== 本書の《もくじ》へ 「もくじ」の中の《本章》へ == |
1964年8月30日の国連報告はこう告げていた。「世界の人口は急増している。そして世界の人口は増えているだけでなく、その増加率も加速し、年間の増加率は2.1パーセントに達している」。1962年半ばで、世界の人口は31億人であった。それ以来、毎年、フランスの人口を上回る6300万人が増加している。また、人口の爆発は発展途上国で顕著である。ヨーロッパの増加率は0.9パーセント、北アメリカのそれは1.6パーセントに対し、発展途上国のそれは、3から5パーセントにものぼる。そして、世界の人口の少なくとも20パーセントは、一つの国――共産国中国――に住んでいる。
50年以上前にたてられたこうした予測は、おおむね今日も続いており、人間がもたらすインパクトは遥かに大きなものとなっている。今日に生きる人々は、かつて見たことのない規模の増加を体験している。世界の人口は、1959年に30億人に達し、2050年には90億人をこえると予想される。人口爆発の過去をたどれば、1957年、33年間かかって世界の人口が二倍になり、それが次の28年間でさらに二倍となり、そしてさらに次の24年間でまた倍増した。2011年10月、世界の人口は公式に70億人に達し、この人口は、それを維持するには、少なくとも5つの惑星を必要とするほどのもので、適正な収容能力の14倍にもなっている。車に張られたあるステッカーはこう告げている。「もっとも環境に良い行動とは、子供を産まないことだ」。
人口過剰は、多くの懸念を生み出す一方、気候変化、生息環境の悪化そして種の絶滅といった、地球の環境問題の主要な原因となっている。バランスを回復するためには、人口を維持可能な5億人か、10億人を超えない理想的水準に引き下げるために、人道的な出生制限措置が導入されねばならない。この問題に加えて、人間はいま、かつて以上に長生きするようになっている。つまり、一つかそれ以上の地球に似た惑星を宇宙に見つけ、人口の部分をそうした新たな惑星に分散させなければならない事態にひんしているとも言える。さもなくば、さらなる窮乏、犯罪増、人間同士の嫌悪、巨大都市への人口集中、戦争、地球のほとんどの資源の枯渇までもの開発をはじめ、新たな病気の広がり、大量の飢餓の発生などをさらに悪化させることとなる。
人口増加は国によって異なり、ある国は伸び、ある国は減少している。世界の人口の42パーセントは、その人口成長率はゼロかマイナスで、そのほとんどが先進国(たとえば日本)であり、現在では人口を維持することも困難となっている。一方、世界人口の40パーセントは人口を増やしており、極東地域では1パーセントの成長率である。残りの18パーセントは急速な増加をみている。アフリカや南アジアはもっとも増加の早い地域であるとともに、もっとも貧しい地域である。
調査研究によると、女性が十分な教育を受け、出産保健サービスを受けている場合、より少ない家族を選択するという傾向が見られる。少なくとも10億人の女性が出産保健サービスを受けたいと望んでいるが、まだ果たされていない。人口問題とは、単に人間の数の問題だけではなく、増加する需要にこたえねばならない資源の問題でもある。現在、世界の人々の25パーセントには、電気が供給されていない。13パーセントは、清浄な水さえ得られない。6人に1人が、栄養不足か空腹のままでその日の眠りについている。世界の人口の5パーセントを占める国であるアメリカは、世界の資源の30パーセントを消費して、資源分配の不平等を助長している。つまりアメリカは、世界に対し、極めてよろしくないモデルを提示している。さらにアメリカは、世界の全弁護士の半分を雇用し、世界の軍事支出の50パーセントを占めるという、奇怪な特徴すら誇っている。
地球がこのような過酷な過剰人口をもっているということは、過去数百年にわたり、もっとも報道されてこなかったニュースである。ほぼ10億人の人々が日常的に栄養失調であり、さらに20年ごとにさらに10億人が加わって、飢餓は簡単には解決できない難題となっている。人口の増加はさらに資源の需要をよび、拡大する世界経済はさらに成長を必要とする。しかし、成長は、現在のエネルギー・システム――束縛状態にあって望ましい拡大が不可能――によって妨げられ、急速に枯渇の道をすすんでいる自然環境をさらに悪化させている。とるべき選択は明瞭である。私たちは、おのずからの変化に今取り組むか、将来、無理強いされる変化に遭遇するかのいずれかである。
