4月8日〈月

引っ越しした先のアパート(日本でいえばマンション)がまだ新しく(築5年)、清潔なため、室内では裸足で暮らしている。そのため、足の裏の感覚を日常とするようになった。そこで突き詰めたいと思い始めているのが、もう、十数年間もそうなのだが、自分の足の裏の感覚に奇妙な違和感があることだ。ことに、靴を履いた時、あたかも何か異物を踏んでいるかのような感覚。時には、靴下にしわがあって、そこが二重になっているような、それ。

そうした違和感を、この裸足生活の中でもっと追跡して、できれば解消してみたいとの考え。

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3月22日〈金

引っ越しのため、この2週間、運動らしい運動をしてこなかった。引っ越しに伴う力仕事も、運動といえば運動なのだろうが、それによってストレス解放にはならなかった。

今日、2週間振りに、引っ越し先の地で、運動を再開した。

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3月9日〈土

私の右足の指の付け根に痛みがあるという症状について、もう、長くそれを考えてきた。当初は、サイトのスポーツ医学上の助言で、疲労骨折の恐れがあるということで、ともあれ休養が必要とされた。

その後、すねの筋の凝りによる影響を想定して、丹念に凝りをほぐすマッサージを続け、強い痛みが消えることを発見した。 詳細記事

2月26日〈月

どうも、運動の意味することを、見誤っていたようだ。運動ってのは、身体的な運動だけでなく、むしろ、精神的な、あるいは非身体的な運動の面が、一層、重要であるようだ。

というのはこれまで、それは、筋肉の働きによる運動との認識が主だったのだが、いやいや、それどころか、それは、身体だけ、つまり、8キロなら8キロの距離の物的移動だけでなく、精神面のそれだけ、あるいはそれ以上の“移動”も伴っているということなのだ。

言うなれば、脳がそれだけの〈量〉の働きをもしているということで、それは、身体と脳とのシンクロであり対話であり、生体情報の交換なのだ。 詳細記事

発行人

【2月13日】昨日、10か月ぶりの血液検査をしてきた。前回のは昨年5月で、その後8月31日のMRIと11月9日の生検というひと顛末があった末のこの血液検査である。

正直なところを言えば、全摘も辞退して独自路線をゆく中で、その結果がどう出るのか、綱渡りの感触は否めない。 詳細記事

2024年2月8日〈木〉

今日も、10キロをはじった。はじりながら考えたのだが、この運動とは、まさに、身体との対話ということだ。呼吸が苦しいとか、いつもの右足の痛みが今日は軽いとか、左のふくらはぎの筋肉が痛みだしたとか、運動中のそうしたやりとりはいわば休みなしだ。まったく、なんのやりとみもなく運動していしていられることなんてない。

そういうやりとりを繰り返しなが、その背後で、今日は調子がいいとか、もっとペースを上げてみようとかと、もう一人の私が号令をかける。 詳細記事

2024年1月22日〈月〉

運動の効用として、いわゆるストレス解消効果がある。私が昔、論文作成に没頭していたころ、毎日のエクササイズのもたらす「よくやった効果」のことだ。

それと似てはいるのだが、もっと直接的な脳への効果として、私が「リセット効果」と呼ぶものがある。 詳細記事

2024年1月7日〈日〉

自慢話をしようとの積りはないのだが、最近の健康関連の記事を見ていると、なにやら、どちらの専門家も、事実上、私のやってきたことを後追いしているようにも伺える。たとえば「日経Gooday」新年号に、「スーパーシニアにまなぶ;元気とたくましさの秘密」という記事がある。そこで特に強調されているのが、筋肉の役割である。 詳細記事

2023年12月25日〈月〉

今日はクリスマス。日本でいえば正月元旦。まさかそんな日にエクササイズに精を出している人はいまいと予想しつつ、いつものはじりに。ところが、サイクリストが結構いるし、加えて、つどった家族が連れ立った散歩らしきグループもいくつか。 詳細記事