国籍問題について、以前どこかで大坂なおみが、インタビュアーの「あなたのアイデンティティは?」との質問に、「私は私」と明快に答えていました。
国籍問題は、私の場合、自人生の内で、しかも中年になってようやく到達した自らの選択課題であったのですが、彼女のような場合では、自分の生まれそのものが二つ以上の国や世代にまたがっているケースであるわけですから、その自問自答の枠組みは、私の「選択問題」とは違って、それこそ親の時代に始まり、繰り返し問われてきた問題であったことでしょう。
あるいは、そうした「混血」――“ハーフ”あるいは“ダブル”と言うべきなのか――がもたらす事柄が際立って採り上げられ、インタビュー質問されること自体、「日本的」ともいうべき出来事なのでしょう。
前回に述べたように、「アイデンティティ」という語には、英語上――少なくとも私のオーストラリア体験の限り――、国籍問題をあたかも個人の日常の「心理問題」あるいは「法律的問題」に置き換える実務的側面があります。つまり、それほどに「ありふれた」問題であるわけです。
しかし、上の大坂なおみの回答のように、「アイデンティティ」という語には、そうした実務的便宜では片付けられない、いくつかの国や制度に絡んで存在している自身にまつわる、それらの何にもいずれにも譲れない《自分の自分たる部分》について言及する語、という用法も持っています。
したがってやや勘ぐって言えば、「アイデンティティ」という語の便宜上の用法には、この辺の《二種の自己意識》の分化を覆い隠したり軽視したりする、国や制度の管理者が必要とする一種の「融和語」――「まあまあそう片意地を張らずに」と譲歩させる――との働きがあるようにも思います。
しかし、「アイデンティティ」という語のもう一つの用法においては、日本のように「均一国家」と言われ、移民者と肩を並べて日常生活することの極めてまれな国――最近ではそうでなくなってきていますが――では、そもそも、「アイデンティティ」に当たる語すら存在していません。だからこそ本稿のように日本語上ではカタカナ語を使うしかありません。そして、一個人にまつわる「私は私」という部分が、それを大切にする人も含めて、無きも同然として扱われる風習が定着した、ベターっと粘着する平板な社会が出来てしまっています。
だからこそ、私がオーストラリアに到着したばかりの頃、自分の背に「日本」という国名を背番号のように張り付けた如くの自意識を無意識に持ち込んでいたわけです。そしてその自意識が、そういう日本社会の産物であることを、執拗に上がってくる違和感をつうじて、やがて気付くことになったわけでした。
そこでですが、最近になって私は、上記のオーストラリア到着当初の自意識――《平均的日本人意識》と呼びましょう――を、再び体験し始めています。
それは、隣国中国の近年の振る舞いや出来事に関し、何かにつけて抱いてしまっている、あるいは抱かされてしまってきた、個人風には「ライバル意識」にも似た、一種の《対抗観念》に見られます。ことに、それが、中国によるいかにも傲慢で攻撃的ですらある振る舞いにばかりでなく、その社会生活や科学技術の進歩などに関しても、自分でも戸惑わされるほどに、その《対抗観念》が頭をもたげ、いつの間にやら、メラメラと燃え上がらせてしまっています。
この観念には、耳目に入ることの多い、日本語の報道の内容に左右されている部分もあるでしょう。しかし、仮にそれらがなかったとしても、この《対中対抗観念》は収まってくれそうもありません。
そこでこの可燃性の《対中対抗観念》について、かつて自分の《平均的日本人意識》に違和感をもったように、これはいったい何であるのかと注視するものがあるのです。
むろん、まったくの無知からそう意識しているのではない――ことにここシドニーの中の特に最近は中国からの移民の多い一角で、彼らと軒を連ねて暮らしている――のですが、それにしても、どうもその観念の起こりはそれだけでは収まらない、何か別の回路を通じた、もっとあやしげなものが働いていそうなことが否定できないのです。
そこで私は、この《対中対抗観念》について、その発生には、主要な二つの発生源が関わっているとにらんでいます。つまり、上記の《平均的日本人意識》の場合と同じことが、ここにおいても言えるのです。
その第一は、日本が島国であることによる地勢的特性です。
これがもし大陸の一角にあって、いくつかの国と地続きで接している国であるなら、その歴史の中で、数々の侵略や拮抗関係を嫌が上でも経験し、それなりの「もめごと慣れ」した文化や社会を築いてきたはずです。
