「卒園児に贈る言葉」その2

 子どもの情景(3)

私が、高校3年生の頃のお話です。私にも高校生の時があったのです。

Mさんという友達がいました。Mさんは、とても物静かな人でした。そのMさんが、昨年11月にホスピスで亡くなりました。「みんな忙しいから」と、そのお知らせもごく親しい人だけにと指示されていたようです。

高校3年生の頃のクラスメイトを思い出しますと、その人がどんな性格だったか、どんなことを考えていたのかという事より、「あの人は、〇〇大学を受けるんだって」「あの人はこんどの実力テストで全校3位だったね」というような、それぞれが受験一色のかっちりとした鎧を着て、本当の自分を見せないような時代だったように思います。自分もそのことについて、間違っているとも思わずに過ごしていたのでしょう。

その頃はまだ、女子が四年制大学に進学することが当たり前に選択される時代ではありませんでした。後から聞いた話ですが、大学受験の前に、同級生の女子の何人かはすでに公務員として内定を決めており、国公立大学に落ちた時には就職するという約束がなされていたようです。Mさんと私は、似たような大学をいくつか受験しましたが、残念ながらMさんは合格せず、私が合格してしまいました。

私はMさんでなく、私が進学したことに負い目を感じて、手紙を書くことも躊躇してしまい、それから何となくMさんとは疎遠になっていきました。それからずいぶんの年月が流れたわけですが、その間もMさんは、大学進学の夢を持ち続け、結婚して娘さんが短大に入学されるのと同時にご自分も短大に入学されました。そして、四年制へ転入することが決まった時に、病気がみつかったということでした。

高校時代には、自分から目立ったことをするということは一度もなかったMさんでしたが、結婚後は、まずクラスメイトの中で働いていない専業主婦たちに声をかけて集まりを持ちました。それが、今思えばクラス会の土台になっているのかもしれません。

そして、ご自身も、コーラスや絵画、俳句など、好きなことにいろいろ挑戦しました。疎遠になっていた友達を誘って、友達の輪を広げてくれました。

今もうMさんはいません。でも、高校時代の仲間が、鎧をすっかり脱いで集まることができます。自慢もなければ、妬みなど無縁です。みんな、素晴らしい仲間です。

 

「ともだちはだいじやで」  「ほんまにほんまにだいじやで」

(園長先生の好きな歌より)

北谷 正子

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