10月7日〈火〉
今日は、何か気分がもやもやし、なにやら理由もなくイライラもする。そこでいつものドラッグ効果を期待して運動にでる。幸い、天気も曇り勝ちで暑くもなくてはじり向き。そこで調子をみながら距離を伸ばし、10キロを完走した。タイムは1時間28分01秒で並だったが、その効果はてきめんで、事後は爽快感をえられた。
さてその後なのだが、案の定、夕食後は眠くてたまらず、9時過ぎにひとまずベッドに入る。だが、1時間ほどで、なぜかライオンの襲われるという、悪い夢で覚まされる。それでもう目が冴えてしまって、いやな気分がぶり返す。もんもんとしながら、ふと、足の疲れに気が向く。つるまではしないのだが、さすがに10キロの余韻が体に残っている。
そこで、両足の筋肉のマッサージを始めてみると、筋肉の凝りが、上下肢にある。ことにふくらはぎの奥に、硬く固まった部分がある。以前から気付いてはいたが、簡単にほぐせるようなものではない。また、相変わらず、右足指の付け根に今日も痛みがある。その右足で蹴りを入れるとツーンと痛みが走る。それを避けるため、蹴りを抜いて足の回転を上げるようにしてはじりを続ける。
こうしたマッサージの重点の一つが、すね筋肉の凝りなのだが、もう長くそれをやってきて、以前の骨と間違うような硬さはなくなった。それに伴い、足の痛みも薄れて、上記の程度に和らいではいる。それでも故障は故障で痛みはなくならず、すね筋のマッサージも念入りにおこなう。面白いのが、マッサージをすると、その故障の箇所が、ポワーンと温まる感じがして、血流がはじまったらしいことを感じれる。ゆえにこの「ポワーン感」は、マッサージ効果のいいサインとなっている。
そこで、念を入れて、故障個所ももんでみる。そこで面白い発見があった。と言うのは、足の指付け根の下側は母指球だが、上側は指の骨が皮膚のすぐ下にある。そこでその骨の間のすき間を探っていると、親指と第二指の間に指圧を加えた時だ。不思議に行っても、左足の同じ部分に反応があって、かすかながらも、上の「ポワーン感」がするではないか。右の指圧が左に響いて行っているのだ。そこで、逆に、左の同じ部分に指圧をしてみると、やや弱いのだが、おなじ効果がある。自分の身体ながら、こうした効果をえながらの観察は実に興味深い。身体との対話である。
そうした対話といえば、太ももの奥の凝りをもんでいると、それもやはり、足先の故障個所に響いてゆくものがある。もちろん、ふくらはぎの凝りをもんでいると、足先の「ポワーン感」が起こる。筋肉の中に溜まった古い粘性ある血を、スポンジを絞るように、指圧でじわーっと押し出している感じで、そうして血流を再開させているのだ。その効果がこの「ポワーン感」だ。
さらに面白いことに、ほとんど1時間半ほどをかけて、つまり、10キロの所要時間と同じほどの時間をかけて各箇所のマッサージをしていると、なんと、悪い夢で目覚めさせられた鬱っぽい気分が軽くなっている。うがった見方をすれば、どうも、昼間からのイライラ感を伴う悪い気分の出どころは、こうした足の各箇所に生じている凝りやうっ血のせいなのかもしれない。筋肉の繰り返し収縮が、高精神作用をもたらす精神物質を出していると言うのは今や医学的定説だ。
ともあれ、以上のような体験をつうじて、運動をすることは、ただするだけでは片手落ちで、その後養生も大切ということだ。もちろん、クールダウンはけっこう丁寧にやっているが、ことに高齢者には、それだけでは不十分なようだ。
以上のように、たっぷりな時間をかけて働きかけ、〈体と対話〉することの重要さだ。それくらい、体とは、それ無くては自分が成り立たない、自分のインフラなのだ。
10月13日〈月〉
このところ、身体運動についてはほぼ通常にこなしてきているのだが、精神面において、けっこう不安定なものがある。やや大げさな表現でいえば、「寄る辺が薄らいできている」といった感覚なのだ。これは他方で、自分独自の道を歩んでいる結果である。つまり、独自と孤独とは裏腹ということのようだ。
