前回の本訳読の最初のセクション「第三帝国の執念」の末尾に、以下のような記述があります。
戦争直後の1946年、明らかに歴史を書き換える努力として、ロックフェラー財団は、書き換えた二次大戦の公的歴史を出版するために委託料として13万9千ドルをついやし、第三帝国のあらゆる神秘主義と超自然分野の成果を消し去った。ロックフェラー財団への主要出資社の一つは、スタンダード・オイルであった。
この記述に刺激を受けて思うのですが、勝者によるこうした「歴史の書き換え」は、当然、部分的なものでは意味を持たないわけです。つまり、アメリカが交戦した敵国、日本に関しても、その「書き換え」と矛盾せぬよう、一連のつじつま合わせの努力が必要かつ十分に遂行されたはずです。
そうした、戦後のアメリカにおける出版界のひとつの趨勢を念頭において、さらに、以下のように、もう一つの引用を挙げてみます。これは、本サイトに掲載している別の訳読であるデーヴィッド・バーガミニ著の『天皇の陰謀』の冒頭にある「著者から読者へ」のほぼ中ほどからのものです。 詳細記事 →
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「真実は、これまでに人類によって発見された、もっとも致死的武器である。それは、既存のどんな社会、文化そして現実をも破壊することができる。それは、どこであろうと、あらゆる政府によって違法扱いとされており、通常、その所有は極刑に値する。」
ジョン・ギルモアー(アメリカ人作家)
英米金融エリートは、政府首脳を牛耳るために、自分達が行っていることは民主主義と国の成長のためであるという反・情報を駆使する。彼らは、銀行家や企業トップたち――「GMにとってよいことは米国にとってもよいことで、米国にとってよいことはGMにとってもよいことだ」と言い張る――が世界が立ち行くことを助けているのだと、ことに選挙献金を通じることで、精力的に政治家の頭にたたきこむ、。 詳細記事 →
前回にケネディー大統領暗殺にまつわる私の17歳以来の模索について触れましたが、この訳読を通して「アメリカの本性」に踏み込めばふみこむほど、いわゆる「アメリカン・デモクラシー」がいかに複雑、怪奇で、底なしの泥沼のごとくに足をすくわれるもの――その最大例がケネディー大統領暗殺――であるのか、そのまさに《伏魔殿》たる実像がしだいに浮かび上がってきています。
一方、ドイツは、日本に似て、人には恵まれていても資源に乏しい国です。そんなドイツが、一度ならず二度も世界大戦を起こしえたのはなぜなのか。日本が火をつけたアジア太平洋戦争は、南進して石油資源を確保することがまず条件でした。そうしたドイツに、石油資源のみならずその資金を供給したルートはあったはずです。
ここに、そうしたアメリカの《伏魔殿》と、ドイツへの資源供給をめぐる謎が、一つの事象の二面ではないかとの推察として浮上してきます。
今回の訳読は、そうした、ドイツにはアメリカとの結び付いた背後のリンクがあったという、そうした歴史の暗部をひも解いてゆく考察です。
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「我々は、これまでに考えられた何よりもはるかに強く、そしてその根拠は今の我々には未知の、そうした力に遭遇することになるだろう。現在のところ、これ以上は言えない。我々はいま、そうした力と密接な接触をとる努力を開始しており、6ないし9カ月のうちには、この件について、もっと正確なことが言えるようになるだろう。」
ウェルナー・フォン・ブラウン
(1959年、地球外生命の現実性を示唆して)
世界の銀行界において、米国とドイツは、二つの戦争を互いに戦いながらも、一世紀あるいはそれよりも長期にわたり、相互に緊密につながってきた。アメリカには、たくさんのドイツ同調者がいる。結局、19および20世紀、ドイツからの移民者は、アメリカに定着した外国人の中で最大の部分を形成した。アメリカに新たに移民したドイツ人は、勤勉で、刷新的で、そして稼いだお金を貯金した。彼らの「なせばなる精神」は、アメリカを偉大にする助けともなった。こんな表現がある。「ドイツ人は最良のアメリカ人を作ったが、最悪のドイツ人も作った」。 詳細記事 →
これまで、当サイトへの一日当たり訪問者数を、200人から300人と見積ってそう公表してきました。ところが、新データを用いて集計してみたところ、下表のように、400人は手堅く、最近では500人を越える月も出ています。さらにそれがこの11月、600人を越えてしまいました。自分でもちょっと驚きです。そこで、こうした増加の全体数値だけでなく、この増加とはどういうことなのか、もうすこし詳しく分析してみました。
