今号の目次

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:コスモス

撮影場所:昭和記念公園

コメント:風の無き時もコスモスなりしかな 粟津松彩子

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今回、本稿で述べたいことは、「実験台としての生」という、私にとって「定石」とも言える、究極の立ち還り点です。

というのは、前回前々回と「架橋としての情報」と題した連続記事を足掛かりに、残り「四分の一」に臨むにあたって、見定めた境地を考えてきました。

そして、誰もがそうであるように、自分の意識は自分自身のものであると信じて疑わない自明の事実らしきものが、実は、なかなか怪しいものだったとの思いに端を発した末の、「意識」たるものへの、ある種の疑いです。

その怪しさを言い換えれば、時に「自己責任」などとレッテルを張られ、あらぬ因縁の侵入を許してしまう、その誰もの信じ込みが故のそうした見透かされやすさです。権力側にしてみれば、それは、いくらでも揺さぶれる、旨い汁の搾り処です。 詳細記事

本サイトに、「相互邂逅」と題した、私の言わば「半自伝」があります。

それは、私が十代半ば以来書き残してきた数十冊のノートを、還暦をきっかけに再読した体験にまつわる、自人生の振り返りの記録です。つまり、十数年前、私はその「半自伝」風の回想記を書きながら、その古きノートに全精魂を傾けて表わされている40年ほども昔の自分――もしその再読がなかったら、そのかつての自分は、おそらく記憶の中の遠いかなたに消えかかっていたでしょう――と、その本人がそのまま、今ここにそう息づいているかのように、まさにリアルに再会していたのでした。

こうして、一人の若き人格の生きざまをそう目の当たりにして、あたかも、時代を隔てた二人の自分同士が「邂逅」するかの、ありえないながら実際に起こった、感慨深い体験をそう書き留めていたのでした。

その「相互邂逅」が、最近、どちらかの読者によって、丹念に読まれているかのデータに接し、あらためて、その一連の記事を、再度、読み直す契機となりました。 詳細記事

8月の75歳の誕生日を契機に、自前の「四分の三プロジェクト」を携えて、私は、残る「四分の一」に臨み始めたところです。そしてこの来たる「四分の一」は、言うまでもなく、これまでの「四分の三」の集大成であり、自分としては、なんとか終局点らしきものへとまとめたいところです。

ところがその一方、今の地球上に見られる光景とは、熾烈化をとげる気象異変であり、コロナパンデミックであり、さらには、東アジアを主舞台とした対中冷戦状況――英米が豪を巻き込んで進める原潜増強構想(AUKUS)――の不気味な動き出しです。そういういかにもデストピアな地球が、私のこの総仕上げの舞台となることが避けられない。なんとも容易でないこの先が予見されます。

そこでもしそのデストピアが避けられないのであるならば、なおさら、その対極である「ユートピア地球」を構想したく、加えて、だからこそそれは、時代の要請にかなったものとなりうるに違いないと考えます。

有力な二重の架橋関係

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【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:コスモス

撮影場所:昭和記念公園

コメント:初秋や軽き病に買ひ薬 虚子

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こんなことを感じるのは私だけならよいのですが、とくに先に発表された「四分の三プロジェクト」に関し、その計画の実行の末に到達する世界とは、なにやら生命の息吹きや潤いとは対極の――あえて申せば“男発想的”な――、いかにも抽象的でドライな境地であるような気がしてなりません。

というのは、私も、国境がもたらす制約を脱して、広く世界に羽ばたきたいといった願望はありますし、すこしは実行もしてきている積りです。そうなのですが、だからと言って、旅先に骨を埋めるまで、永遠の旅を続けることはとても耐えられないだろうとの確信もあるからです。 詳細記事

私は、もとが土木系の出身のためか、境界があって分断されているところがあると、そこに橋を架けたらといった発想をする習性があります。

写真は熊本県の宇土半島と天草を結ぶ天門橋。1960年代半ば、学生だった私は、当時世界最長のこの連続トラス橋の架橋工事を、三角ノ瀬戸を渡るフェリーから感動気味に見上げていた。それから50年後の2015年時のこの写真では、同橋に平行して二本目の橋の工事が始まっているのがうかがえる。この新橋は2018年に天城橋として竣工した。(画像;YouTube, Satokichi)

