今日、日々刻々と深刻度をます高齢化社会にあって、まして自らがその当事者であるならなおさら、出来るなら「アンチエイジング」したいというのも正直なところです。それに確かに、その可能性がないわけでもないようです。しかし、私はそうした傾向を、決して見下す積もりではありませんが、それがもし人の自然な移り変わりに逆らう営みであるのなら、「アンチ」ではなく、進んでそれを受け入れる方向を探りたいと思っています。

すなわち、エイジングという生命の自然なサイクルにおける“秋季”現象について、私はさほどネガティブには考えられません。先に《「し」という通過点》という見解を表したのも、この秋季現象は、この世界への誕生と同様に、誰にも与えられる《別界への誕生》として、むしろ歓迎され、祝福すらされてもよいことではないかと考えるからです。

そこで、こうした《再・誕生》の発想に立って、今回より新たなシリーズを開始し、過去十数年にわたって取り組んできている「両生学」の新たな発展の場にしたいと構想しています。そして、この新たなシリーズのタイトルを「パラダイム変化:霊性から非局所性へ」とし、これまで使ってきた「霊性」という言葉に代わり、「非局所性」という言葉をつうじて――少なくとも自分の世界観、生死観の――パラダイムを変えたいと考えています。 詳細記事

死とは何であり死後へも意識は存続するのか。こうした難題についての100年以上にわたる探究で、エビデンスを探すいっそう精緻な方法が見出されつつある。多くのインタビューと広範な文献に基づき、ランス・バトラー(フランス、ポー大学文学部教授)は、科学と共に超然的経験に立った新たな見解を概説している。

Lance St John Butler(Professor of British Literature in the University of Pau)学会雑誌『The Scientific & Medical Network [Winter 2010]』より】

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前回、霊理学を科学と見るための定義のひとつとして、「人間-生命=霊理」という方程式をあげました。

そう考えながら、以前、日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)氏が、明日の世界を担う子供たちに教えたい最も大切なこととして、「命とはその人が持っている時間のこと」との言葉を思い出しました。

私は、氏の著作や講演でこの言葉に出会いながら、正直なところ、いまひとつピンとこないところがありました。

しかし今、自分で編み出した「霊理」と言う、用語ばかりでなくそれが対象とする領域を想定する時、あらためて、氏の言わんとしていたことが何であったのか、それが浮上してきています。 詳細記事

この「越界-両生学」という枠組みを設定して、その「第一本編」とやらを昨年の7月に書きました。それがほぼ一年余りの潜伏期をへて、いよいよ、動きを開始しそうです。そして、この新たな気配は、私の70歳の誕生日の二週間後にやってきて、どうやら、この先10年間の新たな十年紀のメインテーマの一つになりそうです。

その新たな気配とは、別掲のように、訳読作業の必要から出てきた新語「霊理」にかかわっています。 詳細記事

いまやここオーストラリアでは、ブーマー(団塊)世代が大挙してリタイア生活に入り、行楽地はもちろん、盛り場に行っても、くつろいだスタイルの「二周目」ライフの享受者を多々見かけます。またテレビでも、そうしたご夫妻らをターゲットにした、海外旅行の宣伝がうるさいほどです。

私は、そうした現況に同席するブーマーの同類ながら、オージー特有の開けっ広げでケンコー過ぎる物質主義に、むろんお付き合いできる蓄財もなく、自然な分岐が始っています。

ただこの分岐は、非物質的には、これまでたどってきた「両生学」街道を延長する、私なりに蓄積されたものと思っています。加えて、昨年の《ガンとの遭遇》を境に、それは地図のない未踏領域へと入ってきており、ともあれそれを「越界」と名付けています。

そこで手掛け始めているのがこの「越界-両生学」で、これまで7回にわたる「あらまし編」でその導入を述べてきました。そしてそれに続いて、今回より、その本編に入ってゆきます。

そこでその本編ですが、過去の「両生学講座」のもくじのように、そのカバー範囲は広域におよぶはずです。したがって、この「越界-両生学」も、その登山道は結局、多くを数えることになると予想されます。そういう次第で、今回より始まる本編も、番号式でやや味を欠きますが、まずは「第一本編」と名付けました。 詳細記事