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今回より、訳読を『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』にもどし、まさに今日的焦点に迫る章を採り上げてゆきます。その焦点とは「国の秘密主義」。そしてその実像を、アメリカ合衆国――今やまさに、のたうつ恐竜――の本性として、本二著書の主題である「エソテリック」な見地にそって観察してゆきます。
この章には、著者がアメリカ人自身としてまさにその内部から告発する、自国の“裏面”が克明にかつ毅然として描かれています。
日本がその米国の属国であることは、もはや「隠蔽」しきれない衆知の事実となりつつあります。そういう日本であるなら、その属す相手がいったい何者であるのか、その本性くらいは知っておく必要があります。
「やはり米国」なのか「されど米国」なのか。これから訳読してゆく各章は、そうは易々と観察できる米国ではありません。 詳細記事 →
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何が隠されており、誰が何の目的でそうしており、私たちにとってその意味は何なのか。見えないカーテンの向こうにあるものとは・・・
歴史の緒言
「誰の支配であれ、その国の貨幣の量こそ、すべての産業と通商の文句なしの主人である・・・ そして、いったん君が、その全システムが次から次にその頂点に立つ一握りの権力者により簡単に支配されているのを知れば、どのようにインフレやデフレの時期が始まったのか、君はそれを告げられるはずはないだろう。」――1881年、ジェームス・ガーフィールド大統領(この発言の数週間後、彼は暗殺された)
「国際銀行家やロックフェラー・スタンダードオイル関係者による支配は、大半の新聞社やその記事から、隠蔽政府を牛耳るその強力な結託集団との談合を拒否した記者クラブメンバーや政府官僚を追放するまでにおよんでいる。」――1922年、セオドル・ルーズベルト大統領
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今回の訳読は、「教科書的」と受け止められそうな議論です。ただし「教科書的」とは、初歩的とか入門的との意味においてではなく、それほどにも原則的で正鵠を射ており、誰にも共有されるべき議論であるという意味においてです。 詳細記事 →
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過剰人口
1964年8月30日の国連報告はこう告げていた。「世界の人口は急増している。そして世界の人口は増えているだけでなく、その増加率も加速し、年間の増加率は2.1パーセントに達している」。1962年半ばで、世界の人口は31億人であった。それ以来、毎年、フランスの人口を上回る6300万人が増加している。また、人口の爆発は発展途上国で顕著である。ヨーロッパの増加率は0.9パーセント、北アメリカのそれは1.6パーセントに対し、発展途上国のそれは、3から5パーセントにものぼる。そして、世界の人口の少なくとも20パーセントは、一つの国――共産国中国――に住んでいる。
50年以上前にたてられたこうした予測は、おおむね今日も続いており、人間がもたらすインパクトは遥かに大きなものとなっている。今日に生きる人々は、かつて見たことのない規模の増加を体験している。世界の人口は、1959年に30億人に達し、2050年には90億人をこえると予想される。人口爆発の過去をたどれば、1957年、33年間かかって世界の人口が二倍になり、それが次の28年間でさらに二倍となり、そしてさらに次の24年間でまた倍増した。2011年10月、世界の人口は公式に70億人に達し、この人口は、それを維持するには、少なくとも5つの惑星を必要とするほどのもので、適正な収容能力の14倍にもなっている。車に張られたあるステッカーはこう告げている。「もっとも環境に良い行動とは、子供を産まないことだ」。 詳細記事 →
今回から、新しい章、「ライフオロジー」を訳読します。
昨年12月に打ち上げられ、現在その長旅を飛行中の小惑星探査機「はやぶさ2」の主要目的は、サンプルリターンによって、生命誕生の謎を解こうというものです。
一方、今回の訳読の議論の中に、、「パンスペルミア〔胚種広布〕説」というものがあります。つまり、私たちを含む地球上の生命は、地球環境を起源とするものではなく、その種は宇宙からやってきたものと見る説です。 詳細記事 →
今回の議論は、もっとも宗教分野に踏み込んだもので、いわば、「疑似科学」としての批判をもっとも招きやすい取り組みであると思います。 詳細記事 →
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にせ薬効果