そういう発想に従って注目することが、「情報」という、いまや世界を動かす最先端の代物です。

そこでは、その「情報」は何といってもIT分野の用語として理解されています。そうなのですが、近年、新たに注目を集めてきている遺伝子やDNAなどの分野が、これもその語を冠して情報生物学、さらにはバイオインフォマティクスなどと呼ばれています。

どう見ても同種には見えないこの二種の分野について、それらが「情報」という語で架橋しうるとするならば、それはなにがゆえなのでしょうか。

そこで今回は、その「情報」について、生物学の分野から迫ってみます。

ことに目下、世界を震撼させているコロナウイルスについて、それが病原菌という微生物ではなく、情報体、つまり、そう人間に悪さをして動き回る「情報信号」であるということに関わって、いまや、それに無頓着でいると、とんでもない見落としをしそうでもあるからです。 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:曼珠沙華

撮影場所:小石川植物園

コメント:曼珠沙華あつけらかんと道の端 漱石

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前回や前々回では、一見、“けなし見解”とも見られかねない私見を述べさせていただきました。それもこれも、アバター氏の最近の「四分の三プロジェクト」開始宣言に接し、いよいよ、氏が独自構築の世界に踏み出して行かれるのかと、その出立を、期待と感嘆をまじえて受け止めているがゆえのはなむけの積りです(異論をお持ちの方は、私に構わずご自論の投稿を)。

正直言ってこれまで、量子理論を取り上げるアバター氏のとみに科学専門的な着眼点が、なんとも私の理解のおよばぬ最大の難関でありました。しかもそれを、「牽強付会」と称して自己流のアレンジを施し、独特な味付けに工夫されています。

そうした難物が、先の「四分の三プロジェクト」計画について、『フィラース Philearth』における記事と絡めて説明されているのに接し、ある納得へのヒントを得た気がしています。

それを氏にならって私流に牽強付会して言い換えれば、「男原理への風穴」です。 詳細記事

私はすでに、「じいさん」と呼ばれて充分にふさわしい年齢に達しましたが、衰えたとはいえ、雌雄別上ではあいかわらずの雄です。そういう私が、ことに最近、社会でかまびすしい問題について、少々、考えさせられているところがあります。 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:アサガオ

撮影場所:上野

コメント:朝貌や惚れた女も二三日  漱石

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気象用語に、「瞬間最大風速」と「最大風速」という専門語があります。よく、台風予報のなかで用いられるのですが、たとえば、「台風△〇号の最大風速は40メートル/秒、瞬間最大風速は60メートル/秒」というものです。そしてその数値の定義は、最大風速は10分間ごとの平均風速のうちの最大のもの。瞬間最大風速は3秒間の風速の最大のものです。ですから、台風による風の最大の破壊力はこの瞬間値によって発生するわけで、それに耐える建物でなければ、たとえ瞬間の風であろうと、その一瞬に吹っ飛んでしまうということとなります。

なぜ、こんな専門語を持ち出すのかと言いますと、貴サイトの各記事は、起伏ある日々の中で、そのまれにしかやってこない、上の用語でいう「瞬間最大風速」にあたる瞬時の高エネルギーを使った見解とうかがえ、時に、実に明晰かつ切れの良い論述が拝見されます。おそらく、それらが書かれた時は、いくつかの条件が揃ったその瞬時の切り口をもって仕上げられた見解であるのでしょう。 詳細記事

前回、その副タイトルに「・老若共闘 ・バーチャルと非局地性は同義語 ・情報とは何か」をかかげ、その三本柱について説明しました。今回は、その三番目の柱「情報とは何か」について、いっそう踏み込んで考察します。

というのは、これまで、二本目の柱「バーチャルと非局地性は同義語」については、量子理論にからめて、いくつかの機会で議論してきたのですが、この「情報とは何か」については、さほどの機会を設けてはきませんでした。

そこでその議論に入りたいのですが、それには、二つの重要なアプローチがあります。ひとつは、その定義についてのもので、他は、実は私たち意識そのものが、身体というインフラに支えられた、その情報のもたらす産物であるという認識機能との関係です。 詳細記事

