変わっていても
あなたを案内して初めて夏の小網代に来たのは
まだカニパトという名前ができたばかりの頃
あなたが暮らすオーストラリアの大地に比べて
なんてちっぽけな森か、とあきれていたのを
私は歩きながら思い出した
今は立ち入れない短い浜辺で
アカテガニの放仔よりも
波頭に光る夜光虫の方が
あなたの記憶に鮮やかなことがおかしかった
私もよく覚えている夜光虫を
いつから見なくなったのか、もう分からない
今号の目次
詩集『小網代を詩う』より
詩 中井 由実「東西融合」ここに於いても
医学への懐疑をめぐって
訳読コメント(その10)内生物圏
〈訳読‐2c〉「東西融合‘涅槃’思想」を越えて(その10)日本の秋
自然に接するとなぜ爽快なのか
訳読コメント(その9)至高精神(ウーバーマインド)の実現
〈訳読‐2c〉「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて(その9)ヒマラヤ“奇”行
「ローカル」視野からの脱皮感激と落胆
アンナプルナ・トレッキング(その3)アンナプルナ・ベースキャンプへ
アンナプルナ・トレッキング(その2)結晶という“生き物”
訳読コメント(その8)結 晶
《「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて》(その8)到着したカトマンズは雨の中
アンナプルナ・トレッキング(その1)物質の「素」への新知見
訳読コメント(その7)異金属
《「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて》(その7)意外に関心あつい老人イッシュー
シリーズ「老いへの一歩」への閲読データを分析シンクロニシティの一実例
訳読コメント(その6)未来の頭脳
〈訳読‐2c〉「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて(その6)技術の進化への問い
訳読コメント(その5)ウーバーマインド(至高精神)
〈訳読‐2c〉「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて(その5)「ウーバーマインド」って何
訳読コメント(その4)宇宙的気付き
〈訳読‐2c〉「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて(その4)在米/豪、国際看護師対談
「東西の収れん」という「結論」
「キセル読書法」で解読
訳読コメント(その3)結 語
〈訳読‐2c〉「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて(その3)「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて 《もくじ》
どうしてその巨体が崩れゆくのか
アメリカという国は私企業だった
訳読コメント(その2)イントロダクション
〈訳読‐2c〉「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて(その2)国際看護師オープンキャンパス
8月6日(土)日本時間午前10時からZOOMにて『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて』の邦訳開始
今日のアメリカ社会への深読み視点を探って
訳読コメント(その1)著者の使命観
〈訳読‐2c〉「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて(その1)『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて』への書評
私の使命観
〈訳読‐2c〉「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて(その1)離陸した「時空トラベル」クラフト
老若コミュニケーションの場に
『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて』邦訳出版を検討
エソテリックシリーズ第三巻 Beyond Esoteric: Escaping Prison Planet
私の「気候変動」への取り組み
「ヘルスファースト」が不可欠
《時空トラベル》という究極の試み
