二人のPSA値が下降

一種の「性的マイノリティ」体験も

 連載《「男の急所」の料理法》(その2)

Aさん 

【4月29日】昨日受診し、採血検査の結果、PSA値が6.7ng/mlになっていました。2週間のホルモン剤内服の効果かどうかわかりませんが、昨年12月の市の健診時の10.1や今年1月の専門医受診時の9.5に比べて、大きく減少しています。

 この先、ホルモン剤の内服を4週間続けると同時に、昨日は腹部へのホルモン剤注射も受けました。また重粒子線治療についても専門医の紹介を得て相談するつもりです。

 

発行人

【4月29日】27日の血液検査結果が出て、PSA値が7.49と、2カ月前の8.07からいくらか下降。この間つづけてきているお灸の効果かどうかは断定できませんが、歓迎できる結果です。

【5月2日】専門医に受診。PSA値も、MRIも問題所見はないということで、ひきつづき監視療法を行うことに。半年後の11月に、血液検査とMRIを再度行う。

【5月4日】私が相談している鍼灸師から、以下のような助言をもらいました。

PSAが下がったのは良い傾向です。多分白血球も増えているのかもしれません。血液検査のWhite blood cellとlymphocyte の値はわかりますか。lymphocyte の値をWhite blood cellの値で割ると、リンパ球のパーセンテージが出ます。30%以上なら文句なしですが、がんの場合は20%を切ると、予後不良です。

リンパ球はお灸で増えます。リンパ球の中にナチュラルキラー細胞NKTCというのがいて、これががんを抑制します。なのでリンパ球が高くなることががんとの闘病力をアップします。

【5月4日】上記の助言に従って、そのリンパ球割合を出すと、7.49の時のデータはないが、過去のものは以下の通りとなった。

    検査日 PSA値 リンパ球割合
  2022年4月27日 7.49  データなし
  2022年2月22日 8.07 29%
  2021年7月12日 7.33  35%
  2020年7月13日 7.29 36%
  2019年11月25日 6.73  33%

発行人

【5月5日】zG〔前立腺癌〕問題に遭遇することで、私は、自分の〈性的アイデンティティー(ID)〉に絡む自分でも意外なセンシティブさを――今更ながら、あるいは、今だからゆえにか――見出すこととなりました。つまり、前立腺の全摘手術に伴うED(勃起障害)の恐れが引き出した、たわいもないほどの本音の発見です。だからこそ私は8年前、専門医とのやり取りで、自分でも驚くほどに(医師にしてみれば年甲斐もなく)カチンとさせられたのでした。

その結果、ともあれ前立腺の全摘手術は回避し、そしてこの間、自分との〈内なる対話〉を続けてきて、しだいに判ってきたことがあります。つまり、命第一の割り切りにも、俗説由来の強がりのいずれにも傾かずに見えてきた、自分の体の“性”域に間違いなく起こってきている、否めない自然な変化ということでした。

このようにして今や、頼りにならぬ「せがれ」に象徴されるように、若きころのあの旺盛な、時にはどう猛ですらあった欲求が確かに鎮静化してきており、そういう意味では、その狂おしさを抑えるのに四苦八苦した頃が、なにやら懐かしくすら思えてきています。むろん一抹の寂しさは否定しませんが、その他方で、何やらほっとしている自分があるのも確かなのです。

さて、それでなのですが、そうした変化に伴い、ある、奇妙な心境に入ってきている自分さえ見出し始めています。それは、こうした老い行く〈性的ID〉について、かつての――粗野な(それこそポルノ情報仕込みの)一人称の――意識とは勝手が違う、《異領域》に至ってきているとの感があるためです。そういう、しだいに移ろってきている、いまさらの新体験な〈性的ID〉が、確かにあるのです。それは、黒か白かといった単純な判別ではくみ取れない、もっと微細な変化のグラデーションに由来するものです。

