今号の目次

【撮影者 山本 哲朗】

名前:花菖蒲

撮影場所:新宿御苑

コメント: Tokyo入梅   活動自粛要請も全面的に解除、都知事選の公示もあり、街に賑わいが戻って来たが….。

希望的楽観と漠とした不安が入り交じる気分で花を求め、野に向かう。

 

本シリーズでは、コロナ・パンデミックについて、いくつかの設定を敷いてそれを考えてきた。しかし、それでもまだ残されている“極め付け”の設定がある。それは、コロナ感染が正真正銘な《自然現象》――これまでの設定に含めた人為要素を排した純粋な自然現象――として起こっているという設定である。そしてそのために、これまでとは異なったアプローチの枠組みをもってのぞむ。つまり、自然の仕組み――ことにエコロジー体系――は、人類が登場するはるか以前から存在しており、その摂理にそって進化もしてきているはずである。その自然の延々たる変遷上でいえば、そうした人間の作為なぞ、最後の些細な瞬間に生じている微々たる要素にすぎない。だがコロナをその壮大な変遷から見た自然現象とする場合、それに応じた新展望をもたらす可能性がある。今おこっているコロナ騒動のように、世界が揺るがされる度ごとに登場するまたしてもの新標語「ニューノーマル(新常態)」に踊らされないためにも、この設定の効果が期待されよう。 詳細記事

今回もコロナについて考えるのだが、議論を進めるにあたって二つの設定を置きたい。ただし、この設定には、余りに極論だとの異論があるはずだ。しかし、そもそも設定とはそういうもので、そういう条件をあえて与えて考察の位置を明瞭にし、議論をより精密にするためのものである。そして結論では、そうした設定から得たものと、その設定のないものとを見比べ、私なりの見解を見出したい。

まず、そのひとつ目の設定とは、世の大勢に反して、その感染による危険性について、それは「大したことはない」というものである。ことに、それを「致死的感染」とするのは過剰反応で、そこには可能性として「恐怖心の植え付け目的」を疑うべきものがある。そしてその恐怖心がゆえの、感染制圧のための経済活動の停止と、その結果の「生活破壊」までもが容認されている。すなわち、感染の危険度とその対策による社会生活の制約度に、アンバランス――平たく言えば「コスパ」の悪さ――がある。

二つ目は、さらに、この過剰反応は意図的とする設定で、その目的が、世界の投資家にとっての投資効果の確保、拡大にあるとするものである。それは、片やで世界の実体経済の行き詰まりがあり、他方でじわじわと進む企業活動の社会的責任を問う締め付けが広がるなどの収益環境が変化しており、そうした流れを変えるために、むろん「資本の論理」に立った、《超法規的効果》が期待される手段としての疫病利用とするものである。次元は違うが、そうした感染対策にあたる政府にとって、疫病の恐怖は、国民を従わせるには都合よく働く。

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【撮影者 山本 哲朗】

名前:カラー(Calla lily)

撮影場所:東京都文京区

コメント: 花言葉は「華麗なる美」「乙女のしとやかさ」「清浄」 詳細記事

前回では、コロナ危機をめぐる「資本の論理」〔Logic of Capitalist〕の関わりを、歴史的な足跡をたどって探索し、それがこの危機の不可視な頂上推進者であることを推論した。ならば、その推論をさらに進め、現在進行中のこのコロナ危機においても、その「資本の論理」の果している実際の――ひょっとすると予断をもくつがえす――「推進」がないわけはないだろう。それについて考えてみたい。

その考察に当たって本稿では、これまでのような「人為説」や「自然説」といった二分法はとらず、むしろ、その両者をあえて分けないアプローチ、言わば《人為自然両属》説をとる。というのは、今の世界の趨勢を見渡せば、そのウイルスの正体解明もすすまぬまま、人類は、防戦一方の感染抑え込みの戦いに奔走させられている。それはあたかも、コロナウイルスの先制攻撃により、人類のヘゲモニー(主導権)が乗っ取られたのも同然な様相であり、いかにも不気味な発展である。

つまり、現在、世界で進行していることは、その感染発生の人為説や自然説といった順当な設問など、はなから吹っ飛ばされたにも等しい設定が先行しているかのごとき「事件」である

それがパンデミックの現実だと納得できる人はそれもいいだろう。だが、人類は、WHOという専門の世界機関も持ちながら、あるいは、ウイルス感染ほどの体験ならこれまでに幾度もしてきたはずなのに、この現在の発展は、じつに変である。

帰するところ、人類はいま、「天災」と見まがう、異論をはさむ余地のない「ウイルス犯事件」によって、突如、大きく変質させられてしまう「不連続な変貌」を体験している。だから私はこれを《人為自然両属“事件”》と受け止める。