意識は、私たちが誰であるかについての青写真に端をもつ知的力であり、究極的にはそれを特定の様式に顕現する。そうした人間の原像は、子宮の中の成熟した卵子のDNAらせんの内に微視的に収蔵されている。私たち各自は、自身の指紋のように、それぞれ独自の霊性DNAをもっている。それはアカシック・レコード〔あるいはアカシャ年代記〕とも呼ばれ、各自の過去の生命の総体を呼び起こすものとして知られている。私たちの霊性DNAは、現生への青写真なのである。それは、過去の霊魂たちのメモリー・バンクであり、現生への生れ代わりの目的を提供している。私たちの肉体や精神的特徴がその物的DNAに記録されているばかりでなく、私たちの霊性的方向や霊魂の目的がその霊性的DNAに記録されている。そのように、私たちの各々は、特定の霊性的目的を持っているが、その目的は時として不明瞭であるため、心は私たちに手品をして見せる。その良い例は、患者が病気に対し、ただの砂糖錠剤を服用するといっただまし療法を受けた場合でも、その病状の有意な改善が見られ、これは「にせ薬効果」として知られている。 詳細記事 →
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「宗教とは、誰か他人の体験を信じること。霊性とは、自分自身のそれを信じることである。」
ディーパック・チョプラ〔ホーリスティック医学博士〕
チョプラの賢明な観測は、私たちが常識とする現実を変化させるには、いくつもの道があることを教えている。自らの経験に立つことは、もっとも説得力ある方法だ。宗教の中核である誰もが打たれる神聖な真理は、自分自身のうちに見出した発見によって立つことに契機を与える。いわば、一つの真理、多様な反応である。
ここで別のシナリオを想定してみよう。近い将来、注目される記者会見において、科学者たちは、死後の世界が、実証を重ねてきた結果、実在するという発見を――事実としてではないとしても、少なくとも十分に検証された科学的仮説として――世界に向けて発表することになるだろう。こうしたテーマは、神秘家によって何世紀にもわたって告げられてきたことだが、いまや、科学が新しい主張としてその裏付けを引き受けようとしている。そしてその記者会見では、研究者たちは、死後の世界は完全に解明されているわけではいないが、誰もが自分の死についての「体験談」といったような経験をするだろうことは、おおむね確信できることであるとするだろう。そうした個々人は、その生涯のあらゆる出来事や行為ばかりでなく、その行動が他の人たちにおよぼした影響を、肯定的であろうと否定的であろうと、経験してきたはずである。ただ通常の防衛機制が、自分自身を隠してしまい、時には他人への同情的態度も持てなくさせてしまって、その生涯の真実が見直されるまで、自らの否定的行動に気付かないままになってしまっている。だが、存命中の人たちが、その死以前に自分の生涯のありのままの真実をさとった時には、生存中の行動や考えが真実に結果をもたらしていることを認識し、そして十分にそのすべてを覚るに至るのである。 詳細記事 →
これは私の感傷にすぎませんが、連載の訳読をしてきて、年甲斐もなく、しかもなお、この年に“ふさわしく”、その数々のくだりで、大いに発奮させられたり、視野を新たにさせられたりしています。前回の「科学か疑似科学か」で述べたように、本訳読に展開されている議論は、そうした境界領域に属する、まさに“超”先端的分野です。つまりその多くはいまだ検証の過程にあり、だからこそ、「疑似科学」と呼ばれ、それですむならまだしも、「まがい物」扱いさえされています。しかし、それは私にとっては大した問題ではありません。私にとっては、逆算段階に入った人生の限られた時間のなかで、自分が「これはいける」と判断される、そういう内容であるかどうかがポイントです。終盤にかかりつつある人生への、いうなれば、一種の《媚薬》としての働きに、内心、強く期待されるところなのです。 詳細記事 →
連載中のこの訳読に展開されている諸議論は、突き詰めて言えば、「科学か疑似科学」と取りざたされる、各々の境界上の分野です。そして、もし私がもっと若かったら、また実際に若かった頃には、そうした一連の議論を、「まゆつばもの」として一蹴していましたし、大いに権威に無防備なところもありました。
しかし、そうした若気の時代を通過し、今に至って感じていることは、「科学」が扱っている領域はどうも狭すぎるという到達であり、またその科学の世界も、自身でそうした狭さを破って、かつては疑似科学として扱われていた分野にもどんどん広がってきています。
そうして、むしろ今ではそうした狭さが故に、一般に科学といわれている分野が、ことにそれがビジネスと結びついた場では、こんどはその科学自身が「擬態科学」――多くはごまかしに乱用される「ご都合科学」――に変貌し、信用に値しない代物となるに至っています。 詳細記事 →
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現代の導師
