今号の目次

Day 109(2018年12月08日〈土〉)

自分で自分の体と相談するという「内的対話」を、私は治療の一環、あるいは代替治療法としてきた。しかし、どうやら、それを格上げする時期が来ているようで、それは治療どころか、そうすることが、むしろ本道のようである。 詳細記事

慰安婦問題なり強制連行労働問題なり、いわゆる歴史認識問題とよばれる諸問題について、内外の政治家たちの問答はそうさせておき、それとは別に、私たちが互いに人として共感しうる基盤に立ち返る道は可能と思う。つまり、その問題を反面教師として受け止め、私たちの歴史上の尊い教訓とすることはできないのだろうか。「万世一系」に、一度も過誤がなかったとは、いかにも信じ難い。その要は、国であろうと個人であろうと原則は同じで、自らのおかした過ちは、出来るだけ速やかにそれを認め、それから学ぶものを教訓として糧にすることしか善処はない。 詳細記事

Day 98(2018年11月27日〈火〉)

股関節の痛みはやわらいでいるが、用心して、昨日は長めの歩き。

今日は、泳ぎを、短距離を早めに。タイムをとらなかったが、13分そこそこ。

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Day 80(2018年11月09日〈金〉)

はじり10キロ、タイムは1時間20分55秒と、標準の1分おくれとまずまず。それより、運動後の体重が74.2kgと、最低記録を更新。

ただし、気になるのが右股関節の痛み。今日、はじり終わった時、特にそれを感じる。 詳細記事

Day 56(2018年10月16日〈火〉)

はじり再開。8キロで1時間6分45秒と、やや遅めのペース。ただし、体重が75.6キロと、めざましく減量されている。まさに、トレッキング効果、トレッキング土産詳細記事

Day 56(2018年10月16日〈火〉)

シドニーに戻って、インド大都市の汚染と無秩序な雑踏から解放されてほっとするとともに、今はことに、いろいろ案じられたヒマラヤ・トレッキングが、何よりも大成功に終わったことに、大きく安堵と満足を味わっています。

それに加え、自分の体調が、行く以前と比べ、はるかに上々なことです。腰痛も、膝痛も、股関節痛も、いってみれば、すべてが吹っ飛んでしまったごとくです。 詳細記事

Day 37(2018年9月27日〈木〉)

30度以上の蒸し暑さの中を、まるで街中が縁日のような人混みをぬって、幾つもの歴史遺物を訪ねている。きまってやってくる雷雨の午後をさけて、午前中のいくらか暑さのましな時間帯に動きまわる。それでも、シャツは吹き出る汗でびっしょりとなる。カルカッタの実地学習にくわえ、山入り前の体の訓練にも、十分、役立っている。 詳細記事

Day 19(2018年9月9日〈日〉)

安全をとって、はじりを避け、約6キロの丘を昇り降りする散歩。股関節は、痛みというより、こりからくるだるさのようなものがある。ともあれ、あと2週間の調整に専念。 詳細記事

 

 

Day 2(2018年8月22日〈水〉)

今日は、本来ならはじりの日なのだが、左足股関節の痛みのため、再び水泳に切り替えた。1500メートルを40分13秒と、昨日より1分45秒も速かった。これはこれでいいのだが、足の痛みが問題である。質より量作戦も枯渇問題に遮られ始めているようだ。使いすぎからくる変形性関節痛と考えられ、その証拠に、体重の負担のかからぬ水泳中には痛みはない。どうやら、量での解決も見直しが必要なようだ。
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Day 187(2018年8月8日〈水〉)

日本の友人から『アルツハイマー病 真実と終焉』(デール・ブレデセン博士著)を紹介されました。この本は、製薬企業が血道をあげて追究してきたアミロイド・ベータ説をしりぞけ、言わば習慣病としてのアルツハイマー病理を実証した。そういう意味では、医療界の異端――僕は正統と見ます――の偉大な成果です。

7年前、オーストラリアのマイケル・バレンズエラ博士の著した認知症の本を訳読し、『ボケずに生きる』との題名で本サイトに掲載しました。同博士も、アミロイド・ベータ説に懐疑的で、生活習慣の見直しに力点を置いた治療法を説いていました。

ようやく、アルツハイマー病や認知症が、広い意味の社会環境病という認識が広まってきたようです。僕としても、自分の健康の問題と切実に関連付けて、こうした説におおいに賛成できるし、待ったなしの問題として、そういう方向で努力もしてきています。 詳細記事

Day 173(2018年7月25日〈水〉)

早々に店に連絡を入れると、明日からすぐに働いてほしいとのこと。オーストラリアの日常に復帰。 詳細記事

Day 150(2018年7月2日〈月〉)

JL772便でシドニーを発って成田へ。夕刻、練馬の兄宅に到着。

 

Day 151(2018年7月3日〈火〉)

銀行や賃貸関係の実務作業。

 

Day 152(2018年7月4日〈水〉)

