今号の目次

前号にそのレポートを掲載しましたように、「老若共闘」への具体的歩みとして、若い世代との交流が始まっています。それは「時空トラベル」と呼ばれる世代間の隔たりを旅する行為です。ことにそこには、その隔たりをつくる人生体験の長さの違い、つまり、時間という“距離”がもたらすものを、何によって、どのように互いに交換できるのか、そういう、おそらく他の機会では絶対にありえない、「時空世界」を実際に体験できる機会があります。そのような、言わば人間としての究極の「トラベル」を通じて、そしてそれをもってしかやり取りできない、過去よりの《人生の知恵》と、未来という《新品の時間》との融合が可能となります。 詳細記事

4年前に翻訳出版を完了した「東西融合〈涅槃〉思想」二部作に、昨年その第3巻が追加出版され、本シリーズは三部作建てとなりました。

その最新巻は、Beyond Esoteric: Escaping Prison Planet と題され、これをもって完結巻となっています。邦訳すれば、『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて:牢獄惑星からの脱出』となるでしょう。

今、その邦訳版の本サイトでのウエブ出版を検討しており、なんとか、三部作の邦訳完結としたいと考えています。ただ、もし手掛けるとなると、500ページに近い著作でもあり、相当の労力と期間を要すこととなり、他の計画との勘案が必要となっています。

その決定しだい、著者の Brad Olsen と本サイトでの出版承諾の交渉を行う予定です。

なお、出版の完了したその二部作は、本サイト「両生図書館」より閲覧できます。

 

「私の健康観」の数バージョンを通して述べてきているように、自分の健康を、地球環境と連続している《自分環境》の産物と考えるならば、私にとっての気候変動問題との取り組みの核心は、自分の健康を“持続可能”に維持増進する――少なくともそれを起点にする――以外に、親身になりうる関わりなどありえない、と考えるものです。

健康という、誰にとってものもっとも切実な財産の保全が第一に、そして何よりも本気に取り組まれることなくして、CO2排出ゼロ政策が前面に出されてくるメリットなぞ、いったい何なのでしょう。それとも、私たちの健康と地球温暖化の問題は、まったく別個の問題とでも言いたいのでしょうか。それこそ、地球も私たちも、共に発熱しているというのに。

そういう意味で、目下の私のスローガンとして、「ヘルスファースト」を掲げたいと思っています。 詳細記事

English Version】 

「私共和国」に掲載してきた《四分の三プロジェクト》の計画作業がようやく煮詰まって、その骨格が《時空トラベル》との呼び方で形をなしてきました。それを契機に、今回よりサブタイトルを「《時空トラベル》時代  =旅立ち編=」と改称し、その進捗具合をノートし始めています。その初回は「《時空トラベラー》という過客」とのタイトルです。

そういう次第で、いよいよここに始まる《時空トラベル》なのですが、何やらSF風な響きのあるそのトラベルとは一体どういう“旅”なのでしょう。まさか、タイムトラベルのことを言っているのではないでしょう。

ところがです、私は本気で、これが、まさにSFで言うタイムトラベルにも通じるその第一歩と考えています。つまり、タイムトラベルはこうして実現するかも知れないのです。 詳細記事

本稿の目的は、二つの視点間に橋渡しをするものです。そしてその二つとは、このサイト『両生歩き』の「私共和国」で述べられている《老化に伴う「性的マイノリティ」化――「《「男の急所」の料理法》その2」――と、兄弟サイトの『フィラース Philearth』で述べられている《人生という「実験」》――「理論人間生命学」第2部――です。そしてこの橋渡しとは、言わば、私たち自身に関する微視的視野と巨視的視野、あるいは、現実的視野と理論的視野のそれぞれの二者間を関連付ける架橋との意味合いを持つものです。 詳細記事

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私はいま75歳で、1946年生まれです。つまり、「先の戦争」が終わった翌年生れの、直接の戦争体験はないものの「焼け野原」世代です。そしてその「先の戦争」とは、日本が世界を相手に戦うこととなった「アジア・太平洋戦争」です。

そういう私が、ほぼ十年前、〈「日本人であることの不快感」 と、その解消〉との文章を書きました。その「不快感」とは、自分がその日本人であることによって抱いてきたものです。つまり、その戦争のもたらした加害者意識と被害者意識という“不快”で“ゆえ”もない二者の同居について書いたものでした。