テレパシー、千里眼、そして他の卓越した霊性能力などを発揮した多くの導師は、今日の発達した科学技術に匹敵あるいは凌駕するほどにも、「意識の科学」を会得していることを示した。平均的な人間もまた、そうした能力のなにがしかはもっているものの、その大半は未開発のままに留まっている。 詳細記事 →
今回も、議論は専門領域のしかもその最先端におよんでおり、その理解はなかなか困難です。加えて、今回の議論のテーマは、やや分散した感じがあり、章のタイトルである「意識の科学」についても、その集中した踏み込みが展開されているとは言い難いところがあります。
しかしそれでも、既成の概念を破る新視点は十分に提供してくれています。
たとえば、テレポーテーションに関し、それには「量子もつれ(エンタングルメント)」という、物理学的にまったく新規な概念が関係しているといいます。 詳細記事 →
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周波数と振動
ニコラ・テスラは、宇宙のすべては、銀河から電子まで、周波数と振動によってできていると確信していた。彼はまた、宇宙のすべては、唯一普遍的な「超・意識」--知的生命組織体--によって結ばれていると感じていた。「私の脳は受信機にすぎない。宇宙では、私たちがそれから知識や強さやひらめきをえている核心が存在している。私はその核心の秘密を解明できていないが、それが存在していることは解る」と彼は語った。 詳細記事 →
私はこのごろ、自分の用いている言葉が、どうも寸足らずで不自由な気がしてなりません。それはことに、「越界-両生学」に取り組み始めてから、その異次元の世界を表そうとすることに、この現世に適して発達した言葉では、いかにも事足りないのです。いや、より正確に言えば、その表現以前に、その世界を想像すること自体が、今の自分に与えられている言葉を用いていたのでは、なかなか足手まといであるようにさえ思えるのです。 詳細記事 →
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「もし、宇宙の神秘を解き明かしたいのなら、エネルギー、周波数、振動について考察すればいい。」
ノキア・テスラ
〔アメリカの科学者・発明家。「フリー・エネルギー」の章参照〕
一世を風靡した合理主義者、還元主義者、そして現世の唯物的解釈者たちの死の前兆を示すものは、心についての科学の隆盛だろう。だが、頑迷固陋な懐疑主義者や自らの内なる声を聞く耳を持たぬ者たちは、いまだにテレパシーを、考えられないとするばかりでなく不可能とすらみなして、うつろな経験主義に執着している。彼らにとって、そう明言するのは有意義であろう。だが、心と心の交信の証拠は、いまやあまりに知れ渡っており、英国先進科学学会の年次総会でも提唱されている。
心の科学という分野は、ことさらに新しいものではない。宇宙の神秘に迫ること自体は、Metaphysics〔超物理学〕〔訳注〕という、古代そして今日も興隆中の、新旧両時代にわたる科学である。「Metaphysics」という言葉は、「Metaphusika」--ギリシャの哲学者アリストテレスの論文の題名--という語からきている。超物理学は哲学の一分野で、心と物質の関係と現実を考察するものである。人間の心の力がいっそう明らかになるにつれ、新たで未解明な現象を受け入れる能力も拡大してきている。 詳細記事 →
いまやここオーストラリアでは、ブーマー(団塊)世代が大挙してリタイア生活に入り、行楽地はもちろん、盛り場に行っても、くつろいだスタイルの「二周目」ライフの享受者を多々見かけます。またテレビでも、そうしたご夫妻らをターゲットにした、海外旅行の宣伝がうるさいほどです。
私は、そうした現況に同席するブーマーの同類ながら、オージー特有の開けっ広げでケンコー過ぎる物質主義に、むろんお付き合いできる蓄財もなく、自然な分岐が始っています。
ただこの分岐は、非物質的には、これまでたどってきた「両生学」街道を延長する、私なりに蓄積されたものと思っています。加えて、昨年の《ガンとの遭遇》を境に、それは地図のない未踏領域へと入ってきており、ともあれそれを「越界」と名付けています。
そこで手掛け始めているのがこの「越界-両生学」で、これまで7回にわたる「あらまし編」でその導入を述べてきました。そしてそれに続いて、今回より、その本編に入ってゆきます。
そこでその本編ですが、過去の「両生学講座」のもくじのように、そのカバー範囲は広域におよぶはずです。したがって、この「越界-両生学」も、その登山道は結局、多くを数えることになると予想されます。そういう次第で、今回より始まる本編も、番号式でやや味を欠きますが、まずは「第一本編」と名付けました。 詳細記事 →