四分の三プロジェクト」については、身動きすら取れないこのコロナ状況下、むしろ、それをチャンスとして逆手取ります。そして、籠城に徹して内部固めを優先し、来たる開城の時に備えたいと思います。すなわち、副タイトルのように、「老若共闘」「バーチャルと非局地性は同義語」「情報とは何か」との三大課題への取り組みを柱に、その時のための準備作業として、当面、専念してゆきます。 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:ハス

撮影場所:上野不忍池

コメント:秋暑し五叉路を跨ぐ歩道橋  比田誠子

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前回に申し上げましたように、私は、貴サイトの作品群を「全体」として受け止める姿勢で読ませていただいております。

そこで思うのですが、普通、著述作品の書き手なら、その作品は、たとえば小説とか論考とかと、はじめからそれらしい作法にならうのが通例かと思われます。

それを、本サイトの場合、その「発行主」はそうした典型作法をとらず、なにやら、ぎこちなく変則的に――その型破りなところが面白いのですが――、独白から創作にいたる幾つかの部門をもうけ、まるで将棋の駒を打つように発表されています。

ただそれにより、あちこちに分散していて――大抵リンクされていますが――、その分量も並大抵ではなく、読者にとっては追跡に手間を要し、その全体像をつかみとるのはなかなか骨が折れます。 詳細記事

前回、この8月20日の75歳の誕生日を契機に始める《四分の三プロジェクト》を、早々と公表しました。そこに述べたことは、骨子ばかりの概略計画ですが、残すこの先の「四分の一」を導くべきマスタープランとなるはずの計画です。

といっても、時はいまやコロナ感染の真っただ中で、どんな急変が起こるか気を許せず、いわゆる予定や計画などを立ててみても画餅になりかねません。

そこで当面は、そのマスタープランへの肉付けの狙いも合わせ持った論述作業を優先し、その実行を図ってゆくつもりです。 詳細記事

  以下は、「縞栖理奈」と名乗られる読者からいただいた投稿です。当サイトでは、その縞栖さんのご希望にそい、『地球「愛」時代の夜明け』とのタイトルのもとに、今後5回にわたって掲載してゆく予定です。【発行人】  

 ◇  ◇  ◇  ◇

私の生業はともあれ、一個人の関心をもって、貴サイト『両生歩き』をたいへん興味深く拝読しております。ことに、貴サイトの多種多様な記事を、個々の記事としてより、むしろ作品群としてその全体像を受け止める気持ちで読ませていただいております。そこで、勝手ではありますが、そうした読書体験から得た感想を投稿という形でお送りし、お願いできますならば、いくつかの記事として掲載していただければと望んでおります。 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:ハス

撮影場所:上野不忍池

コメント:上野から見下ろす町のあつさ哉  子規

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8月20日の75歳の誕生日にはまだ一カ月ほどあり、“フライングスタート”なのですが、これを節目とする《四分の三プロジェクト》、略して《3QsP》、を開始しようと思います。人生を仮に100年として、その四分の三の地点に達したこの場より開始する新プロジェクトです。

今年5月の単独トレッキングにて。おにぎりをほうばって、エネルギー注入。

先に、連載記事「自分って何人」を終えるにあたり、その設問が、結局、自分の「国離れ」の有無を問うたものであったとの結論に至りました。

そして、その結論に伴い、この「国離れ」の意味することが、自分の人生体験の現場としての国内と国外の二重生活と、思考体験上のフォーマットとしての「科学」と「神秘主義」という二極への到達がゆえと見えてきたことがありました。

これをアイデンティティ(ID)との視角から言えば、私の75年の人生が、その前半における、「国」という《自然ID》の拠り所と、その後半における、人生行路が切り開いてきた《選択ID》の形成という、二重のIDの所産であったということです。

しかもそれが、75歳という《生命上の越界》にそこまで接近してきている時と、《思想上の越界》すなわち「科学から神秘主義への越界」が顧みられ始めている時にも同期しているとの、時間的一致=偶有性も働いていそうです。

加えて、この「科学から神秘主義への越界」が、たとえ「牽強付会」な解釈としてでも、量子理論という科学の最先端の領域で切り開かれているともなれば、残りの25年を飾るに光栄すぎる遭遇でさえあります。

さらには、私が1946年8月に平和に根差す戦後初の生命として誕生したことは、ヒロシマ・ナガサキを想起させる歳月からも四分の三世紀ということであり、これは「国離れ」とは逆に、日本のその慚愧(ざんき)この上もない歴史と、切っても切れない関わりを含むものでもあります。