それに続くかたちのこの文章は、「戦時中」にある片側を、いずれであろうと、「味方もしくは敵」として選び始めることの際限のない危険を言わんとするものです。

そして結論は、私たち人間同士に、殺し合うほどに敵視しなければならない理由なんて、もともとありはしない、というものです。 詳細記事

投稿者のご都合で休載します。

最近、とある機会を得て、日本伝統医学を根本的に再認識し、その可能性に目覚めさせられる体験をしました。しかもそれがさらに発展し、この世界を認識する方法論について、それがこれまでの〈科学という方式〉に“対案”をもたらす可能性を秘めているのではないか、そんな発想へのヒントとさえなっています。 詳細記事

この記事は3月26日に繰上げ掲載した記事の再掲です】      

本《豪州「昭和人」群像》は、この第6回を持って最終回とします。その結論回というべき今回は、「豪州昭和人」としては、一見、極めて稀有な事例を取り上げます。ただし、それは一見上ではそうですが、実はその根底で、もっとも昭和の昭和たるところを体現していると考えられるケースです。というのは、これまでのストーリーは、むろんそれなりに固有ではありましたが、一程の同類の中から、特色あるケースをそれぞれ取り出したといった多様性にフォーカスしたそれぞれでした。ところが今回のケースは、間違いなく異色で独特なのですが、しかしそれは、誰にも、どこにでもある、広く共通した身の回りの要素が、ある特異な条件に置かれれば、そのようにきわめて濃縮されて結晶するかも知れないといった、通底する普遍性を示唆しているケースです。

ただその物語の冒頭でお断りしておきたいことは、本稿は、これまでの取材をベースにした実話物語というより、「語り部」がそうした作業を下地に組み立てた“フィクション風”作品であることです。

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投稿者のご都合で休載します。

 【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:ユキヤナギ

撮影場所:赤塚公園

コメント:妻逝きて百日近し雪柳  松崎鉄之介

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連載《豪州「昭和人」群像》も5回目となる今回は、世代としては私「語り部」に近いながら、なかなか世間離れした“お嬢さん”に登場していただきます。といっても、お高くとまったという意味ではなく、九州の地元の有力な家柄にあって無垢奔放に育ちながら、一種庶民的雰囲気をお持ちで、それでいて普通にはちょっとできない人生体験を過ごしてこられています。むろん本記事が取り上げるように今は「豪州昭和人」のひとりなのですが、他のケースとは一味ちがう、両国関係のちょっと上層社会同士での奇遇な出会いの末に実った、日豪の国を分かたぬ新たなきずなのストーリーです。 詳細記事

 【撮影およびコメント 山本 哲朗】

名前:ウメ

撮影場所:小石川後楽園

コメント:春昼や魔法の利かぬ魔法壜   安住 敦

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これまで私は、自分の「健康観」について、三段階――「私の健康観」、同 v. 2同 v. 3――にわたり述べてきました。それらはどれも、それまでの自分を振り返って、「健康」との視点での捉え方の発展をそう記録したものです。その結果、「v. 3」では、そうした「健康観」はもはや「人間観」に至っているとの認識を述べました。そこでそれを、さらに今後へと延長しようとするなかで、あらたな視野が開けてきています。それは、視点を分化させ、タイトルのように「この生命体のオペレーター」と表わせる視野です。より正確には、「この生命体のそれ由来のオペレーター」と記すべきもので、この「生命体」と「オペレーター」との二者は、物質的に後者は前者に由来していながら、その働きは前者を越えていると観るものです。言い換えれば、「オペレーター」はその存在を「生命体」に依存しながら、その働きはそれとは異なるものにも依存している、あるいは影響されているということです。すなわちそこで、そのプラスアルファたる「異なるもの」とはいったい何かということとなります。 詳細記事

連載《豪州「昭和人」群像》4回目の今回は、これまでの三者の、それ相応に異端な事例とは趣を異にして、年齢的にも状況的にもそのあい間で体験された、良き日本と良き豪州の〈ダブル良いとこ取り〉が成し遂げられたケースを取り上げます。つまり、本連載第1回の末尾に述べた「二つの繁栄を享受」できたとみられる事例です。そこでご本人も、「ほんとうにラッキーだった」と語っておいでです。しかも、ほとんど普通な生活の中でのストーリーであり、ことさらに変わった生き方を選んだ結果とはとても言えません。失礼な言い方になるかも知れませんが、ごく平均的な生き方をされてきた、その結果の実りです。そこでもし、こうした普通で当たり前な発展が、特異なケースに見られるとするなら、それは、その当人側の問題と言うより、それほどまでの、まわりの環境の違い(あるいは一種の歪曲視)の問題です。確かに「ラッキー」なストーリーには違いありませんが、不相応な幸運を射止めたような話などでは決してないでしょう。 詳細記事