現代文明は壊れやすく、純粋の自然の力か、もしくは私たちが自ら作った力によって崩壊する。隕石の直撃がこの惑星のほぼすべての生命に壊滅的打撃をあたえるのは確かである。また、最悪の自然災害は地球の軸の変化による南北の極地移動で、その新たな位置への移動は大陸移動を早め、火山は噴火し、地震はかつてなき被害をもたらし、引き起こされる津波は沿岸社会を壊滅させる。私たちの身の回りの生命はもはや存在できないか、永遠に変化するだろう。現在、地磁気はかつて観測されたことのない最弱の状態にあり、上記のような自然災害はけっして絵空事ではない。事実、磁北は年に55キロメートルの速度でシベリア方向へと動いており、磁南は年に5キロメートルというはるかに遅い速度であるがこれも動いている。地学的記録は、過去の長い歴史経過のなかで、磁極が幾度も移動してきたことを示している。さらに、おそらく地球の温暖化のために、両極の万年氷は、毎10年ごとに11パーセントづつ失われてゆくと見積もられている。
さらに戦慄的であることは、それが予防可能であるにもかかわらず、私たちが私たちに対してのみならず、地球のすべての生命にとってすら、何もなしえていないことだ。20世紀半ば以来、人類は、自身の愚かな戦争によって世界を滅亡させうる核戦争の可能性を残している。アメリカへのどんな核攻撃も反撃をもたらし、生物兵器の使用もありうる戦争のドミノ効果を引き起こして、この惑星を丸ごとのメルトダウンに陥らせる。
そうした全面戦争状態がたとえ回避されたとしても、私たちの惑星は深刻な危機にみまわれる。たとえ、いくつかのエコシステムが崩壊するだけでも、それはドミノ的波及をもたらすだろう。ひとつの自然災害は差し迫った結果を引き起こす。1950年に、地球表面の4分の1は森林におおわれていたが、それは今日、6分の1に近くなり、世界の海は、余剰な二酸化炭素をすべて吸収しきれなくなっているという事実を考えてみるべきである。主要な雨林の減少は、酸素を生産する惑星としての無能力をもたらし、生物の多様性を減じさせている。汚染、劣悪化した大気は、海を酸性化し、枯渇させている。樹木や藪の伐採は、地球の砂漠化を引き起こしている。土地の過剰農地化や渇水は、いっそう激しい嵐を作り出す。気候温暖化による両極の氷や氷河の減少は、海面の上昇をもたらし、沿岸社会を混乱に陥れている。ひどい渇水や洪水の頻繁化は、いっそう強力なハリケーンや竜巻を引き起こしている。こうした諸現象のドミノ効果は、終局的には文明の崩壊へといたりうる「世界規模の嵐」をいくつも起こしうる。たとえこの惑星が存続できたとしても、強度を増した嵐や異常な気候が、この先の数十年間に地球の各地を襲おうとしている。
毒された私たちの惑星は、人類の生殖能力をしだいに無くさせつつあり、奇形をもった新生児を増やし、自閉症と診断される子供の数を増加させている。私たちが現在食べ、飲み、呼吸しているすべてのものは汚染されている。工場方式で飼育された動物は病的であり、新種の病気を作っている。世界中の魚は、漁獲過剰によってひどく枯渇しており、海洋食物連鎖を途切れさせている。化合医薬品は、当初ほどの効能を示していない。新たな外来病、疫病、ビールス、そして寄生虫が世界的に出現している。毒された惑星はもはや無責任に繁殖した70億人の人類を維持できなくなっている。ホモサピエンスはこの惑星の主であり、その変化がどれほど困難であろうと、維持可能な生き方を学ばねばならず、さもないと、その結果は恐ろしいものとなる。もし私たちが自分たちを制御し、この惑星を尊重できないなら、人類は結局、自らの愚かさの犠牲となる。
私たちは、種としての有利性に立つ以前に、私たちが依存するこの惑星上の生命の稀有なバランスを維持する問題に取組む必要がある。海洋生物はいまや、この数百万年間の出来事のなかでの最悪のリスク――完全に人間活動が作り出した結末――にさらされている。海洋は、大気と水の汚染による悲惨な窮状にあり、陸地からの肥料の流入、壊滅的な過剰漁獲そして全地球的気候変化による、それぞれの、あるいはその混合による、全体的エコシステムの崩壊の危機にある。海洋学の世界の専門家たちは、眼前にある海洋変化の規模と深度に驚愕している。こうしたあまりにも深刻な状況は、私たちのあらゆる段階での、決然とした行動を要求している。人間が海洋やその累積した結果になしてきたことの意味は、どんな科学者が想像できることよりもさらに悪い状態にいたっている。