このような多義かつ忘却もできない諸テーマをもって、この《四分の三プロジェクト、3QsP》への取り組みを始めます。 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:ハス

撮影場所:上野不忍池

コメント:梅雨明けや胸先過ぐるものの影  吉田鴻司 詳細記事

天皇の陰謀』の著者、故ディビッド・バーガミニが、新作『Chinas Imperial Conspiracy(皇帝の陰謀)』を、あの世から出版した。【English version 詳細記事

今回の本稿にのぞまれる読者は、その前に、松岡正剛が『千夜千冊』の1770夜(2021年4月30日)で取り上げているミシェル・セール著の「小枝とフォーマット」に目を通してからにしていただくと話が早いはずです。

これは、相変わらずの私の牽強付会ですが、そこで言われている「フォーマット」とは、どうやら私が言う「出生や国籍に伴う釘付け」という着想が、別のメタファー力を使って言えば、その「フォーマット」であったと置き換えうる、そうした同等性が指摘できるからです。 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:カシワバアジサイ

撮影場所:白山神社

コメント:立札のなき花ありて梅雨の園  田村泰次郎 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:アガパンサス

撮影場所:日比谷公園

コメント:樹も草も静かにて梅雨始まりぬ  日野草城

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「自分って何人」との問いに答えることをいかにも難しくさせている原点に、そういう自分はその意志とは無関係に、親という他者をもってこの世に登場させられたという論理上の理不尽があります。気が付いた時には、良きにつけ悪しきにつけ、その親にまつわる様々の現実に釘付けされて自分はそこにあるわけです。自分の意志が問われたことは一切なかったのに、その起点に戻ることさえ不可能である。論理上、これ以上の理不尽はないでしょう。したがって、「自分って何人」に答えるほとんどの事由は、この理不尽な原点に由来することとなります。 詳細記事

私は、オーストラリアに住んで、あと4カ月ほどで37年になります。時のたつのは早いものとは言いますが、オーストラリアに到着した日のことがつい最近のことだったように想い出されます。それに、私はいま74歳ですので、人生のぴったり半分づつを、日本とオーストラリアで暮らし分けたこととなります。

自分の生涯が、このように、生まれついた国と、自分で選んで住みついた国との二つの世界にまたがってしまうと、本シリーズのタイトルのように、まさに「自分って何人」との思いが切実になってきます。しかも、日豪各々37年づつのそのまさに均衡体験をもって、またがる両足への体重配分も、微妙な意味合いを含むようになってきています。 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:アジサイ

撮影場所:小石川後楽園

コメント:会社へは来るなと上司行けと妻  サラリーマン川柳 詳細記事

【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:バラ

撮影場所:都内北区

コメント:夕風や白薔薇の花皆動く  子規 詳細記事

かねてから狙っていたものの、決断に至らなかったこの計画でしたが、昨日、ついに決行し、無事、成功しました(5月15日記)。

シドニー南部の沿岸地帯に広がるロイヤル国立公園。その見どころは、何といっても、切り立った断崖絶壁をなして海に落ち込む、豪州大陸が造り出す壮観な地形美です。

断崖絶壁は、高いところでは100メートルを越える。

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【撮影 山本 哲朗】

名前:ポピー

撮影場所:都内北区

コメント:花芥子の開くや遅き散るや疾き 子規 詳細記事

国籍問題について、以前どこかで大坂なおみが、インタビュアーの「あなたのアイデンティティは?」との質問に、「私は私」と明快に答えていました。

国籍問題は、私の場合、自人生の内で、しかも中年になってようやく到達した自らの選択課題であったのですが、彼女のような場合では、自分の生まれそのものが二つ以上の国や世代にまたがっているケースであるわけですから、その自問自答の枠組みは、私の「選択問題」とは違って、それこそ親の時代に始まり、繰り返し問われてきた問題であったことでしょう。

あるいは、そうした「混血」――“ハーフ”あるいは“ダブル”と言うべきなのか――がもたらす事柄が際立って採り上げられ、インタビュー質問されること自体、「日本的」ともいうべき出来事なのでしょう。

前回に述べたように、「アイデンティティ」という語には、英語上――少なくとも私のオーストラリア体験の限り――、国籍問題をあたかも個人の日常の「心理問題」あるいは「法律的問題」に置き換える実務的側面があります。つまり、それほどに「ありふれた」問題であるわけです。 詳細記事