この先「四分の一」へ向けた“旅”構想
「性的マイノリティ」と「自分実験」
二者間に橋渡しをする
またしてもの〈国家狂気〉の再来
日本人がゆえになす指摘
休載
《多様多彩》――「花との交信」
「日本伝統医学」を思う
日本の「ダークさ」に抗した孤高
「昭和」とは何だったのか
連載《豪州「昭和人」群像》 第6回(最終回)休載
《多様多彩》――「花との交信」春の雪
《多様多彩》――「花との交信」(No49)見染められた昭和の「お嬢さん」
日豪に架ける家庭を築く
連載《豪州「昭和人」群像》 第5回梅は咲いたか、桜はまだか・・・
《多様多彩》――「花との交信」(No48)「この生命体のオペレーター」
従来の「健康観」に代わる認識として
「理論人間生命学」との融合「ほんとうにラッキー」
日豪ともの良さに生きれて
連載《豪州「昭和人」群像》 第4回「氷河期世代」という“非運”昭和人
実りつかんだ豪州苦肉体験
連載《豪州「昭和人」群像》 第3回休載
《多様多彩》――「花との交信」
イラスト2点
いちばん若い「昭和人」
“昭和後日本”の困難に磨かれて
連載《豪州「昭和人」群像》 第2回休載
《多様多彩》――「花との交信」「私の健康観」 v.3
もはや「人間観」のレベルへ
「四分の三プロジェクト」に関わって豪州「昭和人」群像
その《はつらつさ》の由来を探る
《新連載 第1回》 戦争を知らない最初の世代休載
《多様多彩》――「花との交信」休載
《多様多彩》――「花との交信」昨一年間に衰えなし
2021年の運動記録集計によれば
変わっていても
あなたを案内して初めて夏の小網代に来たのは
まだカニパトという名前ができたばかりの頃
あなたが暮らすオーストラリアの大地に比べて
なんてちっぽけな森か、とあきれていたのを
私は歩きながら思い出した
今は立ち入れない短い浜辺で
アカテガニの放仔よりも
波頭に光る夜光虫の方が
あなたの記憶に鮮やかなことがおかしかった
私もよく覚えている夜光虫を
いつから見なくなったのか、もう分からない
今号の「内生物圏」とのタイトルの訳読記事では、生物、ことに私たち人間の「内部圏」という考えを中心として展開されている。そしてそれは、西洋医学の理論的主柱をなしてきた病気の「細菌原因説」に代え、生体内部環境の悪化がその原因であるとし、加えて、前者は長く医学界を歪めてきたと論じるものである。 詳細記事
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「もし人々が、どんな食品を食べるか、どんな薬を飲むかを政府に決めさせたら、彼らの身体はすぐに、専制政治下に生きる魂と同じく、悲惨な状態になるだろう」――トーマス・ジェファーソン(1778年)
細菌説は、欧米諸国では非常に強力な信念体系であり、ドアの取っ手に触れることから、国の予防接種計画や世界的な撲滅運動に至るまで、日常生活に影響を及ぼしている。しかし、これらの「病原体」が一体何であり、どのように私たちに感染するのかについて、まだその基礎研究さえも行われていないとしたらどうだろう。微生物、特にウイルスの危険性について想定され、信じられてきたことの多くが、微生物学における根本的な新発見に照らして完全に覆されているとしたらどうだろう。画期的な研究は、インフルエンザ・ウイルスやCOVID-19〔コロナウイルスの国際名称〕の致死的性質と称されるものについて、かつて信じていたほとんどすべてが、制度化された迷信や神話に基づいている可能性があることを示している。
詳細記事
三年ぶりに日本を訪れ、その自然美に触れた。いろいろ語るより、一枚の写真にそれをお願しましょう。
私は「私共和国」の記事の中で、繰り返し、自然の中で運動してきた後の爽快感について書いてきた。その実感に間違いないないのだが、それがなぜなのか、はっきりとした説明ができなかった。
それが今回の「至高精神(ウーバーマインド)の実現」の中で、自然の持つ振動「シューマン周波数」によるものだと述べられている。そして、私たちの現代の生活が、そうした自然界の振動との接点を、どんどん失うものへと移ってきていることを警告している。
そうした関連も含めて、その「至高精神(ウーバーマインド)の実現」にご案内いたします。