1960、1970年代の海洋投棄禁止法が成立するまでに、何世紀にもわたって海洋に捨てられた物質の種類や量についての有効な歴史的記録は存在していない。1968年に最初の調査が発表された時、掘削残土が3800万トン、産業廃棄物が450万トン、下水汚泥が450万トン、石油製品(主にプラスチック)が1億トン、2から4トン〔ママ(著者に確認)〕の化学廃棄物、そして1億トン以上の重金属が海に捨てられた。アメリカの保存資料によれば、1946年から1970年の間に、5万5千個以上の放射性廃棄物入り容器が太平洋の3か所の投棄場所に捨てられている。さらに、1951年から1962年の間に、3万4千トン以上の放射性廃棄物がアメリカの東海岸の3か所に捨てられた。1972年まで、放射性物質の投棄を取締まる法律はなかった。こうした毒された海洋環境にあって、もはや、海産物を常食とするのは安全ではない。4つの理由で、私たちは海産物を摂るべきでない。(1)水銀の高含有量、(2)北太平洋全域に広がる福島の放射能汚染、(3)種の絶滅、(4)1世紀以上にわたる容赦ない投棄による有毒物質の蓄積。私たちは、おそらく、海産物を消費する最後の世代となるであろう。
最後の大規模な絶滅は6千5百万年前に起こったが、人類は今、自身の大規模な絶滅を起こしつつあり、それはおそらく、数十年先のことに過ぎない。一例として、わずか百年前、「10万頭の象の国」として知られた小国ラオスだったが、今日では、世界全体でも、3万4千のアジア象が残っているだけである。同時に、動物ジェノサイドの否定的軌跡は、人類の爆発的増殖を妨げるものにもなっている。
ミツバチの消滅は、ことに人間にとって、もっとも当惑させられる種の死滅である。ハチは、私たちのエコシステムを維持する上で要となる種で、もっとも不可欠なものである。約10年前、この惑星より、ミツバチが不可解に、その死体すら残さず巣箱から消え始めた。Colony Collapse Disorder (CCD)〔群体消滅症状〕と呼ばれたこの現象は、その後も悪化の一途をたどった。CCDは、全北アメリカ大陸に加速的に広がっていった。何が起こっているのか。ハチはちはどこに行ってしまったのか。科学者たちは困惑した。環境学者たちはただちに、その原因の一部は化学殺虫剤にあり、そしてGMO〔遺伝子操作〕穀物の花粉がそれを悪化させているに違いないと疑った。当然に、化学産業は全力をあげてその可能性の隠蔽に奔走し、世界の虫媒植物は壊滅的な個体数の減少にさらされた。それにしても、その死体はどこにあるのか。ハチの「関係者」(あるいはその事情通たち)は、ハチはストライキをしており、世界のために尽力するつもりはないのだとほのめかした。唯一、エソテリックの分野のみが、そうした説をまともに取り上げたのだが、重要な点は、動物の世界には理性があり、専門家は断言まではしないものの、有害な殺虫剤の使用停止は、正しい方向への第一歩だとした。もし、何らかの理由によってハチたちがストライキをしているのであるなら、彼らの環境が改善された時、彼らがもどってくるというのは理由あることである。
いったんあらゆるミツバチがいなくなることで、私たちは自分たちの無関心の意味を痛感させられた。蜂蜜業の運営は、私たちの栄養をまかなう食物の3分の1を提供する穀物の受粉に役立っている。ほとんどすべての果物とナッツは、ミツバチによって受粉している。CCDは、菌類か、それともカビか、あるいはビールスによるものなのか。ハチには何が病原体なのか。新たなビールスが出現しつつあり、その発見に幾年もついやするのか。もちろん、新たな科学や研究者が、ミツバチを救う競争に参入するだろう。彼らは、この得体の知れない問題の中から、何らかの要因――栄養素、ビールス、病原体――を発見するだろう。いずれにせよ、今のところ、CCDを治癒する道は見つかっていない。