おそらく誰もがそうではないかと思うのですが、私には、「新しいもの崇拝症」といったようなところがあります。たとえば、薬屋で売っている薬品のほうが、野原でとってくる薬草を使うより、正しくかつ進んだことだという暗黙の信念があります。いや、正確には、ありました。そういう、いわば「近代的なもの」への信頼が、ここのところ日増しに揺らいできています。
年寄りの復古主義と言われかねない傾向で、その一例かも知れませんが、他方、「年の功」という言葉もあります。
ともあれ、今の自分が過去の経験の上に達した、一連の「知恵」とよんでいいようなものがあります。今回の訳読は、そうした私の傾向を、きわめて力強く後押ししてくれるものです。
詳細記事 →
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「私の宗教は単純です。寺院を必要とはしませんし、難しい哲学もいりません。ただ、私たち自身の頭脳と心臓が寺院で、親切心が哲学です。」
ダライ・ラマ
生涯のいずれの時でも、人は、命を得ているか失っているか、そのいずれかである。命を失っている時とは、病気とか死とかが、その人の長生きの可能性をむしばんでいることを意味する。私たちの身体をはじめ、命に関するすべては、つねに変化している。そのいずれもの瞬間において、人は強くなっているか、あるいは、弱くなっていると感じる。もし、命を失いつつあるのなら、死に向かっていることだ。そしてもちろん、私たちは自分を消費して生きている。私たちの皮膚は、平均35日ごとに入れ替わっており、肝臓はほぼ一ヵ月ごとに再生されている。そうした身体は、私たちたちが摂取した食物や飲み物からつくられている。文字通り、私たちが何を口にしたかが、私たちが何であるかを物語っているのである。 詳細記事 →
今回で、「松果腺」の章を一気に完了させました。
そこで見出せたものは、タイトルのように《霊性界》をいっそう「新たに認識」できたことです。それにあたっては、この松果腺の働きの理解は要となります。そしてそれをひとことで表せば、松果腺とは「第三の目」の源であり、可視光線以外の波動――つまり目では見えない電磁派や磁界――を受信して《観る》、言ってみれば、私たちの身体がもつ《自然の「レーダー」装置》ということです。伝統的には、私たちはそれを「千里眼」とか「心眼」とかと呼んできたわけですが、そこにはどことなく非現実的なひびきがありました。しかし、それを《自然の「レーダー」装置》と考えれば、そうしたひびきも大きく後退します。そしてむしろ、この装置を、フルに活用してみたくもなります。 詳細記事 →
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熟達者の知
松果腺は小さな灰色の分泌腺で、〔グリーンピースの〕豆粒ほどの大きさで、左右の大脳の間で、脊髄が脳内に達する部位に位置している。樹木の松の実も、松果腺と同じ形をしているため、この名がつけられている。松果腺の位置は、脳の幾何学上の中心にほぼ重なっている(本章末図参照)。
驚かされることに、松果腺は、古代エジプトのシュメール人や、バビロニアの芸術品や絵画の中に描かれており、私たちの祖先がその意味に気付いていたことを忍ばせている。さかのぼること紀元前2180年、エジプトの王たちは、松果腺の活動を向上させるためにschefa-foodを用い、感受性、覚醒力、直観を高めていた。松果腺は長い間、神聖な知恵の宿るところと呼ばれてきた。古代エジプト人は、一匹あるいは二匹のヘビ形の突起を王冠の第三の目のあたりにあしらった冠をかぶっていた。古代エジプトの人たちにとって、ヘビは知恵の象徴だった。これにより、聖書のマタイ伝10:16で、私たちがなぜ「ヘビのごとく賢くあれ」とさとされているのかが理解される。エジプトの女王クレオパトラは、よく自分の額に磁石を置いて下垂体を刺激し、若い活気をとりもどし、美を高めようとしていた。ただ彼女は、すでに自分の額の中に、松果腺という磁石をもっていることは知らなかった。 詳細記事 →
本章のタイトル、「松果腺」とは、脳の一部位のことです。
医学書でもないのに、いきなりこんな詳細な題名が登場するほど、本書の原著のテーマは多義に踏み込んでいます。
そればかりでなく、なぜ、こうした医学書並な題目が取り上げられるのか、今回は、私の私事による制約のため、ほんのさわり部のみとなりますが、それでもその議論の奥行の深さを感じさせられると思います。 詳細記事 →
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「ほかでもないこの身体の中で、今、光を放ちつつある松果腺と呼ばれる特色ある分泌腺は、それを通じて働く水路でもあって、意識――身体的意識――もそれに従じて発生し、それはあたかも細胞――身体の創造的力から意識や脳の土台をもなす――のごときで、切り離されて分離した、肉体的、精神的、霊性的な各身体を織り合わせ、ともに働き、ともに旅をする。・・・松果腺を働かせ続け、自分を老いさせるな。つねに若くあれ!」
