5月8日〈木〉
昨日の休養もあり、なんとか晴間ものぞいた間に、距離を伸ばしてみる。
久々の10キロをはじってみた。タイムは1時間27分28秒で、まずは平凡な出来ばえ。足の不調もでず、まずまずのはじり心地。
5月12日〈月〉
定期の専門医の診断。結果は、悪化兆候なし。PSA値は、昨年10月の8.44から8.90へと少々上がったが、一年前6月の9.05よりは低い。つまり、安定。また、膀胱、前立腺の超音波検査でもとくに悪化の兆候もない。かくして、経過観察を継続する。次は半年後のPSA検査。
5月14日〈水〉
デスクワークとエクササイズ。毎日のこの二つの「仕事」は、あたかも地球の両極のようだ。あるいは、この世界にある、あらゆる双対関係のようだ。その一方に傾けば、片やは坐骨神経痛を発し、他方に傾けば、やり過ぎの障害をもたらす。要は、両者のバランスが大事で、その微妙な平衡を保ってゆくしかない。
5月16日〈金〉
先の奥秩父での山行体験が、なにやら、量子理論の実際編にもなりそうな気配となっている。そこにあった地上と上空での3次元体験。それの別バージョンが、明日からの中央アジア旅行として展開されようとしている。
5月17日〈土〉
本日出発の中央アジア旅行の日程は以下の通り。
5月18日〈日〉
いま、マレーシアのクアラルンプールにいる。カザフスタンのアルマティに行く、経由地である。早朝4時について、発は午後12時、8時間の待ち。
まあ、いまどき、どこの空港でもインターネットは自由につかえて、その時間を無駄にしないでは過ごせる。
緊急連絡が入り、印・パ紛争地域をさけて飛行するため、便の到着、出発が、1時間ほど遅れるらしい。
5月19日〈月〉
昨日、シドニー時間では夜中の0時過ぎ、現地時間では午後7時過ぎ、小雨降るアルマティ空港に着陸。地元バスを使い、予約したバッパ宿にかろうじて到着したのが9時ごろ。
空路の途中、ネパール東部のヒマラヤの峰々を見下ろす機会はかなわず。ひとつは、危険を避けての迂回空路と、あいにくの雲に覆われた天候に阻まれたゆえ。それでも、アルマティに接近するにつれ、天山山脈の峰々が、日も傾く中ながら、雲間からかろうじて目視できた(写真)。
5月20日〈火〉
到着したアルマティは、街に緑が豊富で、都市に付き物の、ごまごまとした印象はまるでない。これは、東南アジアとは明瞭な違い。それにひとびとは、日本の数十年前を思い出すような、“素朴”なとでも言える雰囲気をもっている。
私の見る所、こうした違いの源は、地理的条件。なにせ、周囲の地は、広大な山々と同時に広大な砂漠に囲まれているという、日本が周囲に海洋に囲まれているのと明瞭な対比される、違いによる。
ただし、似ているのは、人びとが親切なところ。空港から宿へはあえて地元のバスを使ったのだが、所定のバスに乗ってはみたがどこを走っているのか、車内のアナウンスが現地語だけで、それがわからない。そこで、乗り合わせた若いご夫婦に尋ねると、英語も話せて、何とバスをわざわざ乗り換えてまでもして、私たちを、宿まで案内してくれた。彼の話によると、妹さんが、いま、日本旅行中だとのこと。日本に留学中の甥を訪ねての訪問という。
5月21日〈水〉
計画していた夜行バスは運行されておらず、昼行便でキリギスのビシュケクに移動。正味は5時間だが、越境手続き時間は含まず。
今回初めての陸路越境。乗客は全員いったん降ろされ、すべての荷物も持って越境審査を受ける。
国境といっても、それを成していたのは、幅30~40メートルほどの貧相な川。
バスは別に審査されているのだが、混みあっている様子で、1時間ほど待っていたのだがやってこない。時間を要するとは聞いていたが、やむなく、同乗のデンマーク人、ドイツ人の四人でタクシーを使ってビシュケク市内へ移動。宿泊(この民泊先を見つけるのも大変だったが)。
中央アジア旅行は、いわば旅先新天地。そのため、どうしても事前に得られる情報に限りがあり、予定変更も予期せず生じる。おまけに、言葉も通じず、持参の翻訳機も限界がある。まあ、こうした期待が期待通りでないことも、新天地ならではの味といっていい。ただし、根性も必要。
たとえば、事前情報ではあるはずのバスターミナルが、もう数年前に閉鎖されており、現地はフェンスで囲まれていた。むろん、予定のバスも出るはずもない。やむなく、宿の主人(ロシア語しか使わない)に手伝ってもらい、タクシーを使っての移動に切り替え。
【旅日記つづく】