2013年5月のロシア大統領ウラジミール・プーチンと米国務長官ジョン・ケリーの会談の議事録によると、オバマ政府が世界的な生物遺伝操作種苗巨大企業のシンジェンタとモンサントを擁護し続けているということに対し、ロシアによる「強い憤り」が表されていた。それはことに、拡大する「ハチの大変化」に直面して、クレムリンは「世界戦争を間違いなく引き起こすものとなる」と警告した。ロシア連邦自然資源環境省(MNRE)は、クレムリンをつうじて報告書を発表してこう宣言している。「世界でもっとも広く用いられている種類の殺虫剤――ネオニコチノイドと呼ばれるニコチンに類似した薬剤――による影響の研究の一部として、米国鳥類管理局(ABC)は、種子の保存のためにその使用の禁止と、鳥類、水中無脊椎動物そして他の野生動物に影響を与える生産物に関して行われた独立した調査研究のすべてを適用停止する措置を撤回するように求めた。」
注目すべきは、この報告が、バイオテック巨大企業モンサント、バイヤー、ダウ、デュポンそしてシンジェンタが、いまや世界の遺伝操作殺虫剤および種苗市場の99パーセントを支配していることを指摘している点である。プーチンは、この重大な問題について討議することのオバマ政権による拒否――オバマは予定された外交特使としてモスクワに到着したケリーに合わせることすら3時間にわたって拒否――に大いに立腹した。だがプーチンは、両国間の亀裂がより拡大する原因とならぬよう気持ちを静めた。米露間のこの対立の真っただ中で、このMNREの報告書は、ネオニコチノイドとして知られている化学的にニコチンと同類の神経活性殺虫剤が私たちの惑星のハチ類を壊滅させているという「議論の余地のない実証」は、〔そうした企業が〕私たちの世界がかかえる人口に十分な食物を成長させるという能力をも壊滅させている、と述べている。
多くの人々はまだ、世界の海に広がっている、プラスチックやゴミの渦状海流の存在についての認識を欠いている。その最大で最深のものは、北太平洋の渦状海流で、それはあたかも、この惑星の最大のゴミ捨て場のごときである。全米科学基金がスポンサーとなって行われた最近の調査は、その影響圏はハワイ州の2倍の広さにおよんでいると推定している。「五海流プロジェクト」は、現在、太平洋には1億4300万トンのプラスチックがあると見積もっている。そうした海流を特集して論評した最近のPBS〔米国公共放送サービス〕の番組によると、そのゴミ捨て場の中には、世界の海洋の中の魚類より多いゴミの品目数があるという。
海洋学が言う渦状海流とは、回遊する海洋流の大規模システムのことであり、ことにそれは、大規模な風の動きに関係している。その渦状海流は、コリオリの力によって起こされる。この力は、水平および垂直の摩擦に関係した惑星上の旋回流で、大気の流れの循環パターンを決定するとともに、ゴミの集まる海域も決定してしまっている。海に捨てられたゴミの多くは、汚れた川から流れ出している。今では、主要五大海流はすべて、巨大なゴミの流域となっており、その〔ゴミ捨て場の〕多くは、テキサス州ほどの広さがあり、さらに海中に深さ何百メートルにもおよんでいる。プラスチックはすぐには分解せず、ゴミ海流の主な構成物となっている。
問題をさらに複雑にしているのは、2011年3月に北日本で生じた地震と津波の後、被害を受けた福島の原子炉が、放射性粒子を土壌、大気、海へと垂れ流しており、その影響が予測できないことである。さらに、その津波によって海に流れ出した瓦礫は、報道によると、2011年の12月半ばまでに、科学者が予想したよりも1年早く、北アメリカの西海岸に漂着し始めている。アラスカのバンクーバー島やアメリカの西海岸の住民は、大量のボトル、缶、がらくたなどの漂流物を発見している。そうした瓦礫は、日本から流れ出た1800万トンの瓦礫の一部で、太平洋を横断して、全アラスカの広さに匹敵すると考えられる海域に漂着している。こうした瓦礫や放射物による太平洋のエコシステムへの影響は測り知れない。2013年、北アメリカ沿岸沖のマグロから放射能が検出され、甲状腺異常から死亡した海洋動物の最初の例もあらわれ始めている。福島の瓦礫の多くは、最終的には、すでに漂流している北太平洋の大量のゴミ流域に加わるものと見られている。
