前号に掲載した私の日本訪問談「巡り合った二つの古代溜池」に、それを読んだ二人のリタイア途上の土木屋さんから、以下のような反響をいただきました。一人は、吊り橋という橋架けの、もう一人はダムという大きな溜池造りの、それぞれの専門分野に携わってきた人たちで、その専門視点の今なお健在さが伺えます。

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新年にあたっての抱負めいたものに、「頭のフェミニン化」、もしくはちょっと今風に、「オツムのカミングアウト」をしたいと思っています。今日の世界や社会のもうどこもかしこも、世も末ほどもの混迷の顛末を目の当たりにするにつけて、それほどまでの人類の劣化の主因を探れば、それは、「男」が長年にわたって君臨してきた仕組みに帰すだろうと思うからです。そして、もはや私の「男」は、その自分たるものの「カミングアウト」という、平衡感覚のとぎすましの必要に迫られていると考える次第です。

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巡り合った二つの古代溜池

1200年を越えて残る土木遺産

昨年11月の日本滞在の際、ことに訪れたい目的地がありました。それは、香川県にある満濃池で、1200年前の飛鳥時代、弘法大師空海によって修築されたものです。加えてその道すがら、友人の助言もあって、それにさかのぼる200年前の西暦616年頃に築造された大阪府の狭山池もたずねることとなりました。こうして、古代日本の農業灌漑用溜池のうち、前者が最大規模の、後者が最古のものであるという二大名所を実際に訪れ、それがきわめて意義深い土木史遺産であることのみならず、自分が生涯曲がりなりにも携わってきた専門分野が、畢竟(ひっきょう)何であったのかを再認識することとなりました。【English版

満濃池(まんのう町ウエブサイトより)

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三年ぶりに日本を訪れ、その自然美に触れた。いろいろ語るより、一枚の写真にそれをお願しましょう。

埼玉県両神山山麓にて(2022年11月16日)

感激と落胆

アンナプルナ・トレッキング(その3)

ベースキャンプに無事到着

【第7日】デウラリ(Deurali 3200m)からアンナプルナ・ベースキャンプ(ABC 4200m)

この日の行程は、いよいよ大詰めの標高差千メートルの登り。高度もあって確かにきついのだが、天気もこの上なく、思わず風景に誘われて足取りも軽くなる。

 

日も西に傾くころABCに到着。眼前にアンナプルナ南峰の山肌が迫って圧倒される。

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アンナプルナ・ベースキャンプへ

アンナプルナ・トレッキング(その2)

アンナプルナ・トレッキングは、行程を一日早め、10月21日、無事、ポカラの町に帰ってきました。そのレポートは多岐に渡りそうなのですが、それを二テーマに絞り、三回にわたって掲載します。今回はその全行程を、写真でまとめたものの前半です。運よく、全行程、好天に恵まれ、まさしく、写真撮影には絶好の機会でもありました。

これがポカラの町から見わたせる、アンナプルナ山群の遠景です。中央がフィッシュテイル(6997m)。この角度からでは槍先のように見えますが、今後山中に進むにつて、その名のごとき姿を見せてきてくれます。

 

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到着したカトマンズは雨の中

 アンナプルナ・トレッキング(その1)

今日は10月6日、ここカトマンズは朝からけっこう強い雨。

4日にシドニーを立ち、シンガポール、クアラルンプール(KL)をへて、昨夜遅く、当地に到着。

 

カトマンズ行きのBatika Air機。尾翼のデザインがいかにもネパール風。(クアラルンプール空港にて)

 

 

 

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意外に関心あつい老人イッシュー

シリーズ「老いへの一歩」への閲読データを分析

日本では、9月19日は「敬老の日」であったようです。しかしここオーストラリアでは、父の日や母の日はあっても、老いを趣旨とする祝祭日はありません。そうした文化や制度上の扱いの違いのある「敬老の日」ですが、その日にちなんで本記事は、ほぼ十年前に掲載したシリーズ記事「老いへの一歩」への閲読データを用いて、読者におけるそうした「老人イッシュー」への関心動向を改めて分析しました。私は、ブログ発行は、蓄積された読者反応データの分析を通じて、書かれた記事のネット社会による評価度と、逆に、特定記事を設問にみたてたある種の世論調査という、二面の働きをなしえると考えています。本稿は、そういう二方向の意味を探った分析結果です。 詳細記事

これまで本サイト掲載の「いちばん若い『昭和人』」や「国際看護師オープンキャンパス」の記事でおなじみのR.Y.さんこと山本瑠璃さんが、今度は、左図キャリア講座で、8月28日(日曜)午前11時(日本時間)より、国際看護師の一人としてオンライン対談します。参加希望の方は、以下で予約(無料)を。https://medistudio.com/career/20220828

 

前号にそのレポートを掲載しましたように、「老若共闘」への具体的歩みとして、若い世代との交流が始まっています。それは「時空トラベル」と呼ばれる世代間の隔たりを旅する行為です。ことにそこには、その隔たりをつくる人生体験の長さの違い、つまり、時間という“距離”がもたらすものを、何によって、どのように互いに交換できるのか、そういう、おそらく他の機会では絶対にありえない、「時空世界」を実際に体験できる機会があります。そのような、言わば人間としての究極の「トラベル」を通じて、そしてそれをもってしかやり取りできない、過去よりの《人生の知恵》と、未来という《新品の時間》との融合が可能となります。 詳細記事