日本という自分の生国を、「一時帰国」として旅する体験は、年々、新味を帯びつつある。

それはどうも、その生国がスローペースながらも変わりつつあることと関連し、また当の本人も加齢につれ、その地の古えのものにかえって新鮮なものを見い出すようになってきていることも手伝っている。それに、意図して外国暮らしを続け、あえて身にまとってきている「無・帰属志向」があるのだが、それの一方で期せずに芽生えてきた、国や社会には限られない普遍土壌を掘り起こしたいとの気持ちも、別の角度からの照明を与えている。そういう地球的、ひいては宇宙的広がりも、その新味さにまつわるバックグラウンドとなっている。

そういう次第で、すでに観光気分での訪問には到底なれず、かと言って、旧知を温めたいとするのも時にお仕着せがましく、ましてや、今さら古き良き郷里心なぞにひたれるはずもなく、何やら“半外人”風のひとり旅が落ち付く格好となっている。

そこで今回は、愛車「バーディ(折り畳み自転車のブランド名)」をオーストラリアより持ち込み、渥美半島から志摩へと、初夏の日本の“地ずら”をペダル旅してみることにした。 詳細記事

旅というのは一種の取捨選択で、自らを日常から切り離して、地を選び、そこならではの予期せぬ出会いへの期待である。それは、たとえ自分の生国への「一時帰国」の旅であったとしても。

そうした選択として、この日本の初夏の旅では、ひとつは渥美半島から志摩を自転車でツアーし、もうひとつは、奈良県の山ふところ深く、また、大阪・奈良県境、金剛山麓の千早赤坂村(楠木正成の千早城の地)を訪れた。 詳細記事

天皇の代替わりを祝うオシキセ「10連休」が終わりました。この間、私の住むこの南半球まで、太平洋を渡ってその祝賀一色の津波が押し寄せてきていました。本稿は、日本のメディアが伝えるその「一色性」が、どうやら作為的で作られたものに過ぎなかったこと――言い換えれば政治的演出と見るべきこと――を、本サイトを訪れる読者数の変化より検証しようというものです。

全般に本サイトが扱う記事は長いものが多く、それを読むには、まとまった時間が必要となります。そのためか、毎年の夏や冬のいわゆる休暇シーズンに、訪問者数が増える傾向があります。先にも書いたように、今回の特例な「10連休」の際でもその増加傾向が見られたのですが、それに終わらず、ことに5月5日には一日訪問者数が2,030人にもはね上がり、本サイト始まって以来の破格の記録となりました。

そこで本稿ではで、本サイト掲載記事のうちから特徴的な『天皇の陰謀』の記事を取り上げ、それへの訪問者数合計の全体に占める割合の変化を見て行きます。そしてその変化の度合いを探ることを通じて、その「一色性」が、少なくとも本サイトの読者数に関する限りは、決して事実ではなかったことを述べるものです。 詳細記事

ニュージーランド南島のネルソン湖国立公園を行くこの5泊6日のトレッキング(Travers-Sabine周回コース、下地図参照)は、その計画の段階から、内心を白状してしまえば、気の重いところのぬぐえない行き先でした。というのは、このコースは、小屋使用は可能なものの、それは宿泊だけで、その他のもの、特に食料、料理器具、燃料、寝袋等を持参せねばならず、ことに日数が6日にもなって、それらの重さが相当な負担となるからでした。現に4年前にミルフォードサウンド(3泊4日)に行った際、肩にザック擦れを作って痛い目に遭った体験があります。加えて、自分の体力の減退も日ごろより気掛かりとなっており、私にとってこのトレッキングの実行は、相当にチャレンジングなものでありました。以下は、その6日間の映像レポートです。【なお、別掲でこのトレッキングの体験考をレポートしています】
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今年(2018年)10月、インド、シッキム州へ、カンチェンジュンガ峰を望むトレッキングに行ってきました。この計画は、昨年の脳負傷によって一時断念したものに、再び挑戦したものです。 詳細記事

エベレスト、K2につぐ世界第三位のカンチェンジュンガ(8598m)。その高峰を、その南壁直下より、氷河のみをへだてて直望できるゴチャラ峠(4950m)。その世界でも稀有な地点を目指すのがこのトレッキングです。 詳細記事

ひとことで言って、その振り出しから、これほど予期せぬハプニングに見舞われ続けた旅行は初めてでした。そして、たかが川下りと甘く見ていた見当違いがアダとなり、結果、カヌーが転覆、若いスイス人カップルに助けられてなんとか危機脱出できたなど、気が付けば、「自信過剰おっさんたち」のとんだ<はみ出し行動>となっていたのでした。 詳細記事

この度の北米旅行の目的のひとつに大統領選挙のクライマックスを現地検分することがあったのですが、今回はまず、その見聞記から入ってゆきます。

結果として、トランプ氏が劇的な勝利をさらったその行方について、私は実際にアメリカに行くまで、それを確信できませんでした。ところが、まずサンフランシスコ、そしてロスアンゼルスと、アメリカ西海岸の二大都市に滞在して、ほとんど即座に、その勝利を確実視するようになりました。それは、この二つの都市の荒廃ぶり――前から耳にはしていましたが――を目の当たりにして、アメリカの陥っている問題の深さゆえ、尋常ではないことが起こりそうだと肌で感じたからでした。 詳細記事

旅の醍醐味は、何といっても訪問地自体のもつ地理的魅力ですが、それに劣らずに興味深いことは、その訪問先で一見“偶然”のように生じる未知の人との出会いです。ところが、その「偶然」というのは、実はそうではなく、世界のあまたの地からそこが選ばれ、そこを訪れた人々が共通して持つ選択や好みがその背後にあり、いわば「類が類を呼ぶ」収れんがそこに生じているのです。その結果、その出会いとは、そうした「類」同士における初接触であるのです。そういう意味で、その偶然は、あってしかるべき必然の産物なのです。そして、そうした出会いを体験したその新鮮な驚きは、旅の持つ地理的魅力に負けぬ旅の深みをもたらしてくれます。あたかも、旅という「ふるい分け」がもたらす絶妙の「縁結び」であるかのように。 詳細記事

ふと気が付いてみると、今度の北米大陸旅行は、先に書いた「反歴史》《反事実」といった姿勢に、知らず知らずに入り込むことなっていました。

というのは、日本人は歴史過程をつい単一構造で見てしまう習性があるようで、それがいったん旅に出ると、そんなものではない気配にさらされるからです。

今回の北米大陸旅行のうち、先のアメリカで発見したものは、グランドキャニオン地帯にある重層するキャニオン構造でした。

それにつづいて、このメキシコ旅行で発見しているものは、アメリカのそれとは対比をなして、歴史上のもろに重層する文明構造です。

私のように、訪問地の事情など不勉強のまま旅を続けていても、そこにしばらく滞在していると、その表層の背後に存在する、歴史や文明の地殻構造が感じられてきます。いわば文明の「グランドキャニオン」たるものが、そこここに歴然と存在しているのです。

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