ここで話は変わりますが、そうした私的心境の一方、近年、性的マイノリティ問題に関わって、日本も含め、世界で次第に広がってきている「LGBTQ+」と自称する人たちやその運動――七色の旗を掲げている――があります。

そこではたと気付かされたのですが、私はその「LGBTQ+」のうちの、L(レスビアン)でも、G(ゲイ)でも、B(バイセクシャル)でも、T(トランスジェンダー)でもないのは確かなのですが、こうした新体験な〈性的ID〉は、Q(クイア〔変わり者〕)の部類には含まれる感じがしてきています。くわえて、「+」と表されている、言わば「その他」をも含むとするならば、自分と「LGBTQ+」と自称する人たちとは、けっこう近い関係なのではないか、との気がし始めているわけです。

「LGBTQ+」の人たちが、前立腺問題を抱える老いた男たちを仲間として歓迎するのかどうかは未知数ですが、私たちの体験する同問題を伴う老化が、私たちをして、その認識の有無は別にするとしても、その「LGBTQ+」の領域に引っ張り込んでいることは確かなように思えます。

ともあれ私の場合、そうした地点にいたる前立腺問題を体験しながらの老年変化をもって、どういうわけか、身の回りの女たち――ことに自分の伴侶――に対し、“妙に”優しく、理解ありげな「男」へと変貌してきているふしがあります。またそれと共に、子供たちが、とてもまぶしく美しく、時にはヘルシーにセクシーでさえあって、自分には実際の孫は居ませんが、これが孫を溺愛する「おじいちゃん心理」かと納得したりもしています。

要するに、「せがれ」の状態にもろに一喜一憂させられたかつての自分に、一種の「青臭さ」すらを見るようになってきているのです。

そこでこうした私的事情を少々一般化して言えば、これまでの自分は、生物上のオスとしての生殖機能を“率直”に現わしていたということで、その限りでは、あまりに機能「正常」な時期の「オス」でありました。それが、ことに生殖機能の自然な衰退体験を通じて、その「正常」性が確かに危うくなってきている時の到来なんだろうと思うわけです。(この意味で、12年前に書き上げた小説「メタ・ファミリー+クロス交換/偶然」は、私のその機能正常時代の最期を予感し、それ飾るかの記念的創作を意味した作品だったと、今になって思えてきています。)

だからと言って、我々のような高齢者とか老人が、「LGBTQ+」の人たちと仲間同士になれたと言わんとするのではありません。ただ、前立腺問題を持つ高齢者とか老人なら、「LGBTQ+」の人たちをより理解したり共感したりしうる、共通の領域をシェアーしつつあると言えるのではないかと考えています。

そういう意味では、前立腺問題や「せがれ」の衰えなどの老化の問題を、いちがいにネガティブに捉える必要はないでしょうし、むしろ、広範囲な人々が持つ様々な機微を、かつての「青臭く」、個性に無思慮であった時期よりは、柔軟かつ正確に捉えうる段階に至ってきていると、ポジティブにさえ捉えてもよい状況かと解釈されます。

むろん、前立腺問題がzG問題へとも進行すれば、そこは、以上のようなポジティブな議論どころか、文字通り「命取り」に至りかねない綱渡りです。

現在の私は、早期のzGを持っているという、そうした綱渡りのロープに、数歩、足を踏み出したところにいます。

そうした「ノーリターン」地点に至ってはいるのですが、そこにある心境から言えば、こうしたポジティブな見方を持てるか否かは、とても大きな心身的分岐となっています。

それは、第一に、意に反するその“無意味な”病変をヒューマンな移ろいの一種へと変換させることができ、第二には、こうした「ポジティブ」思考がその病変に対抗する自身の自然治癒力を高めてゆく触媒になるかも知れないと、その横暴な「無意味」を押し返してゆく貴重な手掛かりになりうるからです。

そういう見地で、注意深く慎重に、この「前立腺問題」の狭い関門をかいくぐってゆこうと考えています。

 

 

Bookmark the permalink.