エドガー・ケイシー
〔1877-1945、アメリカの神秘家〕
生涯を通じ、松果腺には、ホルモン分泌の働きを超えた、霊性的な役割が与えられている。何世紀にもわたって、松果腺は偏執症現象と関係付けられてきた。だが、東洋哲学は、松果腺を重要な「チャクラ」、すなわちエネルギーの渦巻――もし活性化すれば、人に心霊現象や宇宙視野を与える――と見る発想があった。 詳細記事 →
今回の訳読は、「現代の『東西融合〈涅槃〉思想』」の冒頭に置かれた著者の巻頭言で、本書執筆にあたっての彼の基本姿勢を述べたものです。
そういう意味では、やや形式的役割をおびた部分であり、具体的議論にはいたらないものです。しかし、前回と前々回で述べた「DNAミステリー」を読まれた読者は、それがいったい、どのような立場から書かれているのかと気になられたのではないかと推察いたします。つまり、そういった「立脚点」を確かめたい向きには、当たっておきたいくだりではないかと思います。 詳細記事 →
ともあれ、この「訳読」には、一切の誇張なく、苦心さんたんしております。
言ってみれば、専門分野の先端中の先端のそのまた最先端を、しかも、冴えわたった直観で織り込んだ議論でありまして、とてもとても、一筋縄で取り組めるものではありません。適切な日本語の選択から、むろん、言わんとしているメッセージが何かをくみ上げるまで、この訳読は実に、千里の旅をするかごときであります。
従って、この初版ともいうべき今回の出版には、追って今後、重ねての修正が必要となってくるのは間違いありません。その度ごとに対処してゆきます。 詳細記事 →
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師はすでに熟知のこと
エステリックおよびスピリチュア界の師匠たちには、私たちの心神(事実上、その中に身体や器官が属し、その逆ではない)が、言語や言葉や考えによってプログラムされ、その「指令」に肉体が従うことは、幾時代にもわたって知られていたことである。唯一無限な存在の延長である私たちの心神は、よって、たとえ物質界のレベルにあっても、人間の見かけ上の無限さを説いた。最初にそれを覚ったのはエソテリック者であったのだが、今日では「光線指令」が科学的概念として説かれている。もちろん、その〔光線の〕振動数は精確に調整されなければならず、それ〔による誤差〕が、なぜ見かけ上は誰もが平等には作られてはおらず、常に同じ結果を出せないことの理由である。したがって、個々人は、〔そのようにして形成された〕自分のDNAとの意識的な対話をなすために、内的発展と自らの成熟に努めなければならない。 詳細記事 →
三ヵ月ほど、この「越界-両生学・あらまし編」をごぶさたしていました。この間、新しい訳読に関心を集中していたのですが、この「あらまし編」は、表記の「宣言」をその結語としてかかげ、今回をもって最終回にしたいと思います。そして次回より、「日々両生」でも触れましたように、次の十年紀へ向けてのマップ作りとして、この「宣言」に託されたその意味、すなわち、その《峠越え》に向けた「越界-両生学・本編」に入ってゆきたいと考えています。
さてそこで、その宣言、「通過点としての《し》」です。
まずその初めにこの「《し》」ですが、それは、「さ」でもなく、かといって「す」でもなく、その間にある「《し》」であります。ただしそれは、現社会の慣用では「死」と表現するのが一般的であり、いかにも今日の世相を象徴的にも反映するこの「ひとこと」につき、そう記号化して表現しなおしたものです。いくぶん遊戯的ではありますが、この技巧を通じてそうした世相の解毒化をはかり、またその根拠希薄なぶれについては、それを最小化してみようとのたくらみであります。 詳細記事 →
私がこの連載「訳読―2」(今回より{訳読―2b)を含む)において、ブラッド・オルセンの「東西融合〈涅槃〉思想」シリーズの訳読に精を出している理由のひとつが、私たちの存在の根源が、タイトルのように、《宇宙への風穴》をもっていることにあります。ことに私はそれを、「逆算のカウントダウン世代」の一人として、別掲のような『「通過点としての《し》」宣言』という観点からも、自分の永遠の旅立ちにからめてそれをえて考えています。
その4回目である今回は、その《風穴》を、生物学の観点、とくに生命の発生にかかわる遺伝学の分野からみてゆきたいと思います。
そこで取り上げるのは、同著者の「東西融合〈涅槃〉思想」シリーズの第二冊目である『現代の「東西融合〈涅槃〉思想」』のうちの「DNAミステリー」です。 詳細記事 →
訳読中のブラッド・オルセン著の本書『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』に展開されている話は、私のような「逆算のカウントダウン世代」にしてみれば、余りに遠大な理想論です。そしてそれだけに、その内容にも激しい賛否両論のやりとりが予想されます。むろん、著者もその辺は百も承知で、前回の「本書へのイントロ」のように、その黒白の判断は最終的には読者自身で考えてほしいと、ボールを投げ返してきています