「北米殺虫剤アクションネットワーク」によると、アメリカのみで、毎年、10億ポンド〔45万トン〕以上の殺虫剤が使用され、アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)には、使用中の1万8千種の殺虫剤が登録されている。そうした殺虫剤の多くは、その化合物が分解するのに長期間を要し、目的とした害虫を殺した後も、何十年以上も存続する。広範囲な科学調査は、全米の地下水、飲料水そして野生生物に広がりかつ浸み込んだ殺虫剤汚染を確認している。そうした殺虫剤は海洋にも流れ込んでおり、病んだ海の問題をいっそう深刻にしている。
海洋は、陸地より30パーセントも多く二酸化炭素を吸収し、それだけ急速に自らを酸化させている。上昇する地球の気温や熱帯地方の海洋の化学物質の含有は、酸化漂白によるサンゴ生物の死滅によって、それを餌とする1万5千種の小魚類を消滅させる危険をもたらしている。サンゴ礁は、海の中でも最も生物多様性をもったエコシステムである。過去20年間に、世界の44パーセントのサンゴ礁が消滅している。フロリダのキーズのような区域では、80パーセントのサンゴ礁が消え、将来はもっと暗澹なものとなっている。過去一世紀の間での無制限な漁獲の結果、90パーセントの商用魚類が、もはや海から姿を消した。私たちは、こうした壊れやすい世界を、さらに破壊するのではなく、養育する道をただちに発見しなければならない。人類の増加をただちに減少させなければ、私たちの将来の世代を救うことはできない。そして今や、世界中において野生生物の狩猟や流し網漁業を禁じる時である。
カルマや我々がこれまでに行ってきた因果の繰り返しの視点にたって考えれば、人類は様々な運命や暗鬱の終末を負うに足る存在である。人々は、すべての地球上の生命と宇宙の地球外の生命を含む、あらゆるものが関連していることを認識する必要がある。私たちは地球を壊滅するまで消費し、そのあとに、途方もない混迷を残そうとしている。人間は、この惑星のあらゆる曲がり角を、文字通り、通り過ぎてきてしまった。私たちは、今や、立ち止まって自分の破壊的行動を振り返り、そしえ地球の生命の多様さに感謝することを学ぶ時である。私たちは、この惑星上の動物たちを、厄介なものとか狩猟のための対象とかと見るのではなく、それを愛する必要がある。もし私たちが動物を自分たちと対等なものと見、それが見せる多様性を歓迎するならば、私たちはおそらく、自身の恐ろしく破壊的行為の多くを逆転させることができるであろう。
動物たちは、本能をとおして意識を表現する。人間は、本能に加えて、高度な意識、すなわち、自己認識を持っている。マグパイは、自己認識の兆候をあらわす唯一の鳥類である。内省思考は、広げられた自己認識であり、動物と人間の違いの最大のものである。内省は、自分自身についての意識を変え、自分自身を知り、ことに自分の知っていることを知る力である。数学や物理学を学び、哲学や天文学を理解することは、人間の内にむかって内省する能力によるものである。
わずか三種の動物が、人間以外に道具を作ることを知っている。それらは、ゾウ、サル、そしてニューカレドニア・カラスである。これら三種の進歩した生命は、その生涯を通じて、認識の発展を示す。この三種はすべて、仲間とのコミュニケーションを行うことで知られている。例えば、カラスは、人の顔や、仲間が撃たれた農場や、攻撃されたタカを覚えている。彼らは、その記憶を2年間は維持しており、それを仲間のカラスに伝える。カラスはまた、針金製ハンガーを巣作りに用いることでも知られている。日本で見られるように、カラスは針金製ハンガーを電線の上で使って停電問題を起こしたりもする。カラスは、その脳の体重比率が霊長類のそれと同じことから、「羽のあるサル」とも呼ばれる。カラスが知っている「言葉」は250あり、ゾウやチンパンジーとほぼ同じである。
チンパンジーは、動物界のなかで私たちにもっとも近い親戚であり、私たち自身がなにかについて教えている。チンパンジーは、新たに得た食物を分配する際、どんな形にせよ、仲間と分け合うことはない。彼らは、それが誰であれ、できるだけのものを取ろうとする。チンパンジーは、仲間の群れが通った道をたどろうとはしない。研究者は、「獲得物を分け合う」ことはこの50万年間のどこかで生じた行動で、類人猿が集団で探し狩猟することを始めた時であると見ている。「分け合う」行動をとる動物たちは、安定し、継続する相棒を持つことができた。類人猿は、小さなチームでいっしょに働くことで、一人で得られるもの以上の獲得ができることを発見した。