今のコロナ危機は、そうした極めて異様な状況をもたらしている。しかもこの事件はなお、いかにも人為臭い側面を、しぶとく留めたままである。 詳細記事

【撮影者 山本 哲朗】

名前:葉桜

撮影場所:小石川植物園

コメント:花ではありませんが。

Tokyoは梅雨入り前の良い季節を迎えております。

新緑といふしづけさと明るさと  稲畑汀子

【撮影者 山本 哲朗】

名前:チューリップ

撮影場所:神代植物公園

コメント: 5月5日は立夏、Tokyoは今、初夏の風情。梅雨前の、一年で最も良い季節を迎える。そして、いわゆる golden week 詳細記事

それにしても、ほんの数週間で一国を、わずか数カ月のうちに全世界を、これほどまでにも激変させてしまう新型コロナウイルスとは、一体、何なのか。これは今、世界の誰もが抱いている疑問だろう。ただ、それを、人類を襲うそれ程の歴史的疫病がゆえと納得するのは早計すぎるのではないか。むろん病原体が悪さをしているのは確かだが、そうした《病原体単独原因説》は、こうした世界規模の疫病に関する限りは「木を見て森を見ず」で、あまりな単純視だろう。そこで本稿においては、そうした「コロナ釘付け」の議論は大勢に任せ、このコロナ危機が、なぜこの時期に、かくも根こそぎに世界を揺さぶっているのか、そうした背景を含めた間口を広げた考察をこころみ、合わせて、コロナ後の世界がどうなるのか、それもうらなってみたい。 詳細記事

前回の「『理論人間生命学』の独自サイト設立準備(その2)」では、新型コロナウイルスについて、それを人類の自覚をさとすかの「点火装置」とたとえた。だが、いまだにその挙動に謎の多いこの病原体について、どうもその役どころはそれにとどまらず、どうやら、人類の向かう方向をリセットさせる「通告者」の使命を果たしているかのようである。ならば、その方向とは? そこで問題は、そのような世界の変曲点たる今にあって、この災厄を体験した私たちが、自らの立つ位置をどのように定め直して行くのか、前回につづく、その考察の続編。 詳細記事

【撮影者 山本 哲朗】

名前:ソメイヨシノ

撮影場所:荒川

コメント: Tokyoのソメイヨシノは終わり、八重桜もこのところの強風に散り急いでいる

外出の自粛要請以来、外での撮影にもプレッシャーがかかる。

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今、世界を震撼させている新型コロナウイルスについて、「理論人間生命学」の見地からそれを見ると、ある興味深い視野に達する。

このウイルスの出どころが中国だろうが米国だろうが、また、その発生起源が自然だろうが人造だろうが、その世界の憎まれ者は、世界のあらゆる国を麻痺に陥らせるに足る破壊力を縦横に見せつけている。

確認しておこう。ウイルスとは、生物体であると同時に情報体でもある。それは自己繁殖力は持たないが、寄生相手に取り付いて情報を植え付ける。コロナの場合、即座の発症はさせないが二週間ほど身を隠し、その間に密かに感染を広げた後に発病させるとの“戦略”を展開している。その戦略に、世界は、ものの見事に打ちのめされている。 詳細記事

【写真投稿 パンナ】

撮影場所:イランのシラーズのモスクにて

【撮影者 山本 哲朗】

名前:染井吉野

撮影場所:荒川河畔

コメント: Tokyoの満開のサクラが329日、雪に見舞われた。

22日に満開の発表があったが、満開後に東京で1cm以上の積雪を観測するのは1969年まで遡り、何と51年ぶりとのこと。  詳細記事

前号で完結した「“KENKYOFUKAI”シリーズ」で《理論人間生命学》を提唱しましたが、それを本サイトが到達した新パラダイムとし、いっそう発展させたいと構想しています。現在、そのための新サイト――新たなアドレス(URL)を使用――の立ち上げに取り掛かっています。その発足までにはしばらく時間を要します。それが整うまで、その準備の議論をこころみてゆく積もりです。

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【撮影者 山本 哲朗】

名前:染井吉野

撮影場所:荒川河畔

コメント:Tokyoは去る14日に桜が開花した。観測史上最早、例年より10 日以上早い、全国のトップを切っての開花だった。言うまでも無く地球温暖化の影響だろうが、夏の猛暑が今から思いやられる。 詳細記事

【写真投稿 パンナ】

 

撮影場所:サウジアラビアにて

【写真投稿 パンナ】

 

撮影場所:イタリア、ランペトゥーザにて

【撮影者 山本 哲朗】

 

名前:ハイビスカス

撮影場所:板橋区熱帯植物園

コメント:強い光には必ず濃い影がつきものです‥‥。

前回まで4回の議論の成果として、私は、「理論人間生命学」という新たな思考領域を提唱しました。そして、この新領域を一言で表現すれば、生命というものを、《脱地球》した視点――人の生命をその生みの親たる地球から“乳離れ”した「理論上の場」――において考察しようとするものです。そこで本連載最後の今回は、この一連の議論の締めくくりとして、その“デビュー”なった「理論人間生命学」の場から観測した「地球人」という視座を提示します。本連載はKENFUKAという独自な手法からパラダイム変化を探ってきたのですが、以下に示す観測こそ、そのパラダイム変化したその先からの“ライブ”な視界の実例です。 詳細記事