ことに、今回の訳読に取り上げた「フリー・エネルギー」の章は、その論点が《誰でもタダで入手できる無尽蔵なエネルギーが実在している》というのですから、それは”超”革命的です。さらに、そうであるだけに、強力な政治力も握る既存エネルギー陣営からの反論も、並大抵のものではすまないでしょう。
そういう次第で、この「遠大な理想論」は、その未来性という観点では、私のような秒読み世代の”冥土への土産”的な関心とされるより、文字通り、将来のある世代のその未来を託した関心とされるべき議論でありましょう。 詳細記事 →
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「もし、こうした新フリー・エネルギーが世界に普及したら、その影響は計り知れないだろう。それは毎日を変え、どこででも使われる。こうした技術は、世界の歴史における、議論の余地のない、もっとも重大な出来事である。」
ブライアン・オレアリー博士
(カリフォルニア大学バークレイ校PhD、NASA宇宙飛行士、プリンストン大学、カルフォルニア工科大学、プリンストン大学補助講師、エネルギー技術革新の専門家)
世界の誰もが、エネルギー確保のために、戦争や紛争に巻き込まれてしまっている。また私たちは、ペース維持のためにエネルギー・バーを食べる。自分でも、エネルギーのハイな時とローな時があり、まわりで接する人にも、エネルギーの良し悪しを感じる。私たちのエネルギー出費、ことにアメリカ社会の運輸部門の会計に、それは大きな負担となっている。我々と中東の国々との紛争――その所有物を得ようとの我々の欲望――は、その大半がエネルギーをめぐってである。そして、以下に述べてゆくように、フリー・エネルギーを導入しようという私たちの探究は、世界の将来をめぐる重大チャレンジとなるであろう。 詳細記事 →
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「その日は、私たちが、場所、風、潮の干満、重力を動力源として利用した後、愛のエネルギーを神のために利用すべしとした時にやってくる。そしてその日、人類は歴史上で二度目の火を発見するのだ。」
テイヤール・ド・シャルダン
〔フランスのカトリック司祭、古生物学者、地質学者(1876-1955)〕
もしあなたが、近ごろ自分は「エソテリック」研究にいそしんでいると誰かに告げたら、彼らはあなたを、悪魔信仰に魅されたとか、死のオカルトに関わっているとかと言いふらすだろう。それほど、近代にあってエソテリックの研究は、ネガティブな含みを常とする。それはあたかも、科学の優位性や理解の方法を借りたトランプ占いともたとえられることらしい。そしてスピリチュアルとされるべき分野でも、無知が美を醜悪とさえ見させがちなように、不公平な評価すら与えられてしまう。 詳細記事 →
敢えての大言壮語なもの言いを許していただくと、サイエンスはもはや《ポスト・サイエンス》との次元に根ざさないでは、もう(それともすでに)行き詰まってしまうのではないか。そして、その《ポスト・サイエンス》とは、物や規模(お金)に焦点が当てられる”客観”サイエンスにはまり込んだ陥穽から抜け出るために、もっとヒューマン、そして敢えていう“主観的”なサイエンスへと血流を回復してゆく必要があると思います。近年、「心脳問題」を扱う脳科学や、意識の問題に照明が当てられるのも、そうした客観サイエンスが扱いきれない新たな跳躍領域への突破口を開きたいとする、時代に潜む暗黙の共有意志の表れのようにも考えられます。 詳細記事 →
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「彼らが、彼らに何もできない人をどう扱うかで、その人たちの本性を容易に見極めることができる」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
「アメリカ人が見たものは? 四州にUFO」。1965年8月2日、イリノイ州オルトンのイブニング・テレグラフ紙はこう報じた。
「昨夜から今日未明にかけて、テキサス、ニューメキシコ、オクラホマ、そしてカンサスの各州当局には、未確認飛行物体(UFO)を見たとの報告が殺到した。オクラホマ幹線道路警備隊は、車中の隊員がダイアモンド形編隊を組んで飛行している物体を30分にわたって見たと語り、ティンカー空軍基地は、レーダーで、高度2万2千フィートをとぶ四機のUFOを追跡した。カンサス州では、セドゲウィック群保安官が、気象局が高度6千から9千フィートを飛ぶ物体を追跡したと述べた。ある観測官は、その物体は「赤く、自然に火花を散らして爆発した」と語った。「目撃者らはおそらく、観測された方角からして、木星あるいは、リゲル、カペラ、ペテルギウス、アルデバランの星を見ていたのではないか」と空軍は述べた。
