前回、私にとっての村上春樹との出会いは、彼がランナーであるからだと述べました。

今回はまず初めに、その出会いのいきさつに触れておくと、私が最初に読んだ彼の作品は、『走ることについて語るときに僕の語ること』(文春文庫)というエッセイでした。それも、数年前に当地シドニーで、熱心なランナーである知人から、その英訳版を奨められたことが発端でした。

このエッセイによると、彼は、私のような生半可なランナーではありません。日本語によるこの原本が出版された2007年現在で、彼は24回もフルマラソンを完走しています。そして、原則としてフルマラソンを年に一回のペースで続けると言っているところからすると、現在では30回ほどにも達しているはずです。 詳細記事

その金曜日の夜11時、仕事が終わって家に帰るところだった。自宅のあるビルの横で、ホームレスがいるのを見つけた。顔が浅黒く、服も手足も汚ない。彼はなぜか空のペットボトルを片手に二本持ち、その場をウロウロしながら叫んだり独り言をつぶやいていた。ふと、何となく彼の顔に見憶えがあるような気がした。しかし、彼の行動が危険に思えたので遠目にタバコを吸いながら様子を見ていたが、どうにも目が悪くて顔がハッキリ見えない。まあ、いいかとそれ以上気にせず家に帰った。 詳細記事

本講座の第一回で、移動と固定にまつわる様々な二元論をあげ、様々な移動に伴う様々な両眼視野が世界認識の有力な方法となった体験を述べました。続く第二回では、「動か、不動か」という分岐を通じて、「移動」と「自由」という二つの姿勢が、同義とは言わなくとも、類義ではあることを発見しました。そして、共に同じ想念を志していながら、「移動」ではその実現方法上の、「自由」ではその概念上の選択に、それぞれが焦点を当てたものであることを見てきました。

そこで今回では、そうした移動体験主の立場自体を対象とし、その「自明性」そのものに移動を与えてみたらどうか、そうした想定に取組んでみたいと思います。 詳細記事

前回の本講座で、その「第三世紀」へのイントロして、移動と固定にまつわる様々な二元論をあげました。

この「動か、不動か」という分かれ目には、そう認識するしないに拘わらず、誰もが逃れようもなく関与することとなる、人の生き方の根本的な特徴を決定付けるものがあると思われます。

私も二十代前半、当時「世界無銭旅行」――今でいう「バックパッカー」旅行のはしり――と呼ばれていた若者世代間での一種の共通の憧れにさらされて、その分岐点に立たずんでいました。 詳細記事

これまで、この「両生学講座」は、第一期第二期第三期第四期、そして 《老いへの一歩》シリーズというように、合わせて5期にわたる発展をとげてきました。

この5期の変化には、2005年9月から2013年10月までの8年間の歳月を要しました。年齢で言えば、59歳から67歳までの8年間ということとなります。言うなれば、還暦を節目とした、「二周目人生」の初の産物です。

ただこうした産物を、単にそれを時期順に羅列するだけでは、その発展の内実をあまりよくはつかめません。

そこでこうした発展を、大ぐくりに分けてみますと、第一期は地理的「両生」、第二期から《老いへの一歩》まではそれに観念や想像を加えたメタ「両生」だったと言うことができます。

つまり、そうしたホップ、ステップをへて、それがジャンプとなるかどうかは未知数ですが、これから、第3歩目へと入ってゆこうとしているわけです。そこで題して、「新海域への船出」です。 詳細記事

先に、鯨の話(「憲法改正考(その5)再び孤立の道を歩むのか」参照)を書きながら考えていたことです・・・。
 あらためて言うまでもなく、鯨食に限らず、私たちが口にする物は、ひとつ残らず、他の生命の生み出したものです。
 はるかな
原始、人間は他の動物と同じように、生の大半を、狩りや収穫に費やしていました。むろん、時代が下がればさがるほど、野生のものを食することは少なくなって、耕作とか牧畜とかと、その自然まかせの食糧確保を人工化して効率・安定化し、だんだん、それぞれの産業へと変えてきました。
 そういう歴史的過程の中で、地上の食物はもはやほぼ完全に農業や牧畜業による産物となってきたわけです。であるなら、鯨とか魚とかの海洋産物も、すでにかなりの品種が養殖化されてきているように、かって地上でおこったように、いずれは海洋全体の生物品種も、その大半が “海” 農業や牧 “魚” 業の産物となってゆくのも、時間の問題でしょう。 詳細記事