地球「愛」時代の夜明け

(その1)「親」からの自立

投稿:縞栖 理奈

  以下は、「縞栖理奈」と名乗られる読者からいただいた投稿です。当サイトでは、その縞栖さんのご希望にそい、『地球「愛」時代の夜明け』とのタイトルのもとに、今後5回にわたって掲載してゆく予定です。【発行人】  

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私の生業はともあれ、一個人の関心をもって、貴サイト『両生歩き』をたいへん興味深く拝読しております。ことに、貴サイトの多種多様な記事を、個々の記事としてより、むしろ作品群としてその全体像を受け止める気持ちで読ませていただいております。そこで、勝手ではありますが、そうした読書体験から得た感想を投稿という形でお送りし、お願いできますならば、いくつかの記事として掲載していただければと望んでおります。

その初回として、以下を投稿いたします。

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最近、「宇宙旅行成功、視線は『超高速飛行』に NY―パリ 30分」との見出しの日経の記事(2021年7月12日付)が目に止まりました。

以下、その記事のさわり部分を引用します。

宇宙開発スタートアップの米ヴァージン・ギャ-クティックが11日、創業者のリチャード・ブランソン氏らを乗せた有人飛行に成功した。宇宙旅行ビジネスの始動へ前進したのに加え、宇宙空間に飛び出してから目的地に降りる「超高速飛行」への応用も見込まれる。企業による宇宙開発レースは地球での移動手段にも「革命」をもたらそうとしている。

 

地球と宇宙の現実感

実は、この記事を読んで即座に、貴サイトが「兄弟サイト」とも呼んで発行を始めた『フィラース Philearth』のHPヘッドに、「宇宙から見た回転する地球のシーン」が掲げられていることを思い出しました。

というのは、上記事の宇宙開発の事業主、リチャード・ブランソンも自ら、このシーンと同じように宇宙から地球を見たわけで、想像か実体験かの違いはあれ、どこか共通する発想を感じさせられたからです。

もちろん、両者が直接には全く異なった分野や意図に取り組んでいられることは重々承知しております。しかし、その両者に共通しているところがあります。それは、お二人とも、アプローチは異なりながら、人間の「移動」に主テーマを置かれていることです。

貴サイト『両生歩き』では、最近の記事に、発行者自身の「国離れ」の体験が述べられています。また、言うまでもなく、グローバル航空企業ヴァージンの創業者ブランソンは、世界をまたにかけた事業家です。その彼が、ビジネスの将来を構想してのこの宇宙開発レースで移動に革命を起こそうというのが、上の引用記事の趣旨です。

「地球が狭くなった」とは、言われ始めてもう久しいですが、上の記事のように、各大陸間の移動がわずか30分ほどで可能となる時代が、もう、空想上の話ではなくなってきているとの時代趨勢です。

 

ところでそのような超高速かつ超高額の旅行は、私自身にはさほど魅力的に思えず、ましてその願望もなければ必要もありません。ただ、自分の体験からしても、国境に縛られた人生が自分のものとは考えられません。自分の人生の範囲として、国境内という制約は耐えられないほどに息苦しいものです。ブランソン氏のように「革命的」ほどの時間節約の渇望はありませんが、国境を意識せず、制約から放たれる旅はしたいものです。

ところがそういう現在、新型コロナの大感染が世界をおびやかしています。そして、これまでの世界の常態が、一夜にして、大きく揺るがされるに至っています。言うまでもなく、東京オリンピックの一年延長や、観客なしでもあえて実施するという異様な開催もその一つです。そればかりか、私自身も含め、このコロナ禍により、海外旅行に突如、足止めがくわされ、世界に旅立つことを夢見ていた人生計画が大きく狂わされた人たちも続出しています。

何やら、これまでの国際化した地球が、そのウイルス感染ひとつで、何十年も昔へと、突如、タイムスリップさせられているかのごとくです。

これを歴史のアイロニーと見るかそれとも自然の脅威と見るか、視点はいろいろでしょうが、何やら、これまで突き進んできた国際化やグローバリズムは、そんな、何とも原初的な脆弱点を抱えたものであったのは確かなようです。

そこで言わせていただければ、これまでの国際化とは、インフルエンザもどきのウイルス感染ひとつで吹っ飛ばされてしまうほどに、“薄っぺらなもの”であったようです。

 

窮極の「親子」問題

そこで、そんな軽佻浮薄な国際化や物見遊山な外国旅行ではない、それこそ、いったん出発した以上、安易な戻り方はしない、少なくともその覚悟を踏まえてのぞむ、そういう「独り立ち」としての国際体験があると思います。

そういう点で、私は、貴サイトに繰り返し述べられている、「親離れ」が必要なように「国離れ」が必要とか、「自分って何人」といった論点に、大いに関心が引き付けられています。

あるいは、自分の胸元につっかえていた未消化なものが、そういう観点をもってすれば、なんとか飲み下せそうな気にもなっています。

例えば、貴サイトの『自‘遊’への旅』(英訳版『Fly High』)に述べられている内容に、接種が広げられている何種類かのコロナワクチンより、掛け値なしで、自身の可能性の拡大すらをもたらしうる、しかもはるかに安全で副作用なしの、ワクチン以上のワクチンを見出しています。

もちろん、そこに述べられていることは、ワクチンを打ちさえすればOKといった対症療法でも、あるいは、一般的なハウツー談義でもありません。

コロナウイルスが、何者かが造り出した人為的なものか、それとも、それは大自然の摂理なのか、いろんな議論は可能でしょう。しかし、それがいずれであったにせよ、その感染のもたらしている衝撃は、私自身も含め、真の「親離れ」に踏ん切れていない人たちをして、叱咤も、あるいは、激励もしているかのようです。

コロナ感染の真相があばかれる日がくるのかどうか、それはまず期待薄でしょうが、大自然は他方で、今年も、世界のほぼあらゆる地で、記録破りの降雨や高温の脅威を与えています。

こうして人類が背負いつつある難題は、二重にも三重にも、もう国ごとの対応などでは到底追いつけそうもない全地球的、あるいは末世的段階へと至ってきています。

そういうこの地球にあって、それを「親」――“毒親”と呼ぶか、それとも自らを“パラサイト息子/娘”と認めるか――として発生してきている人類は、ならば、地球を脱出して他の惑星に「新世界」を求めて移民して行くのか、あるいは、それでもかけがえのないその親と永遠の共生を図ってゆくのか、果たして、どのような姿の「親離れ」を目指すべきなのでしょうか。何やら、こじれ切った「親子騒動」に遭遇しているかのごとき人類です。

それを私はむしろ、貴兄弟サイトの「フィラース」のセンスを受け継ぎ、また、自分自身の両親への態度とも重ねて、『地球「愛」時代の夜明け』として受け止めようと思っております。

 

〔注記〕小見出し、リンクは当サイト発行人による。

 

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