人生3周目は傘寿から

話の居酒屋

第三十六話

還暦までを1周目の人生とすると、その2周目は、暦の上では120歳までとなる。そこに3周目と言えば、120以上180までのこととなって、もう、あり得ないどころの話ではない。

よって、その2周目はひとまず20年そこそこで区切り、傘寿つまり80歳をもって、ここでいう3周目の始まりとするものである。言うなれば、数ではなく、内容をもって一回りとするものだ。

そんな傘寿かいわいの、居酒屋談義である。

その時、こんな不思議な形の雲が空に      .

 

A 「命じまい』背中合わせ論」読ませてもらったよ。その晩年を迎えつつある人が避けられない「健活」と「終活」の背中合わせの中で、「死角」にはまり込まないで、何をすべきかって話。

 

B でも結局は、ああやって、「収束振動」イメージとしてしかまとめられなかった。

 

C 常識的にはそうなっちゃうんだが、はたして、そうゆう迷宮って、どうしても入ってゆかなきゃならんのかね。そこで、乱暴に聞こえるかも知れないけど、「命じまい」も、収束もしないで、ガンガン前向きに行くって話はどうなんだろう。「人生100年」だろうと、何周目の人生だろうと、そんなのはカレンダー上のただの数字として。

 

B でもどうやってその「命じまい」を越えるんだろう。まるで、〈不滅の命〉って話にも、あるいは、孤高じいさんの極論にも聞こえるが。

 

C 一方で、生物としての人間である以上、まさか不滅ってことは絶対ない。だけど他方で、その命って自分の命なのに、なんで自分で、いつ「命じまい」を迎えるのかさえ決められないんだろう。先はないのに、いつ止めるかも決められず、ただずるずる成り行き任せでゆくしかない。それじゃあ、自分で決めれるのは自殺だけって話じゃないか。

 

B それもできないから、手の込んだ「装い」をしなくちゃならん。つまるところ、大なり小なり、自滅しかないってことかもね。そこに、そのどちらでもない第三の「しまい方」があるってことなのかな?

 

C そこでだが、それを自分の意識として捉えてみるんだよ。すると、意識とすれば、外から決められることなぞ、当然、良しとはしない。むろん、自殺なんかは論外だ。

 

A と言うことは、もともと意識は、身体とは別に、それを超えるところに根差してるってことなのかな

 

B それとも、温かく見守られて穏やかに、善きおじいちゃんとして旅立って行く自己イメージへの昏睡。

 

C そこなんだよ。いずれにせよ、そういう意識があるってことは、身体の存続の有無に拘わらず、それが、永続、不滅であることが前提とされているところに、生まれて来たってことなんじゃないかな。つまり、人間が意識をもったとは、三十数億年の生命進化の過程で、そういう有限の身体から発しながら、有限を超えるものとなってしまったということ。いわば、物質とのしがらみを断って、情報へと進化した。

 

A そうは言えても、現に、身体が滅びれば、意識も道連れにされるじゃないか。それを無限と言うことは、その無限に向かわせる何らかの別の仕組みがあるってことか?

 

C つまりそこでは、意識と身体をめぐって、有限と無限の一種の二重構造が発生しているんだよ、それは悪いことじゃあない。もともと、意識の存在って、そういうところに根拠しているということだよ。

 

B 二重構造って聞けば俺なんか、自己理想のための働きと、食うための働きという、いわゆる「理想と現実」との二重性とばかり考えてきた。つまり、この資本主義体制のもたらす矛盾かと。でも、どうやら、そんな些末な程度のことじゃあないんだ。

 

C だから、その二重性って、そんな憂き世のしがらみめいたところから来ているんじゃない。たとえば、量子論に双対性ってのがあるけど、そんなのに通じているんじゃないか。何と言えばいいか、対置する二つの異なった根元があって、それが一対となっていることで、この世ができている、って言うような。それこそ、「波」であるけど「粒」でもあり、そしてそのどちらでもなくて、その両方でもあるといった。陽子と陰子もそうだし、ひょっとして、男と女もそうかも。

 

B じゃあ、最初の「ガンガン」に戻るけど、自分の意識にしたがって、その「二重性」に立って行けってことか。

 

C 進化論として言えば、生物進化の頂点で開花している人間の最大の特徴は、意識の世界を持っているということ。つまり、情報界を自分自身としていること。ならば、その人間の特徴をさらに生かして、その情報部分をフルに発揮しようということ。

 

B 禅問答で言えば、月は掬われた手の内の水面にある。

 

A そういう意味では、古典的には、人間、そうした無限性を、いわゆる芸術の世界に託してきているよね。ギリシャ彫刻にせよ、古典から現代までの、世界のさまざまな文学や絵画作品にせよ。

 

C これまでの芸術では、どうしても石やキャンバス上の絵の具や書物といった物質に託して残すしかなかった。それが今後は情報としての芸術作品が残せる。

 

B いわゆるバーチャル現実として? へたすると、カルト扱いされるかも。

 

C まあ、それをカルトと言うかどうかはともかく、これからの芸術ってのは、モノから離れた情報として創作されくる。ソフトというか、非物質というか、ひょっとすれば反物質なんかも含むみたいな、何かそんなものがこれからの対象になる。

 

B だとすると、いわゆる“量子テレポーテーション”の世界ってこともか?

 

C そう、古典的モノの束縛から逃れて、これまで超自然と扱われてきたような世界が常識となってゆくのかもね。あるいはね、このサイトのような、こうしてデジタル情報化されたテキストが、超AIに学習し尽くされて、身体を脱した超人間性として生き残ってゆくかもしれない。

 

(談義がここまで来た時、窓からふと空を見上げると、不思議な形の雲が、当談義を見下ろすかのように現れていた【上掲写真】。)

 

B だとすると、「収束振動」からも、脱せれるかも。

 

C 補足だけど、兄弟サイト『フィラース』の記事、たとえば「MaHaと僕のシェアーライフ」では、その辺へのアプローチが試みられている。

 

 

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