野生のチンパンジーは、道具を作ることができ、その遺伝子の98パーセントは人間と同じである。チンパンジーは、人間の感染病にかかり、棒を道具として使ってアリを食べ、そして複雑な社会構成をなす。チンパンジーはまた私たちのように暗く、獰猛で、むごい側面を持ち、他の群れのチンパンジーを殺すことでも知られている。密猟や個体数の減少に加え、人間による侵入と狩猟による狭まる環境は、チンパンジーを絶滅に向かわせている。タンザニアには、50年前には百万頭のチンパンジーがいたが、現在は30万頭が残っているのみである。
サルは経験する賢さと記憶する知恵を持っている。複数の類人猿がひとつの群れとなった時、サルは天敵を警告したり食物を知らせたりする「多数の言語」を使うことで知られている。それぞれの類人猿は、違った発声をするが、たがいに何とか理解することができる。8種かそれ以上のサル類は120以上の「言葉」を持っている。コスタリカのサルは互いに多数の言葉を持っている。彼らは、ユリの根を採るために水に潜って泳ぐことや、泥のついた食物を洗うことを学んでいる。彼らは、敵の鳴き声の声色をつかって同類のサルを追い払い、争い合うことなしに食物を得たりもする。人間と同じく、サルの中には、仲間を殺したりもする。ヒヒは類人猿のなかでもっとも獰猛で、他のサルを食物とする。人間は競争や社会性の上でサルと似ており、双方は道具を使う。サルは棒を虫を採るのに使い、ナッツを割るのに石を用いる。
動物が仲間とコミュニケーションをとる能力は、種の知性を測る尺度となる。イルカの行動は、飼育あるいは野生の双方ともに、人間によって詳細に研究されてきた。今や私たちは、イルカやクジラが、複雑な水中言語を用い、人間と同じような社会を持っていることを知っている。
イルカは、高い鳴き声で「話し」し、互いをあらわすファミリーネームを持っている。イルカの鳴き声は、水中を、空中より遠いところまでとどかせることができる。鳴き声の音でオスは群れをつくって遊び仲間を集める。研究者はそれを、異性の仲間を魅せる方法と考えている。対抗するオスの群れは、別の群れを冷やかしたり脅かしたりするが、暴力を使ったりはしない。母親と子供たちは、5年間にわたり、密接な接触を続ける。想像力があり、好奇心をもち、体験や遊び好み、そして柔軟な行動様式は、イルカの知性を表す指標である。
人間とイルカやクジラは、驚くような知的親類関係を示してきた。シャチは、初期の人類に似て、ザトウクジラを狩猟するために、群れを組んで行動する。同様に、違ったクジラ類が、群れをなして魚の大群を襲い、集団食餌を楽しんでいる。狩猟は、親から学んだ学習技量で、他の動物界に多くみられるものではない、一種の創造的知識である。賢いイルカはよく、タコが隠れ場所から出てくるのを待ち伏せしているエイの上でじっとしている。そして獲物が出てきた時、イルカはすかさず襲い掛かり、その成果を横取りする。これは、進んだ知性の証明でもある。イルカは頻繁に、水族館の鏡をのぞきこみ、自己認識を持っていることを表す。イルカはまた親しみを表し、人間が危害を加えないとわかると、友人になろうとする。情緒的な認識は、脳の紡錘細胞で検知され、人間と同じように、イルカの脳はそれを伝える。
エコーによる位置検知は、クジラやイルカが獲物を捕らえる方法である。マッコウクジラは、海底にひそむ巨大イカの地球最大の有歯天敵で、それをエコー検知でみつける。イカとマッコウクジラの生存をかけた劇的な闘いが始まると、イカがマッコウクジラを溺れさせればその勝利となるが、それはまずありえない。というのは、マッコウクジラは大量の酸素を血液のなかに蓄えており、信じ難いほど深く――3千メートル以上――まで潜水、あるいは1時間以上も海中に留まっていることができる。マッコウクジラの唯一の天敵はゴンドウクジラで、その3分の1ほどの身体の大きさながら、群れをなして襲うという武器をもっている。同様に、マッコウクジラは、大群の魚を集団で捕らえる強みをもっている一方、シャチは、マッコウクジラの子供をやはり集団で襲う。クジラの最も近い親戚はカバであると考えられる。マッコウクジラは友情を何年にもわたって維持すると見られている。彼らは、仲間の死には悲しみを表す。