今回取り上げる《豪州「昭和人」群像》の3人目は、実はもう、豪州にはいません。すでに日本に戻って6年、「はつらつ」とした日々を送っています。ただし、その「はつらつさ」には、あたかも日本と豪州のアマルガムとも言うべき、そうとうな複雑さがこもっています。というのは、オーストラリアで得た広がった体験をもってしても、自らを「無知層民」だったと覚ることとなった自分の生まれ育った境遇がゆえに、戻った日本社会で暮らす困難さを噛み締めながらのそういう前向きさであるからです。今回は、そうしたもはや日本発のストーリーですが、豪州滞在経験が決定的な転機となった「昭和人」という意味で、このシリーズに取り上げるものです。 詳細記事

投稿者のご都合で休載しています。

 

本連載「豪州『昭和人』群像」の初回では、群像のうちの76歳の最古参を取り上げました。この第2回では、逆に、最も若い「昭和人」に登場してもらいます。昭和は64年(1989年)を平成元年として、その年号を閉じました。今回取り上げるR.Y.さんは、4月の誕生日上では、その平成元年生まれで、今年で33歳となる女性看護師さんです。いわば「昭和」と「平成」の境界上に位置する世代です。そのR.Y.さん、この新年早々、オーストラリアの永住ビザ取得の連絡を受け取り、いよいよ、長年の準備をへて、めでたく豪州生活の本格的な門出を果たしています。しかもこの永住ビザ、はじめは、そこまで行けたら最高との、ほとんど“願望”ほどのターゲットだったと言います。それが実際に取れてしまったわけで、そんなことが本当に起こったのでした。 詳細記事

今号から再開の予定でしたが、引き続き、投稿者のご都合でお休みします。

『私の健康観』 v.2」を発表したのが一カ月前でしかも13年ぶりでしたから、もうその「v.3」とは、ちょっとバージョンアップのペースが早すぎるかもしれません。それに、バージョンも3までに上がってくると、もはや「健康観」の域を越えて、一種の「人間観」と言ってもよいレベルほどに入ってきています。というのは、その「健康観」の延長上で、私は、《ふたつの意識》を発見することとなったからです。

そこでまず手始めに、そのふたつを「A意識」と「B意識」と呼ぶこととします。

A意識は、自分の意識の中でも原初的なもので、個別的あるいは没我的、刹那的、フラジャイルで、どこか依存的なところがあります。主観的で「局所的」〔後述〕と言ってもいいでしょう。

B意識は、そういう自己中心的な意識を外から一定の距離をい置いて見る意識であり、ここまでくるには相当な経験を要し、むろん自立し、客観的で「非局所的」〔後述〕な意識です。位置感覚的には山頂にでも立ったような高所からの意識で、自分の意志すらその下にかしずかせるような、「神的」と言っても大げさではない意識です。 詳細記事

日本“本国”では、いまや「昭和」が、レトロ趣味やら、あるいは逆にそれが新鮮と、「平成」越えた「令和」の話題をさらっているようです。そんな本国トレンドを知ってか知らずか、ここオーストラリアでは、当地に根を下ろした「昭和人」の特徴ある群像が見られます。それは、昭和世代にあたる人たちの見せる、この地での生きざまの《はつらつさ》で、あたかも、本国の同世代との思いもよらぬコントラストをなしているかのようです。昭和世代といえば、今年、上は96歳から下は33歳にいたる広い年齢層の人びとを指します。それに「昭和」人気は、誕生年号の「昭和」以上に、「昭和」が醸し出す特異な息吹にもよっているようです。今回より始まるこの新たな連載は、そうした昭和世代のうち、あえて豪州の地を選んで定着したさまざまな人たちを取材し、その《はつらつさ》の源泉を探ってゆきます。あえて名付ければ、「現代“ディアスポラ”日本人」の豪州版実像です。〔「ディアスポラ」の語源は、故国を後に世界に四散したユダヤ人のこと〕

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投稿者のご都合でお休みします。2月7日号から再開の予定です。

投稿者のご都合でお休みします。

下表のように昨2021年の運動記録を集計しました。

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