「人生三周目」の前夜中には明暗がある。その予告編第二号「〈心〉なき片手落ち」はその明部を描いているが、以下はその暗部での「のた打ち」である。
そこで想い起すのだが、12年8カ月前の2013年2月、私の「先頭ランナー」たるバエさんが82歳で亡くなった。生前、そのバエさんがよく口にしていた、「八十の坂を越えるのがどんなに大変か」との言葉がある。そのバエさんがなんとか越えた「八十の坂」を、私はいま、あえぎあえぎ登っている。
その言葉を最初に聞いたのは、その数年前、私がまだ60歳半ばの頃だ。確か、彼が合わない入歯に難儀し、そう嘆いていた時だ。ただ当時私は、「八十」と聞いても数上の開きの問題くらいにしか考えず、その意味についてははかりえなかった。
以下は、今まさに自分がこの「八十の坂越え」を試みている話となるのだが、ことにこの数日(別掲日誌参照)に起こってきた予期せぬ出来事である。
オーストラリアでは、夏になるとDaylight Saving(直訳すれば「日光節約」) つまり「夏時間」が実施される。実施しない州もあるが、私の住むNSW州では、10月5日の日曜日の深夜、午前2時が3時と読み替えられて時計が1時間早められ、それが始まった。つまり、この人為的な夏時間に慣れるまで、生活実感として、日の入りが急に先に延び、その分夕食は遅くなり、朝は早起きが強いられる。その結果、要は、寝不足ぎみとなる。
こうして毎年、この夏時間への切替え時、寝不足やら到来した暑さのため、体の変調を体験することとなる。それがどうも今年は、その変調が普通でない。それこそ、この「八十の坂越え」の大変さに遭遇しているようなのだ。
そうした「変調」について、その具体的ないきさつは、上記の日誌に記した通りだ。
かいつまんで言えば、毎日の運動に際し、まずは暑さに慣れないためらしい体の不調に始まった。そして、寝不足による意識減退が加わり、湧いてこない意欲のための無為にもさらされ、さらには、それが故に自責の念に打たれもしようものなら、もはや完全に、鬱症状の真っ只中に沈んでしまいそうだった。
そこで噛みしめさせられ始めたのが、このようにして「認知症」に転落してゆくのかとの、トホホな恐怖感である。
そこでその日、なんとかそこから脱出したいとの試みとして、もう午前中からの運動という〈仕事〉頼みに出て、それこその“薬物依存”の事態となった。幸い、その効果あって、一時的な軽快は得られた。だがその日、いつものように晩酌として飲んだビールが、しかも麦茶割りの大いに薄いそれなのに、その結果にやってきた深酒症状にも似た、嫌な鬱気分にぶり返させられてしまったのである。
かくして、不調からの脱出に一時的には成功したものの、大した晩酌でもないにもかかわらず、元の木阿弥となってしまった。
こうした遭遇は、何やらこの先への嫌な予感ともなった。そしてそのうち、にっちもさっちも行かぬ詰んだ状態、すなわち、それを正視できないがゆえの正真正銘の認知症状への逃げ込みへ、陥ってゆくのではないかとの思いに捕らわれたのだった。
ところがだが、こうした予想外が続く今年の場合、この12月からは、日本帰国を早め、運動を兼ねて愛媛の「みかん農園」での応援仕事をするとの計画も入っている。そして、来年1月には、待望の「雪の谷川岳」行きである。つまり、この年齢としては型破りな日々を続ける計画でいる。
そこに、そんなこんなの不安定な日々が続いて、これがバエさんの言っていた「八十の坂越えの大変さ」なのかと思い当った。よって胸中には、「もうそろそろ、いい加減にしておくべき時期じゃないか」とのつぶやきさえ出始めている。いわゆる、「年貢の納め時」との心境である。
これが、15年前にバエさんが言っていた「八十の坂」ということならば、いま、「人生三周目」なぞと勇んでいるどころの話ではない。
バエさんの場合、そうしてなんとかこの坂を越えたが、それも82歳までだった。ただ、彼の場合は煙草を辞めず、それがゆえだと思われる、喉頭癌が命取りを早めた。
私の場合、喫煙問題はないが、前立腺肥大とそれの初期癌がある。いよいよ、材料はそろい始めている。
そして、その癌の転移状況を調べる検査を11月3日に受ける。12月2日の日本行きを控えての日程である。
そこでもし、それが「凶」と出た場合である。
そこでその裏目の出た「三周目」だが、それはもはや、選択のないあい路とでも言える事態に遭遇したことでもある。つまり、妥当に安全をとって緊急手術に臨むか、それとも、強気を維持して、計画のまま所定路線を行くとするか。
そこでもし後者を取るとなれば、これまた、先に松岡正剛にまつわって発見した「かまけた悪がり」ということになるか。
以上は、以前なら、「季節の変わり目」にまつわる瑣事のひとことで済んでしまったことかも知れない。それがじわじわと深刻化してきて、それこそ、自分の取れる選択の幅が極めて狭きに至ってきている。そこではもう、どちらを選ぼうかなどとの余裕は薄れ、もうそれしかないとの道行きが、ほとんど強要されるも同然に迫ってきている。
かくして、もはや自由どころか、牢獄の身のごときである。
さてそこに、いったい何を発見して行くこととなるのだろうか。