9月22日〈月〉
快晴の日が続いている。今日は休みとする積りだったが、天気に釣られてプールへ。だが、いざ泳ぎ始めると、体がまるで動かない。確かに、疲労がたまっている。そこで、温水の中で体をほぐすように、ゆっくりと500メートルを流した。 タイムは15分16秒と土曜よりも2分近くも遅い。
9月23日〈火〉
今日も快晴。昨日よりやや風が冷たく、その分、はじり日和だ。そこで始めてみると、しだいに調子があがって、とうとう10キロをはじってしまった。それで、気分は上々なのだがけっこう疲れて、夕食後は眠くてたまらず、8時すぎからほとんど12時までぐっすり寝てしまった。そこで報告しておくのだが、そうしたすっきりした身心が創り出したのが、別掲の記事〈「人生三周目」への予告編第一号〉である。だから日にちにすれば24日になってからである。その言いたい放題の話は、こうした身体インフラがもたらしたものである。
9月27日〈土〉
今週は、晴の日が続き、運動日和。ただ、初夏のような温度に体が慣れておらず、いまいちのところ。
9月28日〈日〉
もう十年ほども前となるが、イタリアのザンバラン製の山靴を買った。正価で買えばゆうに7万円はする。それがふと訪れたシドニーの山道具屋で、半額で売られていた。すでに革製から合成繊維製に変わりはじめていたトレンドのためか、その旧式の靴はそう値引きされていた。それは十年前だから私は60代の末、その歳でこんな本格的山靴がまだ必要なのかどうかとの迷いはあったのだが、一目ぼれしてしまった。ただ、売られているのはそれ一足で、サイズが合うかどうか、試しに試着してみると、じつにぴったりなのだ。なにか縁があるようで、ともあれそをれを買って、いま、ここにある。それでヒマラヤにも日本の山々にも行き、一昨年末には、ソールの張替えもした。今年4月の残雪の奥秩父でも、この靴のお陰で冷たい思いを全くしないですんだ。10年前の迷いは杞憂に終わって、今ではまさしく愛用となっている。
今日、その愛用靴にオイルをくれて、来年一月の雪山行きにそなえた。とても十年物には見えない(写真)。そしてこの靴にせっつかれるように、またしてもの山に行きに、わくわくさせられている。
10月3日〈金〉
来年1月の日本行きの際、ただ山行きだけではつまらない。そこである計画が浮かんだ。それは、短期の仕事。それも金稼ぎ目的ではなく、興味惹かれる地の訪問と運動のため。何かそれに適した機会がないか、物色中。
そこで、あるサイトを見つけた。「おてつたび」という旅と隙間仕事をマッチさせたサイト。そこでその会員になろうとして所定のファイルへの記入を始めたが、外国居住者を想定しておらず、よって本人確認ができない。そのむねの問い合わせを入れたが、何と言ってくるか。
10月4日〈土〉
運動が〈仕事〉だという効用については何度も述べてきたが、その感をますます深めている。それどころか、それで健康が維持できる——最近、現場の医師の多くもそれを明言している——のは間違いないのだから、その現実効果の意味はじつに大きいとの実感をいっそう深めている。逆に、それをしなかった場合、おそらく、数日にしてウツ状態から、そして数週にしてそれによる不活発状態によって認知症へと、容易に発展するのは間違いない実感がある。毎日、運動の後、それをしみじみ噛みしめている。
それくらいに微妙な崖っぷちにいるのだが、そこから落ちるか落ちないかの差を、この運動という〈仕事〉が作り出している。つまり、動けなくなるのも運動しないからそうなるのであって、この好循環と悪循環の違いは絶大だ。運動すれば「貯筋」ができ、しなければ「サルコペニア」になる。天国と地獄である。
言葉としては〈仕事〉としているが、それどころか、〈造生命活動〉という意味では、〈一人生殖活動〉と言えるのかも知れない。