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「我々は全て間違っていた! 私たちが物質と呼んでいるものはエネルギーであり、その振動が低いため感覚的に知覚できるようになったものだ。…未来の宗教は宇宙的なものである。それは個人的な神を超越し、ドグマや神学を避けるべきである。」 ――アルベルト・アインシュタイン
ここ数十年の間に、人類は過去40億年間、生命を支配してきた自然淘汰の法則を曲げ始めている。私たちは、周囲の世界だけでなく、自分自身をもデザインする能力を手に入れたのだ。このような新しい方向は、諸刃の剣でもある。私たちは、トランスヒューマニズムの未来が私たちをどこに導くのか、私たちは誰になるのか、という哲学的な議論をおろそかにしてきた。「至高精神(ウーバーマインド)」を実現するためには、過去の有益な実践を理解し、それを急速に変化する現代の科学的ブレークスルーに適応することが必要である。 詳細記事
ヒマラヤという〈世界の屋根〉は、人類にとっての極限への挑戦場の最たるものとなってきた。突出したクライマーたちにとっては、それこそ「世界初」と冠せられる偉業を成し遂げるための壮大な舞台であった。そうした数々の偉業によって照らし出されたこの地は、いまや、すさまじい数の「人生のクライマー」たちによって、さまざまな形の挑戦がなされている。その中に、私という76歳の老年者の、そこそこの挑戦があった。
ベースキャンプに無事到着
【第7日】デウラリ(Deurali 3200m)からアンナプルナ・ベースキャンプ(ABC 4200m)へ
この日の行程は、いよいよ大詰めの標高差千メートルの登り。高度もあって確かにきついのだが、天気もこの上なく、思わず風景に誘われて足取りも軽くなる。
アンナプルナ・トレッキングは、行程を一日早め、10月21日、無事、ポカラの町に帰ってきました。そのレポートは多岐に渡りそうなのですが、それを二テーマに絞り、三回にわたって掲載します。今回はその全行程を、写真でまとめたものの前半です。運よく、全行程、好天に恵まれ、まさしく、写真撮影には絶好の機会でもありました。
今回の訳読は、結晶についてですが、それがあたかも生き物のような特性をもっているとの議論です。宝石や結晶を一種の「お守り」として持つ考えはありますが、そうした働きの科学的根拠を探るものです。
ではその「結晶」へご案内いたします。
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結 晶
「結晶の中に、生命の形成原理が存在するという明確な証拠がある。結晶の生命は理解はできないのだが、それにもかかわらず、結晶は生きている。」――ニコラ・テスラ
量子力学では、物質が同時に2つの場所に存在できることが、新しい発見によって確認されている。この「量子もつれ」によって、何百万光年も離れた粒子でさえも、物理的な接触なしにつながっていることができる。これはまた、時空を操作できることを意味する。空間は他の物質と同じように、ゆがんだり形作ったりすることができることがわかったのだ。このテレポーテーションの能力は、新しい超伝導物質の利用によって現実のものとなりつつあり、異なる周波数によって操作することも可能である。重力に逆らう表面素材は、航空輸送に利用されようとしている。この共振の科学は、物質界に出現した超次元的存在の理解を深めている。
詳細記事
今日は10月6日、ここカトマンズは朝からけっこう強い雨。
4日にシドニーを立ち、シンガポール、クアラルンプール(KL)をへて、昨夜遅く、当地に到着。
カトマンズ行きのBatika Air機。尾翼のデザインがいかにもネパール風。(クアラルンプール空港にて)
今回の訳読は、物質の素である分子や原子レベルへの、従来の知見を越えた、量子論レベルの、しかもそれを、古代からの錬金術由来の知見をも圏内に取り込んだ見方の展開です。この「エソテリック・シリーズ」は、思想的なエソテリックを主眼としてきたのですが、ここでは、それを物理学のしかも物質そのものの考察についての「エソテリック」な議論です。 詳細記事
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異金属
「最小の粒子から最大の銀河の形成まで、電気回路の網は、自然界のすべてを結びつけ、統合している。それは、銀河を組織し、星にエネルギーを与え、惑星を誕生させ、私たちの世界では天候を制御し、生物に活力を与えている。電気宇宙には孤立した島はない。」――デービッド・タルボット
