「この生命体のオペレーター」

従来の「健康観」に代わる認識として

「理論人間生命学」との融合

これまで私は、自分の「健康観」について、三段階――「私の健康観」、同 v. 2同 v. 3――にわたり述べてきました。それらはどれも、それまでの自分を振り返って、「健康」との視点での捉え方の発展をそう記録したものです。その結果、「v. 3」では、そうした「健康観」はもはや「人間観」に至っているとの認識を述べました。そこでそれを、さらに今後へと延長しようとするなかで、あらたな視野が開けてきています。それは、視点を分化させ、タイトルのように「この生命体のオペレーター」と表わせる視野です。より正確には、「この生命体のそれ由来のオペレーター」と記すべきもので、この「生命体」と「オペレーター」との二者は、物質的に後者は前者に由来していながら、その働きは前者を越えていると観るものです。言い換えれば、「オペレーター」はその存在を「生命体」に依存しながら、その働きはそれとは異なるものにも依存している、あるいは影響されているということです。すなわちそこで、そのプラスアルファたる「異なるもの」とはいったい何かということとなります。

 

そこでですが、この設問を、過去の「私の健康観」との視点に関連させて言えば、「健康観」とは、この「オペレーター」が、自分でもってその身体装置を、その仕組みを理解し、故障させることなく、もっとも上手に運転するということです。

そしてそれが「人生観」のレベルに達したということは、もはや下手に運転することはなくなり、その上達した運転によって、その身体装置の最大能力をどう引き出すのか、というレベルに移ってきているということです。

ということは、その設問とは、その身体装置が、いったいどういう仕組みに基づいているのかという、仕組みを形成している《摂理の世界》の問題となります。

そこでこの問題を、人間という「生命体」に関わっているという出だしに戻って言えば、この「オペレーター」は、自分の生命の由来である地球環境の産物でありながら、それとは「異なるもの」にも依存しているということです。少なくとも、地球環境に限定されてはいなさそうだ、ということです。

そこで、この「オペレーター」が依存している、地球環境とは「異なるもの」とは何かを探求してゆくこととなります。

 

以上のように分化という〈思考の補助線を引く〉手法を通じて、この《地球環境とは「異なるもの」》へと踏み込んでゆくこととなります。

そこでその踏み込む方法は何かとなりますが、その地球環境に基づく仕組みを理解するためには、身体や生命に関しては生物学とその応用である医学、そして物質に関しては物理学などを取り上げることとなります。そして、《地球環境とは「異なるもの」》を探るためには、情報生命学や量子物理学、さらには、こうした科学が排除する、あるいはその境界上の知見を探って行くこととなります。

 

ところで、すでに私は、こうした《地球環境とは「異なるもの」》を探る作業については、そのステージを、この『両生歩き』サイトとは別の場においてそれを用意してきています。それが、兄弟サイト『フィラース Philearth』です。そこでこれ以降の発展は、その場において行われてゆくこととなります。

即ち、「理論人間生命学」への合流です。

なお、こうした《地球環境とは「異なるもの」》を探る作業への移行を可視化したものが下図で、これに至る詳細については、この兄弟サイトのこのリンク先において既述済みですので、参照してください。

 

 

Bookmark the permalink.