兄夫婦や姪っ子たちと歓談。

夜行バスで津へ。乗客は若者ばかり。昔学生のころの帰郷によく使った夜行列車を思い出す。

津で、夫のガン診断のため、亡母の生誕100年を記念する墓参りを断念した妹と会う。

天候崩れ始める。 詳細記事

Day 142(2018年6月24日〈日〉)

回復後6回目の10キロはじり。タイムは1時間22分49秒と平凡だったが、質より量の「はじり」精神のおかげか、だんだん、動きが円滑でイージーになってきた感があります。これはいつものことですが、はじりに腰を上げるまでは、やはりおっくうさが先に立って、おそらく、ヒマラヤの計画がなかったら、サボってしてしまいそうです。ただし、はじり終わった時の爽快感と充実感は、サボらなくて良かったと、心底思わせてくれるものがあります。この対比をたとえてみれば、事前の大いなる期待の割に、事後は何とも味気ないのがセックス。それに対し、事前の気重さに比べ、やってみて本当に良かったと思えるのがはじり。これって、じじいになった証拠か。 詳細記事

Day 125(2018年6月7日〈木〉)

脳負傷以後はじめて、10キロまで距離をのばしてはじった。タイムは1時間21分54秒と、標準ペースを2分弱上回る程度で、キロ当たりは8分11秒となる。6キロ、8キロとさほどの違いはない。しかも、運動後の体重が80.2キロと重く、それでこのタイムなら上々だろう。 詳細記事

1.「穴埋め労働」でいい

前回

2.「市場外行為」の貴重さ

最近の日本の報道を見ると、深刻な人手不足のために、高齢者層にもその供給の掘り起こしが広がっているようです。そうした人手不足対策という意味では、そうした動きは、経済用語で言う「市場内」での動向と言えましょう。

しかし私は基本的に、《働く》という行為は、人間が生きて行く上での必須かつ根源的行為で、「食」や「呼吸」と同じように、死ぬまで――何やら“暗い響き”が伴いますが――続けられるものと考えています。むろんこの働くとは広い意味で、たとえ収入の伴わぬ働きであっても働くことに変わりません。そういう観点では、この《働く》という行為は、経済用語で言う「市場外行為」を特に意味します(そこで《》を付けてそれを区別しています)。 詳細記事

Day 109(2018年5月22日〈火〉)

火曜は泳ぎの日。今日は1300メートルで34分22秒でした。ラップは2分38.6秒/100mです。1500メートルには達しませんでしたが、それに換算すればほとんど40分。あと200メートルを泳ぎきったとしても、これまでにない“大記録”です。 詳細記事

【資料】

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これまでの『修行風景』では、昔なら「六十の手習い」とされるこころみを、「六十の“新職”」の視点から、その初体験、一定の定着、そして中堅化、あるいは穴埋め働きへと、その経緯をやや距離をとった姿勢で、「写生」風に描いてきました。

それはそもそも、私が還暦を迎えるにあたって、自分の「ボケ防止プロジェクト」として始めた寿司修行体験にかかわる一連の体験談でした。その私もこの8月で72となって新たな年男の番が巡ってきています。そしてこの12年間の「ポスト還暦働き経験」に関しても、あらたな「風景」に達しつつあるとの感慨を持ち始めています。

そこで新たに表記のような「多世代協働」というテーマをおこし、この十年余りの私的体験を、少々、格上げしてみます。 詳細記事

Day 97(2018年5月10日〈木〉)

いつもなら、今日木曜は出勤日なのですが、今週は日曜が母の日で多忙が予想されるため、今日の代わりの日曜出勤を引きうけました。そういうわけで、4日連続のエクササイズを実行したのですが、さすがに疲れが残っている感じで、今日は泳ぎを1000メートルでやめ、しかも、ゆっくり目にしました。 詳細記事

Day 79(2018年4月22日〈日〉)

今日は日曜なので、ふつうは「なし」の日なのですが、なにやら気分が高じてエクササイズしたくなりました。ただし、はじりはしないで、歩きにしました。4キロをフルスピードで歩くとどうなのかを試してみたのですが、結果は、36分38秒で、キロ当たり9分10秒ということです。なんだか、低調「はじり」と高調「歩き」との違いに、大差がない状態に入ってきているようです。 詳細記事

Day 73(2018年4月16日〈月〉)

今日、6キロをはじったのだが、なんと先週のタイムより、2分半も早い48分25秒だった。たった一週間なのに驚きだ。まあそれでも、キロ8分の「標準ペース」にようやくもどっただけなのだが、体重は78.0kgと大差はなく、この進歩は不思議だ。今日は、はじっていて、確かに、体のばねがもどったような感じがあって、足が動いてくれていた。ただ、呼吸はそうとうきつかった。

くも膜下出血での入院以来、がっくり落ちていた体力の回復が、ようやく始まったと見れるのか。数えて204日目。 詳細記事

Day 50(2018年3月23日〈金〉)

