《時空トラベラー》という過客

《時空トラベル》時代=旅立ち編=(その1)

3QsP Day 290=TST Day 1(2022年5月8日〈日〉)

《健康追求》の意義について、当たり前どころか、ようやく、その奥義が見え始めてきた。

世俗的にはむろん、健康の成果は「長寿」となるのだろうが、私の場合、その成果とは、《時間旅》ができるようになったということ。つまり、人生の旅を、地理空間的に行うばかりでなく、それを時空間的にも行うということ。

言ってみれば、私は《時空トラベラー》。健康でさえあれば、その「時空トラベル」が実行できるのだ。

「ところ変われば品変わる」のが地理的トラベラー。

「時が変われば世が変わる」のが時空トラベラー。

そういう次第で、これまでのサブタイトル 《四分の三プロジェクト》もかくしてその構想が固まり、よってそれを「《時空トラベラー》時代」=旅立ち編=と改称しよう。したがって、そのナンバーも、3QsP Day 290 をもって Time-Space Traveller Day 1 と変更。振り返れば、《四分の三プロジェクト》の時期は、およそ10カ月を要したということになる。【別掲記事参照

 

TST Day 2(2022年5月9日〈月〉)

こうして、残り四分の一のプロジェクトの内実は、TSTに固まった。

このように、その方向と内容が明確化することによって、日々の取り組む課題も整理されてくる。

まず、このTST次元は《氣》と呼ぶ媒体で満たされており、様々なチャンネル(回路)が開かれる可能性をもつ。それは、物質と情報とエネルギーのすべての性質をもち、そのいずれでもない《関係性》(or《つなぎ体》)である。

また、そのTSTの日常での最大原理は《健康》であり、これをもって、TSTの秩序をなし、さらにそれは、《身体》というインフラ機構をもって、《食物》という供給によって支えられ、《運動》――精神活動も運動のひとつ――という働きを生み出す。

これを企業活動になぞらえれば、その最大化をめざす利益が《健康》であり、その生産機構が《身体》であり、その生産材料が《食物》であり、そのオペレーションとメンテナンスが《運動》となる。

 

TST Day 3(2022年5月10日〈火〉)

新調のランニング靴 ASICS-KAYANO を履いて、さっそくはじってみた。

確かに、ヒールのクッションはよく、むしろ柔らかすぎる感じ。ところが、新たな異感触がある。右足の指の付け根の肉厚の部分の感触が、まるで肉がないようなじかな圧痛感がする。肉のスポンジ感が無く地肌にさらされているような。

いつもの痛みもかろうじて出なかった危なっかしさだったが、ちょっと速度を上げれば間違いなく出現するだろう。そんなギリギリの感じ。

要は、靴の問題ではないということのようだ。

 

TST Day 4(2022年5月11日〈水〉)

私にとっての《健康》作業の土台は、自分の体との対話にある。そして、体が私に話しかけてくる言葉は、その多くは、不調や痛みを通しての警告だ。

そこで、昨日の「新たな異感触」だが、今朝、その右足のすね筋肉の凝りをもんでいて、「三里」のやや下と「三陰交」のくるぶしの反対側に、足先の問題部によく響くツボを感じる。つまり、すね筋肉の上下両端ということだ。そして、その両端から真ん中に向かってもみをしてゆくと、問題部にほか―と、ぬくもりが出てくる。

どうやら、血流不足をめぐる、このあたりのやり取りが、この問題の要所のような気がする。そして私が体のためにしてやれること、それは、その不足している血流の回復だ。

 

TST Day 45(2022年5月12日〈木〉)

昔、PhD論文に取り組んでいる時、重要なポイントと注目したのが、「分業 division of labour」ということだった。世界の生産の発展の原理はこの「分業」にあったと言っても過言ではない。

それがいま、そういう世界に生きてきた自分が大事にしなければならないと日増しに注目させられているのが、「自分でする」という「分業」とは真逆の考えだ。そのような過去の文明の発達の動因で、めためたに分化されてきたのが、自分が自分を捉える見方で、いまや、自分の体に何か故障がおこったら、まずは医者にかかる風習に慣らされ切っている。なんのことはない、自分で自分の体をよく感じてきていれば、それがどこからきているのか、おおよそ検討はつく。要するに、自分の分業の分担に専心させられ過ぎて、自分自身のことは完全に盲目にされてきていたというだけのことだ。

