12月10日〈火〉
もはや完全な「開き直り」の心境。
というのも、先週の自分を映した動画が、もはや、本人がどういう積りだろうと、走っているなぞとは到底言えない姿をさらしている、醜態そのものであった。
確かに前々から、それを「はじり」とは呼んで、それでもケンソン気味な積りでいたのだが、なんのなんの、そのものズバリのハジサラシ姿であった。
まあそれでも、自分としては止める理由はないので、今後は、正真正銘の「はじり」として続行してゆく次第。
そこで、もし、平均速度がキロ9分にまで落ちた時は、その運動を、もう、「はじり」ともよばぬ、ただの「歩き」とすることにしよう。それにしても、それはいつのことか。
だが有難いことに、今日の6キロはじり、足の違和感は、股関節にも、足先にも表れず、この間の心配が払しょくされたこと。外見はどうだろうと、これが何よりの朗報。
要は、この際どくギリギリの対話を、自分の体というエコロジーと、続けてゆくことなのだろう。「うまずたゆまず」に。
12月18日〈水〉
股関節の違和感がなくなり、今日は久々に8キロを「はじっ」た。
まずまずの調子で、タイムは1時間6分34秒。
タイムが感触よりやや長いのは、時計のGPSによる距離が、これまでの距離測定と誤差があって、数十メートル長めに走らされるため。
隔日の水泳は、あまり心拍数を上げないよう抑え目にして、1000メートルが定着してきた。従って、タイムは27分台が続いている。
こうして、体育系老人は自他共にまさにそのもの。
おかげで、毎日、戸外での運動のため、もう日焼けも年を通して落ちることなく、まっ黒がつづく。血液検査でも、ビタミンD値は良好。
12月19日〈木〉
今日、午睡の後、なぜか鬱気分が強く、何もしたくないその奈落の底へすべり落ちてゆきそうだった。
そこで、例の中毒患者のごとき、運動依存の気分で自転車をこぎ、坂道を上って丘をこえ、プールにやってきて泳ぎ始める。
幸い、やや涼しい日で、さほど混みあっていない。
他者にじゃまされず、自分ペースで千メートル泳の後、確かに、その脱出効果はてきめん。
もし、その効果抜きで終日過ごすとなると、夕食もすすまず、夜になれば不眠へと発展し、そこで酒にでも頼ろうものなら、もう、鬱の悪循環にはまり込んでゆくのはほぼ確実だろう。
逆に、運動をした後、もたらされるその疲労感は、心地よい眠りまで与えてくれる。
この際どいバランス回復を可能としてくれるのであるから、運動様様ではないか。
ところで、デジタル新聞で「フキハラ」なる新語を知る。
またしても、「ハラ」語の一つなのだが、「不機嫌ハラスメント」の略語といいう。ことに夫婦関係で、妻が夫の不機嫌の八つ当たりの被害者とされやすいことをそう呼ぶらしい。
そこでだが、おそらく、この運動効果が無かったとしたら、「ハラ」はともあれ、「フキ」は間違いなく生じていただろう。
自身のメンタル管理のみならず、対人関係への潤滑油としても、運動のもたらす効果はもはや絶大。加えて、メタボ対策にもなるのだから、それを「中毒」呼ばわりするどころか、むしろ「特効薬」、あるいは、「必須栄養素」とさえ呼ぶべきだろう。
ただ一般での問題は、その運動をしたくとも、時間の上でも、腰を上げる意欲の上でも、そのハードルが高いこと。
私の場合、若い頃からの慣れ親しみもあって、まして今ではリタイア生活のたっぷり時間お陰で、この二つのハードルは事実上ないも同然。日々のほとんど日課として、運動しに出掛けられる。
これを一日のルーチンにここまで組み込めるまでになったことの価値は、それをこう味わえているからこそ、実感そのもの。
(ところで3月の引っ越しで、当地に決めた理由の大きな一つが、この運動のしやすい環境であったこともある。これは詳しく述べたい)。
そうした運動習慣を急に思い立って身に付けようとしても、そうは容易にできるものではない。
そうした下準備をここまでやってきてくれた過去の自分に、ありがとう、だ。
資産がないことなぞ、大いに、大目に見れる。
12月20日〈金〉
待ち遠しかったラニングコースの歩道の工事が完成し、今日、オープンした。
この工事は、この3月の引っ越し先のアパートの周辺で行われてきている三つの工事の一つで、中でも一番小規模な工事。それでも、道路の橋の下をくぐる路地が立派な歩道に生まれ代わった。以前は人が一人、頭をかがめて通るのがやっとだった。それが、ご覧のような見事な通路になったのと、頭上のメイン道路などへのスロープもグレーチング敷きとなって出来上がった。
これで、わが家からのエクササイズのしやすさも選択も増して、多様化できる。
他の二つの工事は、いずれも、もっと大規模なもので、一つは、近所のプールの建て替え工事。他は、最寄り駅を通る電車が既設線と新線とが合体し、自動運転の新ラインとが相互乗り入れ運行されて、便数も便利さも、二倍になること。
この二つの工事の完成は来年末が予定されていて、すべてが終われば、新居をめぐる住環境が、別格ほどにグレードアップされることとなる。
すべて、引っ越しに当たっての重要な決定理由だったものだが、どれも市や州が公共事業として行っているもの。つまり、我々にとっては所与の環境で、その各段な向上となる。この三事業に目を付けた先の引っ越し先の選択だったが、しだいの完成を見るにつけ、そのねらいが図星過ぎるほどだったことに、自分でも驚かされている。こんな三つどもえのチャンスは、そうあるものではない。