物質は外見を変える。古典的な科学では、物質の三相は固体、液体、気体であると教えられたが、最近ではプラズマを含む他の形態も含まれるようになった。固体物質とは、原子、分子、イオンが規則正しく配列されたもので、結晶であることもある。古典的な結晶学では、結晶は3つの主軸に沿った並進周期性を持つ原子の3次元的な周期配列と定義される。それ以外の固体物質は非結晶と呼ばれるが、その区別は必ずしも明確ではない。金属、鉱物、合金は結晶性であり、ガラス、プラスチック、セラミックス、ゲルなどは非結晶性である。結晶性物質の一片は結晶と呼ばれる。
詳細記事
日本では、9月19日は「敬老の日」であったようです。しかしここオーストラリアでは、父の日や母の日はあっても、老いを趣旨とする祝祭日はありません。そうした文化や制度上の扱いの違いのある「敬老の日」ですが、その日にちなんで本記事は、ほぼ十年前に掲載したシリーズ記事「老いへの一歩」への閲読データを用いて、読者におけるそうした「老人イッシュー」への関心動向を改めて分析しました。私は、ブログ発行は、蓄積された読者反応データの分析を通じて、書かれた記事のネット社会による評価度と、逆に、特定記事を設問にみたてたある種の世論調査という、二面の働きをなしえると考えています。本稿は、そういう二方向の意味を探った分析結果です。 詳細記事
量子理論という最先端の科学中の科学が、「死後の世界の存在を証明」と聞けば、誰しも「本当か」と大いに好奇心を刺激されるに違いありません。
たとえば、これをシンクロニシティと言うのでしょうか、今回の訳読中、「脳は必要不可欠か」とのセクションにやってきた時でした。それはこう説いているのです。
輪廻転生が示唆するように、精神は決して消滅せず、死はそう見せかけられた再誕生である。
この「死はそう見せかけられた再誕生」とは、実は、私がこれまでに繰り返し述べてきた「死という再・誕生」という考えと全く同じです。 詳細記事
私見を言わせてもらえば、これまでの内燃エンジンの普及にせよ、今日のCO2問題がゆえの電気自動車の奨励にせよ、その深部に、新技術の主導権争いをめぐる、うさん臭く巨大なトリックがあるのではないかとの見方には、捨て切れないものがあります。つまり、たとえその技術が副作用を伴おうと、いったんその勝者の地位さえ獲得すれば、あとは独り勝ちを奔走し、汚染問題なぞ二の次です。どうもクリーンエネルギーの議論には、異常気象をテコに用いた技術のヘゲモニー争いの、石化エネルギー陣営を出し抜かんとする下心が見え見えです。つまり、内燃エンジン技術に遅れをとった勢力にしてみれば、地球温暖化は救いの神です。ともあれ、環境問題とはそもそも、もっと根の深い問題のはずです。 詳細記事
本章を読んで、私は改めて、量子理論に潜む、その隔世的なダイナミズムを見出しています。量子理論の可能性については、私の理解できる範囲ではこれまでにも述べてきましたが、それはどこか、突っ込み不足感は拭えないものでした。しかし、ここで改めて、その着眼については誤ってはいなかったと、自信を新たにしているところです。 詳細記事
これまで本サイト掲載の「いちばん若い『昭和人』」や「国際看護師オープンキャンパス」の記事でおなじみのR.Y.さんこと山本瑠璃さんが、今度は、左図キャリア講座で、8月28日(日曜)午前11時(日本時間)より、国際看護師の一人としてオンライン対談します。参加希望の方は、以下で予約(無料)を。https://medistudio.com/career/20220828
こういうのを「キセル読書法」とでも呼ぶのでしょうか、両端だけを読んで、中間は、少なくとも今は、読まずにいる読書方です。今回の訳読は、そういう手法を用いて、前回の「イントロダクション」から、中間をはしょって、いきなり「結語」です。
というのは、読書をする場合、当たり前のことながら、ともあれまず最初に、一冊を選ばなければその先に進めません。邦書の場合なら、なんとか一定の選別眼があるようで、お目当ての本を選ぶにさほどの難しさはありません。ところが洋書の場合、その選別眼が働かず、また、“さっと読み”力にも格段の差があって、本格的な読み始めの前に、もうひとつのプロセスが避けられません。それがこの「キセル読書」です。 詳細記事
ご賢明な読者にあられては、現在進行するアメリカの諸事態は、市民の命の紙切れ同然な扱われ方から、これが名だたる大国の決断かと思わされるに至るまで、かつてその単独覇権を誇った雄姿も、遂に、衰退の体をさらすに至っているとの認識を否定できないで居られることと拝察いたします。
