じいさん二人、介護を思う

話の居酒屋

第二十五話

今回の居酒屋では、二人のじいさんが話し込んでいる。学生時以来の長年の友人同士らしいが、人生の長丁場もここまでくると、自身も老い、時代も変わり、互いが立つ瀬にも違いが明らかになってきている。ことに、片やは、娘や息子そして孫たちから金婚式を祝福される睦ましい夫婦関係のおじいちゃん。他方は、離婚を経験した後、男版の「おひとり様」でこの歳に達し、子も孫もなく、それこそ、無頼の「独歩老人」である。

 

Copilot による作図だが、やはりちょと変。

「この節、〈昭和も遠くなりにけり〉としみじみ思うんだが、おたくはどう?」

「そりゃあ似たり寄ったりだが、その昭和でもいつ頃の昭和だよ。戦前のか、それとも我々若かりし頃のか?」

「もちろん戦前じゃない。戦後の、ちょっと貧しいが、明るい上り坂の昭和ってとこだが、俺みたいに長く外国暮らしをしてると、自分の子供時代を懐かしむ気分とも重なって、ダブルの回顧風情にとらわれる。」

「まあ、確かに、ひたりたいそういう昭和風情はある。だけどそれがいま、とくに商売主義で注目されて、テーマパーク化までしてるよ。人集めには役立つらしく、まるでパンダだ。」

「それらしきやつ、到着した羽田の空港ビルで見たよ、まるで映画のセットのような作りもののショーワ街。」

「そうなんだよ。ところでね、僕らみたいな国内組から見れば、君なんて、そうやって生国のしがらみを抜け、ぞんぶん羽ばたいていて、それでも昭和回顧なんて必要なのかね。」

「よく言うじゃないか、外国暮らしの日本人のほうが、日本にいる日本人より、日本人臭いって。」

「〈亡くして知る親の恩〉風な、かえって大事にしたいって心理かな。」

「そうかもね。だから自分でも感心するんだが、そんな、ちょっといじらしいような、回帰心境は確かにあるね。」

「じゃあ、死に場所は、日本ってことかな?」

「おいおい、いきなり死に場所か。」

「お互い、そんなに遠い先のことじゃないだろう。」

「それを言うなら、そこまで、どうやってたどり着くかだよ。死に場所はその後でも遅くない。その前に、間違いなくやってく、自分の介護をどうするかだよ。おたくのように身内に囲まれてると、細かいことは別としても、それとはなしにはお膳立てされてるんだろう?」

「正直なところ、まわり任せにしているところはある。でもね、人任せにしたくないからって、自分のことは自分で決めると、勝手にゴイゴイやるわけにもいかなくてね。」

「俺の場合、今はまあ勝手にやれてるとしても、こういうシングル者には、結構リアルな問題だね。」

「何か、準備をしてるってことか。たとえば、老人ホームとか。」

「いや、施設入りは、あったとしても、最後の最後の短期間だけにしたい。いまはまだ、それ以前の段階。」

「というと?」

「いまさらそれもないんだが、やっぱり、いわゆる“家族”に帰るってことなのかな。親身に面倒を見合える人間関係づくりということ。」

「そんなのは、必要になったからって、一朝一夕でできることじゃあないだろう。本当に親身になれる、なってもらえる関係ってのは、やっぱり、時間と、おそらく、血縁がはぐくむものじゃないかな。」

「おおせの通りだろうとは思う。だから、遅まきながらだが、それに真剣に努めてるね、血縁は無理だとしても。ただし、相手にどこまで汲んでもらえているかは自信はないが、前進はしてると思ってる。」

「その相手って、同居してるパートナーのこと?」

「うん、けっこう、行きずりみたいでやってきた関係なんだが、もう二十年にもなる。そんな年月も下積みとなって、この領域に入りつつある。」

「子もない、孫もいない、ただ、一対一の関係だよね。」

「そう。だから、家計や物の所有は、互いに別々で、いわゆる家族としての縛りはない。唯一、心情上の親身さだけで同居が続いてると言えば聞こえはいいが、同居が生活コストの無駄を省く効果も無視できない。」

「合理主義の卒業かな。ともあれ、そう続けられてるなんて、人間関係として理想的かも。」

「まさか理想的ではないだろうが、こういうのって、けっこう緊迫感があって、一種の綱渡りの感触。それがね、最近、そうした心情を支えてるものが、結局、健康あっての話だと、ますます思えてきてる。互いに健康でさえいれば、不安定の回復も失敗の穴埋めも可能。だが、どっちかが病に倒れたら、その時をもって、この一対一の対等関係は崩れる。そして始まるのは、事実上の、やむない老々介護。そこに家族の何のしがらみもないとくれば、共倒れを防ぐ意味でも、相手のお荷物になりたくないって意味でも、即、施設入りとなるだろう。」

「それは誰でも同じじゃないか。そして、明日かもしれない、時間の問題。」

「そう、だからできることは、その時を、できるだけ先延ばしにすること。つまり、健康維持。つまり“血”の代わりかな。」

「血縁じゃないが自分の血ということかな。ともあれ、それでもその時はくる。」

「同時に二人がピンピンコロリといけば、めでたしめでたしだ。」

「ピンコロがあったとしても、ずれるだろうね。十中八九。」

「そこはもう、いかんともし難い。だから自分のためにも、相手への責任としても、健康努力を突きつめてゆくしかない。〈血〉ではない、〈健康〉を通じた家族づくり。」

 


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