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新たな本と人に遭遇しました。その本とは、 『Future Esoteric』。そしてその人とは、その著者のブラッド・オルセンです。しかし、この本の日本語版はまだ出ておらず、自分で訳して読むしかありません。例の「訳読」の再開です。7年を費やし2年前に完了した『天皇の陰謀』に続く、「訳読」シリーズの第二弾です。おそらく、この仕事も容易ではなく、何年かを要するものとなるでしょう。そして彼は、私の「訳読」結果を、当サイトで出版することを承諾してくれました。 詳細記事 →
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「国の通貨を発行し支配すること、そして、その法の制定者でなく、私がそれを管理することを許可されたい」
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1744-1812)
お金は、近代生活のほぼあらゆる舞台での主役である。そして私たちのほとんどが、現行金融制度を当たり前のものと受止めている。だがそれは、私たちの全生涯にわたる重大かつ顕著な誤認である。お金はもはや「機能」していない。つまり、元来それは抽象的概念で、人々の間での交換を効率的にするために考案されたものだった。それが今日では、お金がお金を生むことができ、その概念は要するにギャンブルの概念――無から有を生む――を持ち込んだものなっている。そして、世界の会計基準および金融市場が人を欺くものと化していることによって、それがもはや本来の機能を失っているばかりか、実際に存在すらしていないという見方すらできるのである。つまり、その背後の全体をおおう、まったくの幻がある。それはほんの一瞬すらも実在ではない。だからこそ、私たちはそれを捨て去るべきなのである。それは、早ければ早いほど良い。お金の消滅は、大半の人々にとって、ユートピア世界の始まりを印すものとなるのである。 詳細記事 →
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トーラスとは生命体である
トーラスは、エネルギーの全宇宙を通した流れの様相である。宇宙は、あらゆる動的システムをなすトーラスをその本質として“生息”させている。トーラスは、どのような規模にも、拡大も縮小も可能である。科学者でもあり哲学者でもあるアーサー・ヤングは、トーラスは自らの再生を可能とする唯一のエネルギー形態あるいは原動力である、と説明する。トーラスは、竜巻や、〔口で作る〕煙草の煙の輪や、水の渦巻といった、身の回りのものと同一の実体から成る。トーラスの動力源は二つのトーラス、すなわち、この世の男と女といったような、「対トーラス」体を成す。それは、片半分が北極に向って回転する時、他半分は南極に向かって回転する。これはまた、「コリオリ効果」にも通じる。その実例は、地球の気象現象であり、太陽のプラズマ流である。さらにトーラスは、地球の磁界の形状にも見られる。ともあれ、それは宇宙のいたるところに存在している。 詳細記事 →
現在、私はどうやら、「ワームホール」に陥ってしまっているようです。しかも、最初は、架空上の体験にすぎないと高をくくっていましたが、どうもそれは、もっとリアルなもののようです。「ワームホール」とは、なんのなんの、なかなか見かけによらぬもののようです。前回のたとえ話で言えば、近道に気付いたドッグレースの一匹のドッグの心境です。そしてこれをもう少し実情に即して言えば、三次元の世界からもっと高次元の世界へと、「越界」をこころみる未体験の通路を、勇気をふりしぼって通りぬける、その不気味さと緊迫感です。 詳細記事 →
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総合統一場理論
Grand Unified Field Theory
〔ブラッド・オルセン著『東西融合〈涅槃〉思想の将来性』の
上記タイトルの章(原書 p.311-20)の前半部翻訳〕
前進は、疑問に答えることから生じる。
その答えに疑問を与えることから、発見が生まれる。
バーナード・ハイッシュ
〔ドイツ生まれの米国の宇宙物理学者〕
数学は神の言語だと言われてきた。しかし、今日まで、誰もその神の言語を使ってこなかったようだ。本章の前半は、2010年、ノースカロライナ州、シャロットで開催されたTED〔世界的講演会を主催している米のグループ〕で、ランディー・ポーウェルが行った「渦巻原理の数学〔Vortex Based Math〕」と呼ぶ講演に基づいている。 詳細記事 →