むろんこれは、ただアメリカに限ったことではありませんが、そうして抱かれるその印象はむろん軽率な思いではないにしても、やはり、ことアメリカ――まして日本はその属国の位置を忍んでいる――のことがゆえ、もっと踏み込んだ具体的エビデンスをもって確認したいところです。 詳細記事
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「大衆の組織化された習慣や意見を意識的かつ知的に操作することは、民主主義社会における重要な要素である。この目に見えない社会の仕組みを操る者は、目に見えない政府を構成し、我が国の真の支配者である。…私たちは支配され、私たちの心は鋳型にはめられ、私たちの好みは形成され、私たちの考えは誘導され、その大部分が、私たちが聞いたこともないような人たちによって支配されている。」――エドワード・バーネイズ〔訳注〕『プロパガンダ』
- 〔訳注〕(1891年11月22日-1995年3月9日) オーストリア系アメリカ人。「広報の父」として知られる広報活動とプロパガンダの専門家。ジークムント・フロイトの甥。
著者ブラッド・オルセン氏からの早速の快諾をいただき、今回より、別掲のように、「エソテリック・クシリーズ」第3巻『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて:牢獄惑星からの脱出』(原題 Beyond Esoteric : Escaping Prison Planet)の邦訳の連載を開始します。
すでに第1巻『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』と第2巻『現代の「東西融合〈涅槃〉思想」』は邦訳済みで、本サイトに掲載されています。
そもそもこの「エソテリック」とは、人間の真実をそのもっとも奥義にまで掘り進んで探るものです。よってこのシリーズには、その奥行きの深さはもちろん、今日社会での主導をなす見解に、深奥な疑問をも突き付けるものです。したがって、主導派からは逆に「陰謀論」といった“八つ当たり”的な反応をも起こさせています。そうした脈絡では、いわゆる「対抗言説」と呼ばれるもののひとつと見なせるものです。 詳細記事
== 本書の《もくじ》へ 「もくじ」の中の《本章》へ == |
「アメリカの衰退は、巨大な影響力を持つテレビ局のコンテンツの実質が徐々に衰退していることに最もよく表れている。30秒のサウンドバイト〔訳注〕(現在は10秒以下)、最小公倍数的な番組、疑似科学や迷信に関する真実めいたプレゼンテーション、そして特に、無知に対する一種の賛美。この記事を書いているいま、アメリカで貸し出されているカセットビデオの第一位は、映画「Dumb and Dumber」である。「Beavis and Butthead」は依然として、若い視聴者に人気がある(そして影響力がある)。つまり は、勉強や学習は――科学だけでなく、どんなものでも――避けるべきものであり、望ましくないものであるということだ。」――カール・セーガン (1995年) 『悪魔に取り憑かれた世界:闇の中のロウソクとしての科学』
- 〔訳注〕サウンドバイトは、長い音声から抽出された声または音楽の短い部分であり、多くの場合、全体の作品を宣伝または例示するために使用される。ジャーナリズムの文脈では、サウンドバイトは、話者が言おうとしていたことの本質を捉えた短いフレーズや文章によって特徴付けられ、情報を要約し、読者や視聴者を誘惑するために使用される。この用語は、1970年代に米国のメディアによって作られた。それ以来、政治家はますます彼らの立場を要約するためにサウンドバイトを採用している。
【本書への書評】 詳細記事
4年前に翻訳出版を完了した「東西融合〈涅槃〉思想」二部作に、昨年その第3巻が追加出版され、本シリーズは三部作建てとなりました。
その最新巻は、Beyond Esoteric: Escaping Prison Planet と題され、これをもって完結巻となっています。邦訳すれば、『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて:牢獄惑星からの脱出』となるでしょう。
