Day 170+314(7月15日)
自分の健康を維持してゆくのは、夏目漱石の『草枕』の冒頭のくだりのごとくです。「智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくに人の世は住みにくい 」。正確にはこの前に、「山路を登りながら、こう考えた」との一文があります。
この切り出しを今の私の場面にあてはめればこんな風でしょうか。「医師に接しながら、こう考えた。頼りきるには危なっかしく、言うに任せればモルモット同然。自論を通すのは孤立の覚悟。とかく人の世は命すらも守りにくい。」
前回で述べたように、現在は自分の命の防衛をめぐり、「active surveillance(積極的静観)」を盾に、なんとか自論を保持しています。前回の血液検査の際も、医師の勧める生検をかろうじて断った末の血液検査の承諾でした。まるで「反目患者」呼ばわりされながらです。
オーストラリアは、GP(末端主治医)制度が徹底されていて、不承々々ながらでも、いずれかのGPの言うことに従わないと、医療制度の恩恵は受けられません。私なぞは、町の医療センターに構える数人のGPを、その場に応じて使い分けているものですから、そうした過去の記録を見た医師は、転々と渡り歩く私のような腰軽患者に、上記のような不満を露骨に表してきます。しかし、そのくらいでないと、あちらの都合でタライ回しされ、そのあげくの「ご臨終」とさせられかねません。
Day 170+319(7月20日)
7年前の本サイトに「私の健康観」と題して、健康とは、自分の身体の内外の二面にわたるエコロジカルな調和状態だと書きました。言い換えれば、体内と体外の二つの環境におけるバランスの失調状態、それが病気だという考えです。
また、昨年の前立腺ガンとの遭遇の経験から、ガンとは生活習慣病だという確信を得はじめています。つまり、生活習慣という二面の環境病だという見方です。
私はこうした見方を、別掲の訳読をつうじて、その確信をいっそう深めています。ことに今回の内容では、ガンは、本来なら弱アルカリ性が保たれている血液の酸性化がそもそもの原因であると述べられいます(「㏗均衡と健康」)。そして、そういう酸性化をもたらしているのは、食習慣を含む、私たちの生活様式の変化であるとしています。つまり、血液の酸性化という体内環境と、そういう身体がおかれている外的環境という、二重の環境病状態があるわけです。
著者は文末で、とるべき選択は「昔の食生活」だ、といみじくも述べています。
ついでに、上記のようなGPの存在も、そうした外的環境の一部と言わねばなりません。