イルカはよく地球上のもっとも知的な動物の一種とみなされるが、それがどの程度かを示すのは困難である。種の違いによる知性の程度を比べるのは、感覚器、反応形態、そして認識の性質の違いといった複雑なものを調べる必要がある。さらに、大型の海洋哺乳物をつかった実験の困難や必要費用のために、意味をもった試験が実施されたことはなく、されたとしても、不適切なサンプル数や方法しか持っていないものである。
イルカは、人間の文化の中で、長きにわたって神話的役割を演じてきた。彼らはギリシャ神話で、モザイク画からコインの模様まで――例えば、イルカの背に乗った男あるいは少年――広く描かれている。古代ギリシャの船員は、彼らを喜んで迎えた。イルカがその航跡を追う船は安泰な航海のよき知らせと解釈された。イルカはまた、クレタ文明では、クノッソスの廃墟となった宮殿における芸術の存在から、重要なものであったと判断される。ヒンズー教の神話では、ガンジス川のイルカは、その神であるガンガに関係している。イルカが人間を溺れから救ったとか、難破船の船員を安全に導いたという話は無数に残っている。
地球の動物相をこえて、人間はまた植物相とも深い関係をもっている。結局、どの種も自然の網目の中にある。そしてその外に挑もうとすることは、健康なことではない。だが現在の私たちの世界にあっては、すでにバランスは失われており、その食物供給は遺伝子操作有機世界(GMO)となり果てている。GMOが出現するはるか以前、世界の農家は、より強くより実りの多い穀物をつくるため、有機的な交配を行っていた。例えば、リンゴは中央アジアを原産とするが、いまでは世界のいたるところで、さまざまに異なった方法で育成されている。生産者は、いっそう甘いリンゴを欲し、また輸送しやすく、新鮮さや味がより長く続くように育てられた。カザクフスタン原産のリンゴは、たくさんの変種をもつに至っている。接ぎ木――好ましい種を新たな植物に取り付ける技法――は、新たな遺伝系統を作るために続けられている。単種の単一栽培は、すべてが同じであるため、その種から長生きと混合の機会を奪う。一農場あたり数百万もの虫類は化学薬品によって駆除されてしまった。遺伝子操作は、リンゴの木を強く効率を高めるため、DNAを変化させる方法を提供した。
性は多様性を作り出す。雌雄交配実験は、多様な系統をもたらす。酸素供給という生命維持機能を持ちながら、樹木や草は、人間が選んだ穀物や家畜動物を育てる土地を切り開くために伐採されている。例えば、花は、食物としては無用な特別の植物でも、数百万ドル産業である。また、異常な必要をもたされた植物がある。その一つは、人間の意識を変えるものである。マリファナは精神の拘束を解き、その使用者に意識の新領域を体験させることができる。メスの大麻の樹脂は、マリファナの精神作用をもたらす成分である。その他の自然あるいは合成ドラッグは、精神の拡大の手段となる。ポット〔炭酸カリウム〕は数千年前、最初、中国やインドで発見され、鎮痛剤として用いられた。大麻は熱帯植物だが、様々な地方で農民によって育てられた。今や、戸外ばかりでなく、人工的な温度、光、水供給を操作した人為的環境によって、屋内でも育てられている。マリファナは雑草にすぎないが、自由市場では、キロ当たり数千ドルで販売されている。
音楽は今日、植物の可能性を引き出す道具として使われている。フランスの外科医で音楽家のノエル・スターンハイマーは、メロディーは植物の成長を助けうると述べ、彼の作曲方法を守る国際特許を申請している。彼が適用する音階は無作為なメロディーではない。彼は蛋白質のアミノ酸に呼応する音階を選び、全音階は蛋白質全体に呼応する。スターンハイマーは、植物が適正な音階を「聞いた」時、より多くの蛋白質を生産すると主張している。彼はまた、蛋白質の合成を阻止する音階について書いている。簡単な物理学をもちいて、彼は、そうした聴きうる編曲が可能で、分子レベルで生じる量子振動は、アミノ酸から蛋白質が作られる時に起こると述べている。スターンハイマーは、実験では、彼の音階を与えられたトマトは、そうでないものより、二倍半の大きさに成長したと主張している。彼はさらに、トマトをモザイクビールスに感染することから防ぐために、そのビールスに不可欠な酵素を妨げる音階を用いて、成功したとも主張している。その音階はとても短く、一度のみ演奏されたとしている。スターンハイマーは、そうした音階は人間にも効果があるので、それを使う際は、使い過ぎにならないようにと欲深な者に警告している。彼は用心して、「それを演奏するよう、音楽家に求めてはならない」という。彼によれば、チトクロームC〔色素蛋白質で細胞呼吸の酸化還元反応を助ける〕のための音階を頻繁に演じた後、彼の音楽家の一人が呼吸困難に陥ったことがあると述べている。