今、その邦訳版の本サイトでのウエブ出版を検討しており、なんとか、三部作の邦訳完結としたいと考えています。ただ、もし手掛けるとなると、500ページに近い著作でもあり、相当の労力と期間を要すこととなり、他の計画との勘案が必要となっています。
その決定しだい、著者の Brad Olsen と本サイトでの出版承諾の交渉を行う予定です。
なお、出版の完了したその二部作は、本サイト「両生図書館」より閲覧できます。
「私の健康観」の数バージョンを通して述べてきているように、自分の健康を、地球環境と連続している《自分環境》の産物と考えるならば、私にとっての気候変動問題との取り組みの核心は、自分の健康を“持続可能”に維持増進する――少なくともそれを起点にする――以外に、親身になりうる関わりなどありえない、と考えるものです。
健康という、誰にとってものもっとも切実な財産の保全が第一に、そして何よりも本気に取り組まれることなくして、CO2排出ゼロ政策が前面に出されてくるメリットなぞ、いったい何なのでしょう。それとも、私たちの健康と地球温暖化の問題は、まったく別個の問題とでも言いたいのでしょうか。それこそ、地球も私たちも、共に発熱しているというのに。
そういう意味で、目下の私のスローガンとして、「ヘルスファースト」を掲げたいと思っています。 詳細記事
「私共和国」に掲載してきた《四分の三プロジェクト》の計画作業がようやく煮詰まって、その骨格が《時空トラベル》との呼び方で形をなしてきました。それを契機に、今回よりサブタイトルを「《時空トラベル》時代 =旅立ち編=」と改称し、その進捗具合をノートし始めています。その初回は「《時空トラベラー》という過客」とのタイトルです。
そういう次第で、いよいよここに始まる《時空トラベル》なのですが、何やらSF風な響きのあるそのトラベルとは一体どういう“旅”なのでしょう。まさか、タイムトラベルのことを言っているのではないでしょう。
ところがです、私は本気で、これが、まさにSFで言うタイムトラベルにも通じるその第一歩と考えています。つまり、タイムトラベルはこうして実現するかも知れないのです。 詳細記事
本稿の目的は、二つの視点間に橋渡しをするものです。そしてその二つとは、このサイト『両生歩き』の「私共和国」で述べられている《老化に伴う「性的マイノリティ」化》――「《「男の急所」の料理法》その2」――と、兄弟サイトの『フィラース Philearth』で述べられている《人生という「実験」》――「理論人間生命学」第2部――です。そしてこの橋渡しとは、言わば、私たち自身に関する微視的視野と巨視的視野、あるいは、現実的視野と理論的視野のそれぞれの二者間を関連付ける架橋との意味合いを持つものです。 詳細記事
【English 英語、Русский (язык) ロシア語、Українська версія ウクライナ語】
私はいま75歳で、1946年生まれです。つまり、「先の戦争」が終わった翌年生れの、直接の戦争体験はないものの「焼け野原」世代です。そしてその「先の戦争」とは、日本が世界を相手に戦うこととなった「アジア・太平洋戦争」です。
そういう私が、ほぼ十年前、〈「日本人であることの不快感」 と、その解消〉との文章を書きました。その「不快感」とは、自分がその日本人であることによって抱いてきたものです。つまり、その戦争のもたらした加害者意識と被害者意識という“不快”で“ゆえ”もない二者の同居について書いたものでした。
それに続くかたちのこの文章は、「戦時中」にある片側を、いずれであろうと、「味方もしくは敵」として選び始めることの際限のない危険を言わんとするものです。
そして結論は、私たち人間同士に、殺し合うほどに敵視しなければならない理由なんて、もともとありはしない、というものです。 詳細記事
投稿者のご都合で休載します。
最近、とある機会を得て、日本伝統医学を根本的に再認識し、その可能性に目覚めさせられる体験をしました。しかもそれがさらに発展し、この世界を認識する方法論について、それがこれまでの〈科学という方式〉に“対案”をもたらす可能性を秘めているのではないか、そんな発想へのヒントとさえなっています。 詳細記事
【この記事は3月26日に繰上げ掲載した記事の再掲です】