三ヵ月ほど、この「越界-両生学・あらまし編」をごぶさたしていました。この間、新しい訳読に関心を集中していたのですが、この「あらまし編」は、表記の「宣言」をその結語としてかかげ、今回をもって最終回にしたいと思います。そして次回より、「日々両生」でも触れましたように、次の十年紀へ向けてのマップ作りとして、この「宣言」に託されたその意味、すなわち、その《峠越え》に向けた「越界-両生学・本編」に入ってゆきたいと考えています。

さてそこで、その宣言、「通過点としての《し》」です。

まずその初めにこの「《し》」ですが、それは、「さ」でもなく、かといって「す」でもなく、その間にある「《し》」であります。ただしそれは、現社会の慣用では「死」と表現するのが一般的であり、いかにも今日の世相を象徴的にも反映するこの「ひとこと」につき、そう記号化して表現しなおしたものです。いくぶん遊戯的ではありますが、この技巧を通じてそうした世相の解毒化をはかり、またその根拠希薄なぶれについては、それを最小化してみようとのたくらみであります。 詳細記事

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 トーラスとは生命体である

トーラスは、エネルギーの全宇宙を通した流れの様相である。宇宙は、あらゆる動的システムをなすトーラスをその本質として“生息”させている。トーラスは、どのような規模にも、拡大も縮小も可能である。科学者でもあり哲学者でもあるアーサー・ヤングは、トーラスは自らの再生を可能とする唯一のエネルギー形態あるいは原動力である、と説明する。トーラスは、竜巻や、〔口で作る〕煙草の煙の輪や、水の渦巻といった、身の回りのものと同一の実体から成る。トーラスの動力源は二つのトーラス、すなわち、この世の男と女といったような、「対トーラス」体を成す。それは、片半分が北極に向って回転する時、他半分は南極に向かって回転する。これはまた、「コリオリ効果」にも通じる。その実例は、地球の気象現象であり、太陽のプラズマ流である。さらにトーラスは、地球の磁界の形状にも見られる。ともあれ、それは宇宙のいたるところに存在している。 詳細記事

現在、私はどうやら、「ワームホール」に陥ってしまっているようです。しかも、最初は、架空上の体験にすぎないと高をくくっていましたが、どうもそれは、もっとリアルなもののようです。「ワームホール」とは、なんのなんの、なかなか見かけによらぬもののようです。前回のたとえ話で言えば、近道に気付いたドッグレースの一匹のドッグの心境です。そしてこれをもう少し実情に即して言えば、三次元の世界からもっと高次元の世界へと、「越界」をこころみる未体験の通路を、勇気をふりしぼって通りぬける、その不気味さと緊迫感です。 詳細記事

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総合統一場理論

 Grand Unified Field Theory

 

〔ブラッド・オルセン著『東西融合〈涅槃〉思想の将来性』の

上記タイトルの章(原書 p.311-20)の前半部翻訳〕

 

前進は、疑問に答えることから生じる。

その答えに疑問を与えることから、発見が生まれる。

バーナード・ハイッシュ

〔ドイツ生まれの米国の宇宙物理学者〕

 

数学は神の言語だと言われてきた。しかし、今日まで、誰もその神の言語を使ってこなかったようだ。本章の前半は、2010年、ノースカロライナ州、シャロットで開催されたTED〔世界的講演会を主催している米のグループ〕で、ランディー・ポーウェルが行った「渦巻原理の数学〔Vortex Based Math〕」と呼ぶ講演に基づいている。 詳細記事

この「越界-両生学」において、私が《宗教》という言葉を用いて扱いたい事柄は、「宗教」との言葉で連想されるような抹香漂う分野というより、むしろ、「科学」という明示的な分野におけるこころみのつもりです。ただ、科学者でもない私のなす立場であり、その科学性について、心もとなさが伴うのは自認の上です。しかし、ある意味で、そうした素人性、いうなれば平板性には、それなりの意義もあるかと自負し、この独りよがりな議論を進めてゆきたいと思います。 詳細記事