「昭和」そのものの“後期高齢者”二人が、ちびちび飲みながら、ご時世を論じ合っている。どうやら話題は、行き過ぎの感ある観光業にまつわる腹立ちのよう。インバウンド旅行者の行儀の悪さに発して、だのにチクチク言ってくる特定国への自国の反応の、これまた“空強気”に、憤懣ただならぬ様子。
A なあ、このごろのこの国って、これほど、「ケツの穴が小さかったのか」と思わんか。
B まるで、じり貧者のなけなしの意地張り。小型犬の噛みつき然そのもの。まあ、この国だけでもなさそうだが。
A そもそも、あの安倍の時だったと思うが、観光立国なんて企てをソロバン勘定し出したころから、こんな顛末は予想されたね。
B お宅のいう「観光売春論」かな。
A 自国へのお客さんの、「財布」に期待するのか、「来訪」自体に期待するのかの違いだな。進んだ国なら、お客に身を売るようなことはしない。当初の観光立国の政策にだって、官僚の作文の上なのだろうが、この「来訪」を深めるといった狙いは明確にうたわれていた。一種の外交政策として。それがなんだ、今では、その観光収入が「GNPを〇Xパーセント押上げる」等々と、財布期待一本槍の物売り根性丸出し。
B それに円安がその間口を広げて、まるで一国丸々アッパッパーの、お買い得市場と化している。
A 国を観光地にするってことは、人間に置き換えてみれば、自分を観光地、まかり間違えば物見遊山のマトにするってこと。しかもそれが、安さを売りにまでしてしまっては、まるで自分を安っぽい見世物とさらすも同然。そしてそれがちょっとでも度を越えれば、もう「売春」とどこが違う。
B そう。だから、真っとうに生きてるプライドが確かなら、まさか、自分の体を売るような話などには歯牙もかけまい。それが、生きることに汲々となった場合、追い詰められた“勇断”すらしてしまって、その泥沼を受け入れる。たとえば、今の150円でなく80円で1米ドルの時、つまり、いまの倍の高値の日本なら、これほどまでの客が押し掛ける事態を、こんなにまでも有難がりはしなかったろう。
A それこそその昭和期の、円が二倍の価値となった「超円高」の真最中、インバウンドどころか、海外へ出かける日本旅行者の主役をなしたのが、「農協さん」をはじめとする庶民の団体旅行。それが、海外の観光地で、手旗を掲げたガイドの後にぞろぞろ続く見慣れぬ一団をなす光景は、ひときは現地の人目を引いた。くわえて、行く先々の一流レストランに、短パンとビーチサンダル姿で繰り出すなどはまだ序の口で、旅行行程の上流から下流まで一貫して日系企業で占めつくし、現地に金を落とさぬ仕組み作り等々と、異国の地での反感にまるで無頓着な振る舞いは、まさしく、今の来日旅行者の横暴ぶりと、どれほどの優劣があっただろうか。
B そんな我々世代だったけれど、それなりに恥や反発を学び、自分の子や孫たちにもそれを伝えて、今では礼節を知る行儀のよい人たちとなった。
A 平たく言えば、時のずれはあるが、同じ穴のムジナ。
B そこを太っ腹に見れず、あえての違いを持ち出す「ケツの穴が小さい」御仁たちが増え、先の見えないじり貧状態に自ら迷い込んで行っている。
A ことの元凶は、円安やそれの根源となっている、世界の断然トップの累積赤字国債とゼロ金利のセット、そしてそに群れたかる業界という、いとも情けない経済実態。
B いうなれば、経済浮揚と称しつつ、そんなもっとも安易で知恵を欠く、自滅同然の政策しか繰り出せない、この国の亡国同然リーダーたち。
A そういう、彼女、彼らの「ケツの穴」が違っていたなら、こんなさもしい「売春国家」には至らなかった。それこそ、安倍首相は撃たれずに長期政権を堪能できたはずだ。
B だからいまの若い世代は、そんな自国に前途を見出せず、少なくないリスク覚悟で海外に跳び出し、世界の違いを身をもって感じ取り、我が身をかえりみる発想ぐらいは身に付けている。同じく自分の「身」をさらすにしても、売春まがいの物売り根性とは大違いだ。
A 昭和レトロブームだって、時間を遡行することで、そんな表裏の逆転を体験しようとのタイムスリップなのかも。
B そうとは誰も気付かないながらのね。