いま、自分の足のトラブルと向き合いながら、そうした分業から立ち還ってきて、自分のことは自分でする目や腕を、よみがえらせなければと思っている。

 

TST Day 48(2022年5月15日〈日〉)

どこかで「自分でやる」とのタイトルのブログがあったが、その精神を共有しながら、さらに私流にすると「自分で直す」があることにそそのチャレンジとして避けられないのが、様々の体の“不具合”(この言葉、いつから公用語となったのか)を「自分で治す」課題。

その取り組みで、いつもの右足先の不具合。そのチャレンジの目下の眼目が、その原因を、すね筋肉の凝りにありとにらんで、いま、その〈もみ〉を続けている。その凝りを整体師から指摘されたのが2月の頭。だからもう3カ月にもなるが、当初、それとこの右足先の問題との関係は、さほど重視していなかったし、その凝りそのものも、簡単にとれるものと思っていた。

ところがなんのなんの、当初、それが筋肉ではなく、骨かとも思っていたそのカチカチの物体が、実は筋肉であったと実感し始めたのが、ほんのここ数日のこと。その〈もみ〉のお陰で、確かに筋肉らしく柔らかになってきて、こんなに違うものかと、自分でも驚かされている。そしてことに、その〈もみ〉の最中、患部にピーンと響いてゆく――面白いことに、それは、痛みが患部からすねへと走る感覚の逆である――箇所もあって、その関連性を確かめてきている。と同時に、患部周辺がポワーンと温かく感じられ、さらに今日は、足先の裏の厚みや丸みが増してきたような感じがした。以前はもっと、平ったい足先だったと記憶している。

思い起こせば、両足の親指に違和感が始まったのは、もう、十数年前にもなろうか。親指の感覚が縦に半分に割れ、その片側に、しびれるような感覚が始まっていた。おそらく、それが、このすね筋肉の凝りの影響の始まりだったのだろう。だとすれば、そんなに長期間、凝りをほっといたのだから、それが痛みとして現れてきても不思議ではない。

逆に、それだけの長期間の凝りなのだから、そうは簡単には取れてくれない。

ともあれ、上記のような、この間の〈もみ〉の効果があって、回復が始まっている実感はある。

要は、いつ、その痛みが完治し、思い切ったはじりができるようになるかだ。

ちなみに、昨日の6キロの歩きの際、痛みまでにはいかなかったが、今にも出そうな危なげな感覚は強かった。

今朝の起きさしの〈もみ〉では、そのポワーンがいっそう感じられた。

 

TST Day 50(2022年5月17日〈火〉)

結果から言えば時期尚早だったのだが、今日、あえて痛みを気にせずにはじってみた。往路はよかったが、復路で、痛みがぶり返してきて、6キロの予定を、5キロで打ち切った。ただ、その痛みの感じが、これまでのピーンと走るようなものでなく、足の裏の指付根の肉丘部のほぼ全面に感じる圧痛に近いものだった。それを勝手に、回復途上の痛みへの移りと解釈している。

それと、養生による運動量の減少のためか、体重がじわじわと増えてきており、今日ははじり後でも78キロを越えていた。体重増は、そのためにますます動きにくくなり、悪循環をもたらす。ダイエットに本気で取り組む必要がある。

 

TST Day 52(2022年5月19日〈木〉)

運動に関して、いい結果。水泳で、体重が増していて記録は悪くなりがちなはずなのだが、今日は、昨日に続いての連日なのだが、昨日の1000mが25分47秒、今日の1200mが30分54秒と、いずれも500m当たりサブ13分となった。

ことに今日は、左手の使い方が効果的で、うまく推力に結び付いた。その結果、タイムの割には呼吸も楽で、1000mでほどんど同じタイムなのに、昨日のギリギリの1000に対し、今日の1200には余裕すらあった。 

 

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