人間は、私たちがこの世界で作り出すカルマの放出者であり、受容者である。生命は変化に満ちている。人間がいようといまいと、それはその道を進んでゆく。生命は永遠にダイナミックで、絶え間なく創造的で前進してゆく。私たちはみな、綿々と永遠に連続してゆく存在で、終わりのない開拓の道を進み、身体かつ霊性の両面にわたり、常にわずか少しづつながらの進化を遂げている。私たちはけっして縮小せず、つねに拡大している。私たちは、眠り込んだり、意識をなくすことなく、活性的で、覚醒し、そして気づきを持っている。私たちは誰も、自分の行動について多種の責任を有し、ゆえに、私たちは私たちのより高位な自身に耳をかたむけなければならない。私たちの内には何ものかが存在し、永遠なるものをたたえることを指し示している。自分の内の音楽に耳を貸そう。光をもって歩み、最小のインパクトを残すことに努めよう。
人間は富んだ想像力がゆえに、動物界から自らを切り離して、それがゆえに祝福され、かつ、呪われてきた。動物が本能に従うところを、人間は自分の感覚と「知性」に頼ってきた。物質界における私たちの君臨は私たちの役割をこの惑星上の執事となるべき役割をより明白にさせてきた。私たち人間はいまや、良きに悪しきにつけ、もっとも上位の種となり、ほぼすべての命ある存在の保存に重大な責任をもつに至っている。命の壊れやすさと自然の尊厳ある力は、微妙なバランスをもって共存している。
人間はその感受性を高め、自然界との協力を強めなけらばならない。あらゆる生命は、いかに隔たっていようと、相互に関連している。私たちは、相互依存し合う複雑な網の中で、互いに、かつ、それぞれに、結び付き合った一動物に過ぎない。仏教やヒンズー教は、人間界と動物界の双方の輪廻を説く。こうした構成に含まれて、動物の霊性は、人間へと生まれ変わっていつかはその霊性にかかわる。あるエソテリックな教えによれば、すべての人々は一度は動物として生きていたのであり、その需要は、〔世界の〕理解を変化させている。2012年12月、著名な科学者の国際的グループは「意識に関するケンブリッジ宣言」に署名し、動物は人間と同じ程度に意識と気づきをもっているとの考えを支持する宣言を行った。彼らによると、意識ある――記憶能力はない――動物には、すべての哺乳類、鳥類、そしてタコのような頭足類タコ目などのリストがあがっている。
終局的には、すべての生命にとっての平等主義が資本主義を超えて打ち立てられる必要がある。あらゆる人間と動物は平等な権利――資源の等しい使用を含む――をもつとする、一つの世界条約が結ばれなければならない。何事についても、資源の抱え込みは犯罪となる。この構想にもとづき、あらゆる生き物には、ともに存在しうるという平等な権利が与えられる。むろん、惑星地球それ自身すらこの権利をもつ。そうした世界条約の下で、地球の乱用は世界法廷で裁かれる重大な犯罪である。国連の人権宣言第3章は、「すべての者は、人としての、生存、自由そして安全の権利をもつ」と述べている。国連は、地球上のあらゆる命ある存在の権利を認める宣言を通すべきであり、最初の量子活動家となるべきである。結局、もし私たちが原子からなっているとするなら、原子を研究する科学者は、自分自身を研究する真の原子集団であるはずである。
【本章終了】
参考文献
== 本書の《もくじ》へ 「もくじ」の中の《本章》へ == |
Modern Esoteric: Beyond Our Senses, by Brad Olsen
http://cccpublishing.com/ModernEsoteric www.bradolsen.com
with permission, (c) Brad Olsen, 2015