私は先に、数年を要してデービッド・バーガミニ著の『天皇の陰謀』を訳読し、7年前にそれの本サイトへの連載を完結しました(本号に関連記事)。そこでですが、最近の中国の国家主席の行いを見ていると、この先あるまとまった年月の審判をへた時、この『天皇の陰謀』に続くかのように、多分、『国家主席の陰謀』とでも題した、その中国版の類同書が著されるのではないかとの思いを、日増しに抱くようになっています。つまり、裕仁〔ヒロヒト〕と習近平〔シー・ジンピン〕は、ほぼ同じように過信された、誤った方向に国家・国民を導いている点では、同じ道を選んでいる、同等な使命を強固に自認している人物同士と考えられるからです。 詳細記事

「スライブ」とのタイトル

〈連載「訳読‐2」解説〉グローバル・フィクション(その76)

タイトルの「スライブ」ですが、「スライブ(thrive)」という言葉には、ぴったりとした日本語が見つからず、原文のままを用いています。英英辞書上では、その単語は「(of a child, animal, or plant) grow or develop well or vigorously.」とある。訳せば「子供や動/植物が良く、生きいきと育ち、伸びること」となります。そういう、生命の活性ある姿がこの部のテーマとなっています。

すでにこの部では、「寿命200歳への展望」「意識の科学」そして「身体・心・霊性」の三章については翻訳掲載済みです。

そこで今回以降は、それらに続く「輪廻転生」から始めて、それ以降の章へと進んでゆきます。 詳細記事

『天皇の陰謀』訳読 その後4年:学術論争という《読み違い》

〈連載〉ダブル・フィクションとしての天皇(番外)

かって日本が戦った「15年戦争」あるいは「アジア・太平洋戦争」は、結局、何であったのか。ことに、私自身はその直接の体験はないものの、1946(昭和21)年8月20日生まれというまさに皮切りの戦後世代――つまり初の「平和世代」――として、その戦争のもたらした「直後」の結果の中で育ち、そこに生きてきました。そうした世代だからなおさらなのですが、上にあげた問いが、なんとも“重たい”その本に私をかかわらせた始まりでした。

4年前の9月初め、私はおよそ8年を要して、デービッド・バーガミニ著の『天皇の陰謀』の原書(写真)を読む私的作業――訳読――を終えました。私のこの作業は、その結果を順次本ブログに公開していため、その後しだいに、当初は予想すらしていなかった広範な読者を得るようになりました。今では、私のこの特定サイトには、毎日確実に100名をこえる、日本ばかりでなく海外からもの訪問者があります。中には、累計200回なぞもゆうに超えて繰り返し訪れられていられる奇特な読者が何人もおられます(こうした反響は、出版ビジネス式に言えば、厳しさしか予想されなかった作品のロングセラー商品への“大化け”です)。こうした進展は、その作業実行者としての嬉しい驚きばかりでなく、本書へのそれだけの根強い関心があるがゆえと受け止めています。

しかし、その後のこの4年間で私が目撃してきているものは、このバーガミニの著書が、その著者もろとも、信頼に値せずと烙印を押され、いわゆる言論界――つまり、商品としての言論市場――からあたかも抹殺の憂き目にさらされていることです。

私には、学術論争として展開されているそうした経緯がどうも胡散臭く見え、本稿は、より問われるべき問題が、むしろ、史実解釈の真偽問題に置き換えられることで不問に向かっている、すなわち、天皇の戦争責任という問題の取り上げ方自体が、そもそも、その戦争の真相隠しの煙幕に使われている――その「無告発」でその戦争は《両国にとっての「義」》とすらなった――ことだと見る試みです。
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