【撮影 山本 哲朗】

名前:青もみじ

撮影場所:小石川植物園

コメント:新緑の風にゆらるるおもひにて 飯田蛇笏 詳細記事

日本人って何なのだろうと、漠然とながら考えさせられ始めたのは、もう40年近くも昔、オーストラリアでの留学生生活に入った時でした。それは外国暮らしという、言うなれば重篤患者同然の生活が始ったがための副作用でした。そして、自分がそこにいるのは、日本を代表してとは言わずとも、少なくともその国名くらいは背負っているとすべき、そんないかにもしゃっちょこばった使命感にとらわれている自分を発見したからでした。そこでもちろん、そういう“いわれのない”ことを意識している自身に違和感すら感じたためでした。

だがそれも、その暮らしにだんだん慣れるに従い、そんな思い入れとも縁が切れるように、ひとまずそう自問自答することもしだいに薄れて行きました。

それが外国暮らしが長期化し、当初の留学目的以上の学位を修得し、加えて、永住権の獲得という“大余禄”にまで達した時、その「日本人って何」とか「自分のどこまでが日本人で、どこからが日本人でないのだろう」という問いがふたたび、強く意識にのぼってきたのでした。

このシリーズは、そうした自分の体験をもとに、通常、真剣に考えることのまれな、あるいは、さして考えもせずあたかも当然の話とされる、そうした国籍問題を皮切りに、自分にまつわる選択問題について語ってゆきます。 詳細記事

【撮影 山本 哲朗】

名前:チューリップ

撮影場所:都内北区

コメント:身の奥の鈴鳴りいづるさくらかな 黒田杏子 詳細記事

本サイト『両生歩き』は、2013年に現在のデザインへと改めた後、ほぼ毎日、ヒットログデータを蓄積してきました(その行為は超小規模ながらGAFAなどと同じですが、本サイトではビジネスを目的とはしたものではありません)。以下は、2014年末より現在までの7年半ほどの間のそのデータを分析した結果です。膨大なデータ量のため、分析に時間を要してきましたが、このたび、作業のおおむねを終えました。

では、何ゆえにそんな労力を要する作業を必要とするのか。それは、ネット社会を、より非拘束な《もうひとつの人生の場》と位置付ける者にとって、自己を展開する自分のサイトは、一種の自分のアバターです。それがゆえ、その自分の“影武者”がネット社会でどう活躍しえているのか、それを確認しないでは、そのねらいは完結しない――単に一人よがりに終わるならまだしも、へたをするとGAFAらの餌食とされかねない――と考えるからです。 詳細記事

今、オーストラリアの首都キャンベラは、政界に相次ぐレイプ疑惑で激震している。現国防大臣〔女性〕の職員が深夜まで勤務後、大臣オフィスで同僚にレイプされたとの告発に続き、現職の法務長官が33年前のレイプを訴えられていたが、昨年その被害者が自殺して疑惑自体は法律上、迷宮入りになろうとしている。被害者が苦渋の訴えを起こしても法の壁は冷たく厚い。日本でも塗炭の苦しみや弁護士の無私な献身をもって100年来の法律が改められている。 詳細記事

【撮影 山本 哲朗】

名前:落椿

撮影場所:小石川植物園

コメント:狐来てあそべるあとか落椿 水原秋桜子 詳細記事

量子理論が、世界のパラダイムを大きく変えてきていることは、本サイトでも新設別サイトでも繰り返し述べてきています。そうしたパラダイムの《量子化》は、科学に限らずそれを応用するテクノロジーの面でも、現代の変化の最先端を切り開いています。ただ、そうした《量子化》の奔流も、注目の的となっている実用面の一方、理論面では、まだまだ底深い未解明部をも伴っています。

写真はウィキペディアより

その未解明な課題の筆頭と言うべきものが、量子理論の「解釈問題」と言われているもの――アインシュタインはそれを「spooky(幽霊のようだ)」と呼んだ現象問題――です。現在時点で、それは二つの「解釈」としてその潮流を分けています。その二つとは、「コペンハーゲン解釈」と「エヴァレット解釈」で、後者は「多世界理論」とも呼ばれています。 詳細記事

【撮影 山本 哲朗】

名前:白椿

撮影場所:小石川植物園

コメント:秘色見る外は畠の白椿 松瀬青々

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「ねえ、知ってる?」3歳児のお母さんたちへ

ねえ、知ってる?

