3月7日〈金〉
どうもこの「ダル痛さ」は、座骨神経痛のぶり返しに間違いなさそうだ。
これだけ運動に精を出していて、それでいて、長い座りの問題が発生しているとは、まだ、運動が不足というのだろうか。
ぶり返しを嘆いてみてもしょうがない。10年前はなんとか克服できた。その10年後のいま、自分の克服力は衰えているのは確か。それだけ、慎重に対処せねばらなない。
またその一方で、「いよいよ年貢の納め時か」との思いが頭をもたげる。まあ、いつも、そんな思いをしてはきているのだが、基本、運動志向という対処は正しいだろうから、従来の延長でゆくことにはなる。
それにしても、こう、繰り返し襲ってくる問題への「賽の河原の石積み」こそ、人生のこの時期のリアリティーなんだろう。
座り姿勢を必至とする物書き仕事に、座骨神経痛問題の対処として頻繁に小さな運動を入れるというのも方法なのだが、肝心の物書き仕事には支障となる。
このへんの、有効はバランスした方法の開発は、目下の急ではある。
3月8日〈土〉
じわじわと下降してゆくタイム。かつてキロ8分の線が、はじりと歩きの境目とかと言っていたのだが、もう、8分も後半、ほとんど9分にすら達しようとしている。
たとえば、昨日の8キロでは、8分55秒。
そこで今日は、その8キロを本気で歩いた場合はどんなタイムか、試してみた。
結果は、1時間16分16秒、キロ9分33秒だった。
どうやら、はじりと歩きの境は、9分15秒あたりにありそうだ。
それと、再認識させられたのは、データによると、運動で消費した脂肪のカロリーだが、はじりの場合は185kcalで、歩きの場合は262kcalという。つまり、あえて歩いたほうが、脂肪の消費は多い。
3月9日〈日〉
なにやら、ある種の皮肉とも思われるのだが、一生けん命に体のコンデションを整え、それだけ意欲もまして、それがゆえにそれだけ書き物の精を出したがゆえ、どうしても机に向かって根を詰めてしまう。それが坐骨神経痛の原因だとするなら、いっそのもと、もっと緩めの取り組みとして、運動も書き物も、ほどほどにするとの手があるかも知れない。
それはそれで、今度は物足らなさが募って、またまた、根詰め作業に舞い戻る結果を招くかも知れない。
度を過ごすか、ゆるゆるとするか、それでいて充分な遣り甲斐も得られる、そんな三徳最適な取り組みがありうるのか。
ともあれ、あれやこれやと、右往左往する姿が実際なのは確か。
3月17日〈月〉
昨日は37度、それが一変して今日は22度。風向き一つでこうも違う。
さすが昨日は何もできず、一日の休養日。
そこで今日は絶好のはじり日和。加えて、「楽して早い」という走り方を取り入れ、さっそく試す。涼しさ、休養、そして新走法の三点セットで、8キロが1時間9分21秒。先週火曜の8キロが1時間11分2秒なので、1分41秒も違う。それも少しもバテず、いつもの7割くらいの疲れ具合。さて、これがなにゆえの記録か。次回のタイムが興味津々。
3月20日〈木〉
先にこの坐骨神経痛をデスクワークの過剰が原因であるかのように書いた。だが、それも一因ではあっても、主因ではなさそうだ。というのは、それは以前にも起こったし、その問題範囲は、身体の腰から下の大半におよんでいるからだ。つまり、僕の場合の坐骨神経痛とは、運動の結果ともいえる症状と考えたほうがいい。それは、運動した結果に身体に残る残滓としての疲労の蓄積によるものなのだ。それが、尻の筋肉の深部や足のふくらはぎ、足の裏まで、広範囲な凝りとなって積み重なり、それが血流を阻害して部位を硬化させ、神経を圧迫しているからのようだ。
したがって、その解決は、運動と合わせて、同じほどの時間をかけてでも、その後養生をしておくべきなのだ。筋肉の働きには、プラスの面と、こうしたその裏面の二面があるということ。
いうなれば、運動を楽しむと同時に、その後始末も楽しむべきなのだ。
実際、痛みの原因箇所の後を追ってゆくと、運動中に感じた、痛みやしびれや攣りの箇所に行き当たる。つまり、体は早くから、そうした異常のサインを出して、不十分な後養生を知らせていたのだ。それを無視して続けた結果の、今の大規模な神経痛なのだ。
運動には、こうした両面合わせた付き合い方をする必要があるということのようだ。
3月21日〈金〉
今日は所用があって、運動抜きの日となった。おかげで、夕方以降、例のいやな疲労感に取り付かれて、一日の終了感が湧いてこない。明日はきちっと「仕事」しよう。