ふつうの〈ファミリー〉にしてあげよう

話の居酒屋

第三十三話

今回の居酒屋談義は、居酒屋というよりスポーツバーでのこと。しかもテーマは、爆盛り上がりした米メジャーリーグの日本での開幕戦についてです。

 

A 俺って、たいした野球ファンではなかったはずなんだけど、この日本でのメジャーリーグ開幕戦では、いつの間にやら、もう、けっこうなファンになちゃってた。

B そう日本中が、この開幕戦でわきに沸いた。まるで、さえない経済も政治も吹っ飛んでしまったみたいに。

A 無理もないさ。今時の日本人のだれもが、これだけ一丸となって前向きにフィーバーできるなんて、もう、何十年もなかったからね。日本人スーパーヒーローたちの登場のお陰だね。

B これ程まで盛り上がる日本って、ほんのひと昔前まででは考えられなかったことだよ。だから、若い世代にとっては、初体験かもね。そこで、ひっくり返った現象として考えれば、それほどに、長く準備がされていたからだと思うね。

A ひっくり返った長準備って、どういうことだよ? そりゃ、米メジャーリーグ業界としては、周到な準備なしで日本開催なんてありえなかった。

 そのへんはもちろんなんだが、そういうアメリカ側の事情ではなく、“ひっくり返った”ところがミソなんだ。つまり、日本の側に長年にわたって蓄積されてきた潜在熱の高さあってのこと。地下にマグマがたまっていたからなんだよ。ひねって言えば、アメリカ側はただそれに便乗したってこと。

 そりゃそうさ。ドジャースもカブスも、もう、日本のプロ野球チームの一つみたいな感覚だよ、俺にしてみれば。

 そこなんだがね、その日米の垣根が無いも同然になったことがその新しさなんだよ。それでね、それを築いたのは誰だと思う? 日本の若い人たちの間じゃあ、生まれてこのかた、明るい未来なんて、遠くのよそ事だった。偏差値監獄につながれたような学校生活や、白けた親子関係や、“ブラック”だって自己責任にされかねない就職状況などなど、そんな薄暗さが蔓延した中で、誰もが、それこそ鳥肌が立つような、本気で燃える体験なんかしたことがなかった。その、おぼろげでも、求め、期待し続けてきた一つの筋道が、いま、こうして見え出しているからじゃないのかな。その暗闇からの脱出口が、いまやスポーツを通して、明解に開けられてきているということ。

 まあ、たしかに、スポーツは結果で勝負の世界だから、才能のある人たちがそれを生かして勝ちとって、活躍場所を獲得しだしてきているのは確か。

 でも、そういうのって、いまに始まった話じゃない。ところがいまやスポーツが、ある意味で、誰もの選択肢や射程に入ってきている。つまり、ただの趣味やサポートの域をこえて、誰もの自分の人生の、おそらく家族ぐるみの積み重ねもあって、そこに開ける可能性を発見し挑戦してきている。する側も見る側も一体になってね。そのあたりの打ち込み方のディープさの違いが、いまや日本のマグマとなって噴出してきている。スポーツ界を支える社会的な厚みが格段に変わってきている。 

 そうか、昔なら、いわゆる「いい会社」や「肩書」が、そうした目標や偉いことの代名詞で、誰もそうするしかなかった。それがいまでは、ほとんど風前のともしび同然になっている。

B そこでね、こうして火が付いた熱気は、これからだって、そうやすやすとは鎮火されないと思うんだ。だからそれを、一過性のブームとして燃え尽きさせないで、日本の独自で地道な特徴へと伸ばしてゆくべきだと思う。

A どんな風に?

B たとえば、こうして燃え上がっているのは、扱い方によっては、一種の群衆心理に尽きてしまいかねない。でも、その根は深いし、大なり小なり、誰にも自分事のようにおよんでいる。たとえば、日本のサポーターの行動って、そのマナーのよさでもう世界的に有名。それって、ただの群衆心理ではないよ。そうして、ただ応援に熱を上げるだけではない自分たちらしい行動を、いまのトップ選手へのフィーバーにも表すべきだと思うね。つまり、相手という人間あっての自分たちの熱気だということ。

A 大谷夫妻にも、もうすぐ、子供が生まれるしね。

B そうなんだよ。そうした大谷ファミリーにとって確かなこと、それは自分たち家族がメディアソースでも、ましてや見世物ではないこと。どの家族でもそうだと思うけど、内輪の事は、外からはただ静かに見守っていてほしいだけ。

A すでに、メディアが一線を越えた取材をして怒りをかって、締め出しを食らっている。

B メディアの水準も含めた社会全体として、こうして築かれつつある日本のスポーツ界の質とレベルを、ただの燃え上がりや視聴率稼ぎに終わらせず、もっと広く全社会の一種の資源として育て、ふところの深さへと組み立ててゆくべきだね。あちら側に便乗ばっかりさせていないで。

A イチローも、自分の達成とその経験を、次や次の次の世代の育成に生かそうと、リタイア後のライフワークにしているね。

B だからね、大谷にしても日本の人々に、「もう、僕らにあこがれるばかりでいるのは、やめにしましょうよ」って、願ってるかもよ。

 

Bookmark the permalink.