このDay 50とは、今年2月2日の1410&130から数えて50日目ということで、つまり、1460日前(2014年3月18日)、前立腺ガンを告知されました。そういうわけで、5日前の18日は、告知後4年目でかつ生存率100パーセントの記念日でした。また、クモ膜下出血発見日(2017年9月25日)から180日記念日(半年)でもあります。これもうれしいことに生存率100パーセントです。有り難いものです。 詳細記事

Day 34(2018年3月7日〈水〉)

エクササイズを順調に重ねている。ただ今日は、ちょっと意気込みすぎて、8キロの前半で調子を上げ過ぎ(それでもキロ8分の標準タイム+30秒ほど)、帰路は1キロほどを歩くはめとなった。それでもタイムは2日前より20秒ほど上がっていた。まだまだ、スタミナの回復までにはなっていないようだ。体重も今週になって78キロ台が続くようになり、効果が見え始めた感じ。 詳細記事

Day 25(2018年2月26日〈月〉)

雨模様ながら涼しい日。6キロのはじり。だいぶ時間を短縮したものの、まだ、標準プラス1分半。5キログラムを担いで同様のタイムなら、まずまずといったとこか。 詳細記事

Day 10(2018年2月11日〈日〉)

一カ月前に書いたように、「ボケ防止プロジェクト」も暦を一巡した節目を迎え、また、その末期にしでかしたクモ膜下出血の危機からもなんとか脱出でき、加えて、その回復具合をはかるニュージーランド・トレッキングも無事終了しました。こうして、なんとか取り戻した健康状態を得て、気持ちはどこか、新たな出発点に立ち帰ったかの感を深めています。

ほぼ4年前、いよいよ来たかの思いを強くした前立腺ガンの告知以来、健康回復の歩みを刻んできた僕の二つの罹患カウンターも、折しも2月2日、1410&130日と共に丸い数字となり、これもなにやら、区切り目を示唆している気配があります。

そこでこの2月2日をもって、二つのカウンターをゼロにリセットし、したがって、今日をその「Day 10と改めました。そして同時に、この欄のサブタイトルもリセットし、「そこそこ健康=積極活用編=」とすることにしました。 詳細記事

Day 1,399 & 119(1月22日〈月〉

朝8時45分発のエミレーツ航空EK0412便でクライストチャーチへ。3時間の飛行で現地時間午後1時50分着。公共バスで市内へ。

街は、2011年2月22日の大地震からの復興はまだ半ばという感じで、真新しいビルと、ひびの入った無人のビルや更地にされた未復興の土地区画が入り混じっていて、生々しく痛々しい。

文字通りの象徴であるクライストチャーチ大聖堂は、その尖塔部分が崩れ落ち、まだ本格的復興は着手されておらず、鉄骨によって支えられ、かろうじての姿を保っている。立ち入り禁止の周辺は草が生い茂り、以前に訪れた際の記憶にある、おごそかな広場の雰囲気は全くない。

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脳負傷からの回復は驚くほどで、それどころか、頭や気力の衰えを歳のせいとして半ばあきらめかかっていたところに、思わぬ再考の機会を与えてくれています。というのは、それがどんな作用――先に書いたように、脳トレゲームの効用もあるような気もします――に因るのか、正確なところは判らないのですが、ともかく総体の結果として、以前より意欲や積極度が増してきている感じがあります。 詳細記事

Day 1,384 & 104(1月7日〈日〉

ちょうど12年前、つまり還暦の年の3月、「ボケ防止への第一プロジェクト」という記事をこのサイトに書きました。それは、以来、今日までも続いている、「寿司シェフ修行」という文字通りの「60の手習い」への着手宣言で、かなり緊張した雰囲気のうかがえる文章です。確かにその時は、それなりの一大決心――何しろまったく無経験でお門違いの職域への、その歳にしての入門――で、それこそ「清水の舞台から飛び降りる」心境でした。しかし、今になって思えば、よくぞ決心したものだと、手前味噌ながら、その頭のリセット具合をほめてやりたく思っています。

というのは、それから暦が一巡りして、その決心の効用や意味が、はっきりと見えてきているからです。 詳細記事

Day 1,280+93(12月27日〈水〉)

先週火曜、携帯にGPからのメッセージが入っていたため、月曜の血液検査の悪い結果の緊急連絡なのかと案じていたのですが、クリスマス休暇が明けた今日、そのGPに(3時間半も待たされた末)会ってきました。旅行保険請求のための診断書を書いてもらうよう、ねじ込む必要もありました。まず、血液検査の方はすべて正常で、PSA値も5.68と、前回8月の5.14からやや上がっている(あれだけの身体異変や大手術を体験したのですから、少々の変化はあって当然でしょう)ものの、十分に正常値内でした。診断書も、健康保険対象外の医療行為のため220ドルの料金をしっかり請求されましたが、かくして、旅行保険問題もなんとか片が付きそうです。

そういう次第で、クモ膜下出血による約四カ月間の一連の騒動は、年末も迫った今日、すべて良好な結果に落ち着くに至りました。 詳細記事