

メッセージは承認制です。公開されるまでしばらくお待ちください。