すみれ組(年中組)の前のサンデッキは、私たちちゅうりっぷ組(年少組)の部屋から見ると、飛行機に見えることを。

幼稚園には、ちゅうりっぷ組のほかに、うめ組、さくら組、すみれ組、たんぽこ組がある事を。(本当は、たんぽこではなく、たんぽぽ組です。)

ちゅうりっぷ組にだって、ひもでこまを回す名人がいることを。 詳細記事

8. Postscript

 

 

As I mentioned at the end of Introduction, ahead of publication of this book, I designed the cover by myself. This is why its appearance is amateurish. On this cover, one bird is about to fly out into the sky towards somewhere higher through the “window” which isn opened to the sky. 詳細記事

【撮影 山本 哲朗】

 

名前:紅梅

撮影場所:小石川植物園

コメント:この部屋に何用だっけ春の昼 渡辺善夫 詳細記事

          「おべんとう 4歳児」

お弁当の時間は、食べることも楽しいのですが、子どもたちとのおしゃべりにも花が咲きます。

「先生のお弁当箱は、どんなんか、見せて。」

 「先生のお弁当箱、いつもそれだね。」

 「それしかないの?」「昔のみたい!」

 「お弁当、先生が作ったの?」 詳細記事

 

7. To Integrated Oneness

 

 

The word “journey” in this book is, of course, a “journey” in which life is said to be a journey.

Therefore, it is a “struggle in order to live” that any person is doing as long as the person lives, whatsoever border is closed or air flights are restricted because of COVID-19.

And when we are struggling so, it does not mean that each element is considered separately like each item is described in this book chapter by chapter.

When I wrote this book, I dared to separate the whole into chapters using an analytical approach.

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《多様多彩》――「花との交信」は、投稿者のご都合でお休みとします。

【撮影 山本 哲朗】

名前:紅梅

撮影場所:小石川植物園

コメント: 大寒の埃の如く人死ぬる 虚子 詳細記事

6. Paradigm Change of Thought

 

 Japan as the number one in the world

When I was young, attractive foreign countries were those developed countries in Europe and the United States.

In other words, in the long history of the world, the West opened up the fore of world civilization, thus conquering the world, carrying out slaughter, piling up wealth from the world, winning wars, occupying the top of worldwide organizations, having led the world in both senses of good and bad. Because of that, they could claim to be the leaders of the world. 詳細記事

【撮影 山本 哲朗】

名前:初鯉

撮影場所:六義園

コメント: 松過ぎの又も光陰矢の如く 高浜虚子 詳細記事

5. Mental and Psychological Growth

 

 Origins of Japaneseness

I think the Japanese are a unique ancestral group. Moreover, I think that they are rare people in the world, so rich in benevolent spirit. It is not so difficult for Japanese to believe that everyone is the same human being.

The reason Japan has nurtured such characteristics is deeply related to that it is an island country. It is also because until the occupation by the United States in 1945, Japan was a very lucky country that had never been occupied or conquered by foreign enemies. 詳細記事

子どもたちは、ミミズ、ダンゴムシ、テントウムシ、モンシロチョウなどの虫や、カエルなどの小動物が大好きです。また、幼稚園が飼育しているウサギやオカメインコも、子どもたちが大好きな幼稚園の仲間です。 詳細記事

【ニューヨークタイムズ記事のAFR紙(31 December 2020付 )への転載】

心拍数を上げると、寿命は伸びるのだろうか?

その可能性が、運動と死亡率に関する新たな野心的な研究のメインテーマとなっている。この研究は、運動と死亡率のこれまでの最大かつ最も長期間の実験的研究で、運動する高齢の男女は、それがほぼどんな運動でも、早期に死亡する可能性を低めることを示している。

しかもその研究では、その運動の一部が激しい場合、早期死亡のリスクはさらに低下し、しかも人々の生活の質が高まることも明らかになった。 詳細記事

80歳代の医者で長距離サイクリストであるノーマン・ラザロ博士は、元気な高齢をおくるには3つの必須要素があると言う。 しかも、それは、かなり前より始められなければならないと。

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