本《豪州「昭和人」群像》は、この第6回を持って最終回とします。その結論回というべき今回は、「豪州昭和人」としては、一見、極めて稀有な事例を取り上げます。ただし、それは一見上ではそうですが、実はその根底で、もっとも昭和の昭和たるところを体現していると考えられるケースです。というのは、これまでのストーリーは、むろんそれなりに固有ではありましたが、一程の同類の中から、特色あるケースをそれぞれ取り出したといった多様性にフォーカスしたそれぞれでした。ところが今回のケースは、間違いなく異色で独特なのですが、しかしそれは、誰にも、どこにでもある、広く共通した身の回りの要素が、ある特異な条件に置かれれば、そのようにきわめて濃縮されて結晶するかも知れないといった、通底する普遍性を示唆しているケースです。
ただその物語の冒頭でお断りしておきたいことは、本稿は、これまでの取材をベースにした実話物語というより、「語り部」がそうした作業を下地に組み立てた“フィクション風”作品であることです。
投稿者のご都合で休載します。
連載《豪州「昭和人」群像》も5回目となる今回は、世代としては私「語り部」に近いながら、なかなか世間離れした“お嬢さん”に登場していただきます。といっても、お高くとまったという意味ではなく、九州の地元の有力な家柄にあって無垢奔放に育ちながら、一種庶民的雰囲気をお持ちで、それでいて普通にはちょっとできない人生体験を過ごしてこられています。むろん本記事が取り上げるように今は「豪州昭和人」のひとりなのですが、他のケースとは一味ちがう、両国関係のちょっと上層社会同士での奇遇な出会いの末に実った、日豪の国を分かたぬ新たなきずなのストーリーです。 詳細記事
これまで私は、自分の「健康観」について、三段階――「私の健康観」、同 v. 2、同 v. 3――にわたり述べてきました。それらはどれも、それまでの自分を振り返って、「健康」との視点での捉え方の発展をそう記録したものです。その結果、「v. 3」では、そうした「健康観」はもはや「人間観」に至っているとの認識を述べました。そこでそれを、さらに今後へと延長しようとするなかで、あらたな視野が開けてきています。それは、視点を分化させ、タイトルのように「この生命体のオペレーター」と表わせる視野です。より正確には、「この生命体のそれ由来のオペレーター」と記すべきもので、この「生命体」と「オペレーター」との二者は、物質的に後者は前者に由来していながら、その働きは前者を越えていると観るものです。言い換えれば、「オペレーター」はその存在を「生命体」に依存しながら、その働きはそれとは異なるものにも依存している、あるいは影響されているということです。すなわちそこで、そのプラスアルファたる「異なるもの」とはいったい何かということとなります。 詳細記事
連載《豪州「昭和人」群像》4回目の今回は、これまでの三者の、それ相応に異端な事例とは趣を異にして、年齢的にも状況的にもそのあい間で体験された、良き日本と良き豪州の〈ダブル良いとこ取り〉が成し遂げられたケースを取り上げます。つまり、本連載第1回の末尾に述べた「二つの繁栄を享受」できたとみられる事例です。そこでご本人も、「ほんとうにラッキーだった」と語っておいでです。しかも、ほとんど普通な生活の中でのストーリーであり、ことさらに変わった生き方を選んだ結果とはとても言えません。失礼な言い方になるかも知れませんが、ごく平均的な生き方をされてきた、その結果の実りです。そこでもし、こうした普通で当たり前な発展が、特異なケースに見られるとするなら、それは、その当人側の問題と言うより、それほどまでの、まわりの環境の違い(あるいは一種の歪曲視)の問題です。確かに「ラッキー」なストーリーには違いありませんが、不相応な幸運を射止めたような話などでは決してないでしょう。 詳細記事
今回取り上げる《豪州「昭和人」群像》の3人目は、実はもう、豪州にはいません。すでに日本に戻って6年、「はつらつ」とした日々を送っています。ただし、その「はつらつさ」には、あたかも日本と豪州のアマルガムとも言うべき、そうとうな複雑さがこもっています。というのは、オーストラリアで得た広がった体験をもってしても、自らを「無知層民」だったと覚ることとなった自分の生まれ育った境遇がゆえに、戻った日本社会で暮らす困難さを噛み締めながらのそういう前向きさであるからです。今回は、そうしたもはや日本発のストーリーですが、豪州滞在経験が決定的な転機となった「昭和人」という意味で、このシリーズに取り上げるものです。 詳細記事
投稿者のご都合で休載しています。