それが、日本は、その起こり以来、海によって囲まれ、孤立もしてきましたが、同時に、外敵からは保護されてきた特異な国でありました。この条件が外敵による侵略経験を持たせず、そうした「もめごとに不慣れ」な、ある意味でとても平和的な、言わば自己主張の不得意な国民性がもたらされてきたことです。よく、「外交下手の日本」と評されるのも、このあたりの特徴を指しているのでしょう。
したがって、そうした国民性が、現代の便利で狭くなった世界の中で、もはやかっての地勢的防壁は働かず、どこかの国から攻撃的な言動をぶつけられた時、その日本的特性が不可避的に作動します。そして緊急時には、思わずの過剰あるいは過少な対応をしてしまう、外交実務上、非現実的態度に傾きやすいところがあります。そして時に、ことに力関係として劣勢に立たされた場合、その非現実性がゆえに、いかにも虚勢を張った、相手敵視の扇動的言動に流されがちがちとなります。
それに私個人は、自分の性格の面で言って、こうした「もめごと嫌い」なタイプで、そこに加えて、こうした日本人性もたっぷりと受け継いでいることを認めざるをえません。
したがって、私の持つ《対中対抗観念》については、そうした二枚重ねのナイーブな意識の反映である可能性が高いがゆえの産物だろうとにらんでいるわけです。
次に、この《対中対抗観念》の第二の発生源は、上記の、「アイデンティティ」という語の本来の意味における《二種の自己意識》に関し、その「私は私」という視点を見落としたがゆえにたち上がる《対中対抗観念》ではないかとの視点です。
つまり、国の重要な政策のひとつに、国民の持つ多様性や混合性を可能な限り一体のものとして統合しなければならない必須政策があり、その一体性は一般に「国民意識」と呼ばれ、それを共有しない者を異端視する慣習があります。
言うまでもなく、オリンピックという国の行う最大級の行事は、究極的には、スポーツを通じた、国単位の帰属意識の確認と高揚のためのものです。その点で、目前に迫った東京オリンピックは、コロナ危機という全く想定外の障害に立ちふさがれたまま、その国家的意図は、あたかも実行困難の崖っぷちに追い詰められているかの状況に至っています。そして、旧態依然の権化のような組織トップの自滅も生み、ある意味で、世界の人々の祭典へと向かえる可能性もないわけではない、きわどい局面にさしかかっています。
そうした国の取り組む「全国民統合機能」によって形成された意識は、その由来から当然に、他国によって攻撃的な扱いを受けた時には、足並みをそろえた対抗反応に向かうのをよしとするはずです。ことに、時の政権が、大局的な視野を持たない内向きな国益観に没頭している場合、そうした反応は、より顕著に、あるいはそれをチャンスとして、世論にまつり上げられてくるでしょう。
したがって、私が抱いている《対中対抗観念》とは、そのように準備された「全国民統合機能」の産物である可能性が非常に高く、それに素直に従うことに躊躇が湧いてきてしまうのも、理由のないことではないわけです。
かくして、こうした二つの発生源がゆえのその《対中対抗観念》であるらしいことは、それを抱く自分として、確かに認めざるをえないものとなってきています。
ただ、ここで、片手落ちに陥らないよう指摘しておくべき一点は、その中国において、こうして次々に打ち出される攻撃的で組織的な対外諸政策が、これも「大局的な視野を持たない内向きな国益観に没頭している」――今年の中国共産党創立100周年をこぞって祝賀するにふさわしい、今風「ラストエンペラー」による一大中華構想――と見なせるものであることです。
日本も、かつて1980年半ばには、その破竹の経済的勢いに乗って、世界ナンバー2から、米国経済を追い越してナンバー1に駆け上がるとの論陣を張ったものです。
さらに百年前には、昭和天皇の統治下、「八紘一宇」(世界は本来一つとの思想)を掲げて、アジアの日本化構想に実際に着手しました。
したがって、もしそれが、そうした相互の狭隘な意図のなす張り合い関係がゆえのその《対中対抗観念》であるとするなら、上記の二つの発生源がゆえの理由ある警戒にもとづき、それは、真にまともな対応を打ち出しうる可能性をもっている契機として、受け止め直す必要があるものでしょう。
国籍問題を考えさせられた体験の末に改めて気づかされた、そのアイデンティティをめぐる「私は私」という譲れない視点に再度立ち返るなら、かくして世界のほぼすべての主要国を巻き込んで展開され、東アジアをめぐるこの各国の狭隘な思惑が逆向きにかみ合った政治的ゲームの危険な異常さを、いずれの国の誰しも、皆で共有できるものと強く信じるものです。
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