前回において、「ひも理論」と「両生論」とがどうして相並び称せるのか、その類似視野の根拠として《双対性》〔そうついせい〕との概念に注目しました。そこで今回では、まず、前回での予告のように、《双対性》を通じて結びつく「ひも理論」と「両生論」との間の類似性にはどのようなダイナミズムが潜んでいるのかを論じます。そして次に、そうした導入にもとづき、目下の焦点である「両生論」のとどのつまりに立ちはだかる懸案「越境問題」に、この《双対性》関係を適用して、その意味を探ってみます。そして、その結果、予想を超える大きな可能性が見出されてきます。 詳細記事

【撮影者 山本 哲朗】

名前:オトメツバキ

撮影場所:六義園

コメント:その名にふさわしい容姿、色合い。まさに可憐な乙女の風情

【写真投稿 パンナ】

撮影場所:ジョージアの首都トリビシに近いムツヘタのジワリ修道院にて

 

宗教にも満たぬ「象徴」を戴く国って?

 

私は世界中の宗教を知っているわけではないし、日本国内の宗教も、ごく大まかに、知っているだけだ。仏教、神道、キリスト教、といった、いわば通称を知っているだけで、現実の事細かい宗教法人名は知らない。それぞれの宗派や系統がそれぞれ宗教法人としての登録をしているようだ。2014年の日本の宗教法人数は181,810だという。少なくとも日本国内のそれらをことごとく検証した上で言うのが理想だろうが、ここでは乏しい自分の宗教遍歴をもとにして述べさせてもらう。それでも、10かそこらの宗教には係わりあってきた。それらの宗教には教祖がいて、教義があり、経典、教科書あり、救済や許しがあった。神道のように無い無い尽くしはあり得なかった。 詳細記事

私の今の立場といえば、もはや現役の一専門職からは退きながらも、いくらかのパートタイム働きにかかわることで、幸いに心身健康な年金生活人であることです。ただ、「人生100年」などとミスリードされる“絵空”年金談義には一線も二線も画さざるをえず、くしくも達したこの境地ならではの精神的自由度を存分に活用したいと望んでいます。また、たとえ興味本位であろうとも、新たな挑戦にはたゆまずひるまず臨みたいところで、なかでも、これまでにも取り組んできた「『し』という通過点」をめぐる「越境問題」は、この場に至ったがゆえの、そしてこの“辺境”ならではの、アプローチ可能な関心事でしょう。

「“KENKYOFUKAI”シリーズ」第3回の今回は、そうした立場や関心から、現代理論物理学の最先端の仮説である「ひも理論」をとりあげ、「KENFUKA」してみようとするものです。

そこでなぜ、私がこの「ひも理論」に傾注するかですが、それは、この理論が人類の目下の最先端の科学的知見であるという“新し物好き”であることと、同理論と私の人生体験からの無形資産とも言うべき「両生論」とが、何やら類似し合っている気配があり、さらに、その最先端知見がもたらす新たな世界観の幕開け、つまりそういうパラダイム変化に、私も是非ともあやかってみたいと望むからです。 詳細記事

 

「象徴」は「日の丸」だけで十分

 

憲法9条と天皇制はセットだと、よく言われてきたその意味を私はしっかり理解してはいなかった。その天皇制とは漠然と天皇制である必要はなく、アメリカ製の象徴天皇初代一人でよかったのだ。初代死亡で日本が天皇制廃止と戦争放棄廃止を同時にやっても、アメリカは文句を言えないはずだ。憲法1~9条が一掃できる。天皇条項と戦争放棄だ。晴れて国民条項が憲法の最初に躍り出る。やっと本物の国民主権である。 詳細記事

【写真投稿 パンナ】

キリギスタン、ソンクル湖畔にて

【撮影者 山本 哲朗】

名前:ナガミヒナゲシ

撮影場所:中仙道沿い

コメント:日本のいわゆる雑草にとっては強力な外来種で、10数年で道端はほとんど席巻されてしまいました。

【撮影者 山本 哲朗】

旧古河庭園にて

【写真投稿 パンナ】

アゼルバイジャン首都バクー、ビビヘイバットモスクに於いて

 

「象徴」というだまし玉

 

このようなことを言うと、決まって皇室支持者たちから「気に入らないなら、日本から出ていけ」と言われる。言われるまでもなく出て行きたいが、その金も力もない。幸か不幸か言論の自由はある国なので、その点にほれ込んで、精いっぱい、とやかく言わせてもらう。 詳細記事

先にも投稿のあった「幸子」氏から新たな投稿がありました。今回を含め、4回にわたって連続掲載いたします。日本の「裸の王様」への腹蔵のない実声が発せられており、制度としての矛盾を鋭く突いています。

 

再々なる虚構の上塗り

今でも以下のページは見ることができるだろう。2016年8月に当時の天皇明仁(あきひと)が国民向けに流したメッセージである。 詳細記事

【写真投稿 パンナ】

撮影場所 ボリビア、ウユニ塩湖

【撮影者 山本 哲朗】

花言葉:純潔、尊敬(旧古河庭園にて)