4月23日〈水

日本滞在中はほとんど忘れていられた坐骨神経痛が、オーストラリアでの日常生活に戻ると、ぶり返してきた。デスクワークに数時間集中する、そんな毎日がそれをもたらす。

今日も、午前中に買い物にでかけたのだが、歩き始めると左足の太もも当りに鈍痛がはしり、おもわずびっこを引くほどだった。

これは難儀が始まったと頭を抱える思いだったのだった。

それが、午後、例の荒治療をやってみようと思い立ち、運動をいつも通りにやってみることとした。

そうして、いつも通りのウォーミングアップを済ませると、なんと不思議なことに、この神経痛がピタリと消えていて、通常通りのはじりを始めることができた。

結果、8キロのはじりを終えたのだが、その間、少しもこの神経痛を感じることなく、むしろ、右足先の慢性化した微痛が気がかりになるほどだった。

こうした故障を気にしつつ、ペースを落としていたので、タイムは1時間9分56秒と平凡。ともあれ、はじりを完走できたのは吉報である。

こうした明暗な両面をもつ座骨神経痛とは何たるものか。ともあれ、つきあってゆくしかない。 詳細記事

4月2日〈水〉~16日〈水〉

日本滞在。

 

4月17日〈木

昨夜帰豪。今回の日本一時帰国は、いろいろな意味で、新規な体験となった。

ともあれそのうちの山行きの記録は別記する。

詳細記事

3月22日〈土

念入りにマッサージをした効果なのだろうか、あるいは、変えた走法のためなのか、今日の6キロは、51分54秒と、3日前の55分02秒のタイムから、3分以上も速い。ということは、キロ30秒+ということ。昨日、運動をしていないこと、今日の気温がやや低いことも要因となる。

走法に関しては、最初の数百メートルの立ち上がり時を除き、その後、体の動きがスムーズになってくると、すり足のジジイ走りじゃなく、スプリングを入れた走りらしいフォームができるようになり、それを最後まで続けることができた。感じとしては、フォームというより、筋肉の働きの向上のためのように思えるのだが。両方かも。

詳細記事

3月7日〈金

どうもこの「ダル痛さ」は、座骨神経痛のぶり返しに間違いなさそうだ。

これだけ運動に精を出していて、それでいて、長い座りの問題が発生しているとは、まだ、運動が不足というのだろうか。 詳細記事

3月2日〈日

この頃時折り、左の股関節当りで、痛みではないのだが、かったるいような、うっ血しているような、嫌な感じが起こる。昨日もそうで、例の荒治療とばかりに、いつも通りの6キロはじりをやってみた。 詳細記事

2月7日〈金

これはもう完全な依存症と言っていい。午前中のひと時は、意欲も伴って一定の作業らしきものはできた。それが正午にもならないのに、急にやる気が消え、何やら鬱っぽい気分に支配される。早起きもしていたので、早めの昼寝をとるのだが、その後がもっと悪い。 詳細記事

1月23日〈木

これほど、ペースが乱れず持続したのは初めてかも。まるで時計のように。そのスポーツ時計によると、8キロはじりの最初と最後の各1キロをのぞき、6キロの全分当り歩数が62~64で一定(一つは62~63)。まるで機械! 最初の1キロは出だしのため60~62、最後の1キロはラストスパートのため64~69。

そもそも、これだけペースを維持できたのも、合計タイムが1時間9分58秒と、まったくのスローペースのため。キロ当り8分48秒と、もう歩き寸前。ただし、事後の気分は最高。実に爽やかそのもの。もう、見栄を張らず、このペースで上々じゃないかとすら思う。 詳細記事

1月16日〈木

健康維持のための運動の重要さは、もう常識となった。報道記事でも、それが毎日のよう報じられているが、ことに日経のような経済紙では、その視点は、現役のためのそうした強調である。今日も、50歳代のゆるゆる走り――記事中では「互いにおしゃべりができる」程度の速さと言っている――が必須という。それを僕なぞは、70台末でやっているのだから、もう、大いなる“先駆者”のはずと自負する。

ともかく僕の運動は、それが現役「仕事」なのだ。 詳細記事

12月24日〈火

今夜はクリスマスイブ。それを控えた午後とはいえ、僕が常用する公園は、人の姿もほとんどなく、まるで僕専用のよう。

同公園をわが家のアパート中屋上から一望

この公園は、写真のように、手入れのよい芝生で敷き詰められ、サッカーピッチが4面は取れる広さ。

詳細記事