私の場合、その「独自と孤独」は、「二人家族とリタイア生活」の代名詞でもある。ともあれそれは、自分の選んできた道である。
若い頃のように、毎日、とにもかくにも、大きな集団の中に取り込まれるという、そうした帰属感が日常であった、ある意味で。それを強制されていた。だが、それはもう無くなっている。「ひとり静かに」とはその反面に、なかなか、耐性を要することのようだ。
10月14日〈火〉
12月から1月の正味ひと月、愛媛県のみかん農園での応援仕事が決まった。1月19日から3日間の谷川岳の雪山歩きに備えての体ならしが目的だ。それにしても、いまさらのこうした労働が、はたして正解であるのかどうか。ともあれこの歳で「未経験」領域への立ち入りにちがいなく、果たして、どうなるものかと不安はある。
この仕事、実利的には正解。体を動かすことをかねて、最低賃金レベルながら金稼ぎもできて、この日豪間ハイシーズンの飛行機賃ほどにはなる。そういう意味で、ピタリ合理的なんだが。
10月16日〈木〉
このところ、暑くなってきた季節にまだ体がなじんでいないのか、運動をしていて、どうも呼吸が追い付かない感じがある。
今日も泳いだのだが、なんとか700メートルまでは頑張れたが、それまで。
それにこの数週間、右足のひざから股関節にかけて、何か軽く痛いような、弱いような、違和感が続いている。これは、前立腺癌の骨移転の可能性はある。
その意味で、専門医が手配中の新検査(PSMA PET SCAN)の予約の返答待ち。
10月17日〈金〉
「同時着陸」という言葉が頭をかすめる。これは、身体と精神が同時に終息する意味で、まず、理想的な旅立ち方だ。
ここのところ思わされているのだが、身体の衰弱に伴って、いろいろなことが不可能になり、それが動機となって精神的にも沈鬱となってくる。それが、両面、同じようなペースで進めば「同時着陸」できる。だがそれの精神面での先の進行が認知症だろう。ことに、身体衰退のあまりに、その現実から逃げたいあるいは意気消沈な心情は、認知症状態とほとんど背中合わせである。
それにしても、この両面にわたり出来なくなる自分を、あれこれブレずに、“健全に”でかしてゆくこと、これは至難の業だ。いまやっているように、両面のバランスがとれるよう努力しているとはいえ、それはたとえば、5年先の寿命を10年先程まで延ばせれば大したものだろう。そこに、何かそれ以上の意味はあるのだろうか。
今朝、上記のように記録して、もんもんとした一日が始まった。そこで、例のドラッグに頼るような「はじり効果」を期待し、もう午前中から〈仕事〉を始めた。北寄りの風があって30度を越える気温のなか、距離は6キロに縮め、大汗をかいて終わらせた。
するとどうだろう、期待通り、いつもの爽快感がやってきて、上記のような鬱気分は吹っ飛んで、何とか持ち直すことに成功した。
そうして軽快後、返事待ちの医師や病院に連絡をとった。結果、上記のPSMA PET SCANの予約が11月3日に決まった。そしてその翌週、専門医に会って結果を聞く。
タイミングとして、12月2日の日本行きには丁度いい。もし、何もなければ。
そこで今日の午後は、暑い中の運動で脱水状態になっていたため、水をたくさん飲んだ。
さて、その夕食後である。いつものように、晩酌代わりに、ビールの小瓶(4.3%, 330ml)を二人で半分づつ、しかもその量の3倍くらいの麦茶で割って飲んだ。アルコール濃度からすればほんの微々たるビールのはずなのに、いわゆる深酒をした後のような、嫌な気分に捕らわれた。ほとんど鬱状態がやってきて、大いに苦しい夜となった。そこでまた水をたくさん飲んで、デトクシック(解毒)につとめた。