今度の6月11日から23日までのベトナム旅行の感想として、〈体にとって健康、脳にとって知性とは何〉と言うと、なにやら落語の大喜利のやり取りのようです。つまり、先にこの旅行の特徴を「偶然ゲーム」と表現したのですが、そうした興味を違った風に言ってみると、こうした大喜利まがいの「なぞかけゲーム」の味わいとなります。

大喜利は、「何々とかけて」という問いがあって、「何々と解く」との返答あり、そして「その心は」と落ちがきます。そういう三ステップの「話のゲーム」です。

ではあらためて、大喜利風に言いますと、

「ベトナム旅行とかけて」

「体にとっての健康、脳にとって知性、と解く」

さて、「その心は」、、、、、

降り立った乗客でごった返す終着サイゴン駅ホーム

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どうもこのベトナム旅行レポートは、自分の昔と重ね合わせた、ノスタルジックな感慨が毎回の主題となっている感があります。ただそれもそのはずで、来月に喜寿を迎える者による旅とその報告ですから、それも当たり前な話と言えます。

そこでなのですが、こうした年寄りのノスタルジック傾向に対して、若い世代の夢追い志向というのも、対称的な「当たり前」な傾向と言えるでしょう。それを図示すれば、こうなります。

背景写真は、ベトナム中部ホイアンの町の広場にて

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いま、ベトナム中部のフエのホテルでこれをつづっています。

フエと言えば、ベトナム戦争中、僧侶が抗議の焼身自殺をした町として思い出されます。

三日前、シドニーよりクアラルンプール経由のLCCでハノイに入り、二泊して、昨夜、8時間を要した夜行バスで、今朝、この町に着きました。

そのベトナム首都での二日間、行き先といえば、石灰岩地形の川を手漕ぎボートで行く観光【下写真】をしたくらいで、あとは、文字通りの行き当たりばったりの〈偶然のゲーム〉を楽しんでいます。便利なサービスに頼らぬ虚心坦懐と言えば聞こえはよいですが、ある面、ずぼらでもあり、また、年に似合わぬ無鉄砲なスタイルでもあります。

ハノイ市街から2時間ほど、チャンアン渓谷と呼ばれる景勝地。

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こんな「どんな旅でもない旅」をしていて、ふと気付かされたことがあります。

それは、昔、若かった頃、ふと思い立って行当たりばったりの汽車に乗り、たまたまに降り立った駅で案内された、たまたまの民宿のお世話になった、そんな時代やスタイルに近いものがあることです。

フエを流れるフォン川ごしに山々が遠望される光景は、どこか日本の地方の町を思い出させる

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前号までに、二編の連載記事「日本エソテリック論」と「人生はメタ旅に向かう」を完結し、別々に頂上をめざしてきた二つの登山のはずなのに、実際に登頂してみれば、実は一つの山であったとの感慨を述べました。本稿が述べるのは、その〈二登山同時達成〉によって得られた、その頂上からの思いがけないほどの眺望です。そしてそれは、「人生談」と「学的分野」の間において見出せる、ひとつの《実験のもたらした視界》です。つまりその同時登頂とは、人生というリアルと、実験というメタの、人間だからこそ可能な自己自身を対象とした〈実験〉を通した、その二つの〈運動=旅〉の融合であったのです。

登頂を終えて(なおこの山々については、この記事を参照)

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特殊秘密政策の詳細

訳読コメント(その21)

前号の「アメリカン・ナチ」に続く、アメリカ社会の陰惨な大衆支配の、徹底して隠されてきている実態のレポートです。

非常に詳細な情報の集積であり、むろんおおやけに報道される種類の話のレベルではありません。それだけに、なかなか、読むことに努力がいるものともなっています。

それを注意深く読むとき、今日のアメリカで、どうしてそのようになってきているのか、おおよその納得がゆくものと思われます。

著者が指摘するように、一度、嘘や隠蔽が始まれば、それは上塗りに継ぐ上塗りを続けるしかない。

それでは、「MKウルトラ計画」にご案内いたします。

この一か月少々で、二つのサイトで連載してきました二つの連載記事――「日本エソテリック論」と「人生はメタ旅に向かう」――がなんとか完結を見ましました。

一方、本号が発行される丁度この時、広島ではG7が開催中で、それにウクライナのゼレンスキー大統領が意表をついて合流し、日本のヒロシマの地が、あたかも世界の対立を物語る焦点となっているかのようです。 詳細記事

この「日本エソテリック論」では過去5回にわたり、外国、ことに西洋と日本との間にある、独特な対立軸の存在を見てきました。今回はその最終回で、その結論へのキータームは〈収れん〉です。

というのは、こうした西洋と日本のせめぎ合いに関し、たとえば、〈最近の日本〉と〈一世紀半前の幕末の日本〉との二つの時代間でそれを見た場合、どちらの時代においても、一種同質の選択、〈西洋的栄華か日本独自の栄華か〉が問われている/いたことに気付かされます。ただ、それが問う内容については、この150年の時の経過はそれを大きく変えてきており、あたかも二時代間で逆向きにさえなっているかのごときです。すなわち、今、ここで問われていることは、もはや一辺倒の西洋化ではないのは明白としても、だからと言って、代わって日本独自性の選択といった逆選択をすればよいということでもないでしょう。つまり、本当に問われていることとは、そうした〈AかBか〉といった二者択一の問題ではないようであることです。 詳細記事

前回のテーマ「カミングアウトする日本」といういわば総論に続いて、今回は、東洋や日本の伝統を見直すとの観点をさらに掘り下げるため、いくつかの既存文献をひも解いてその各論としてゆきます。

また、本稿と平行して進めてきた、兄弟サイトの「フィラース Philearth」の「人生はメタ旅へ向かう」の議論とが、それぞれ結論部に近づくにつれて、論点が収れんしてくるような流れとなってきています。つまり、この「日本エソテリック論」という広く世界から日本へと絞り込んでゆく視点と、他方の「人生はメタ旅へ向かう」という個人の視点が日本から世界へと広がってゆく視点とが、いよいよ出会い、融合する発展となってきています。

なにやら、お互いが別々の山を登っていたつもりだったのに、その頂上で出会うこととなるような、結局、目指しているのは同じ山だったのかと、驚きとともに納得させられるような話です。 詳細記事

前回の「日本エソテリック論」;「原爆はなぜ日本だけに落されたか」の結論は、「今後、西洋文明に代わりうる文明」としての東洋文明という指摘でした。そこで、もしそうであるならば、では、世界が東洋化すればそれで済むのか、ということです。つまり、世界規範としての東洋の浮上、ということとなります。

しかし、本稿が述べたいのは、そういう「西洋か東洋か」との二者択一な、これまた還元論的発想の結論としての東洋ということではありません。そういう話なら、それは還元先が西洋から東洋に置き換わっただけのことで、(「中国世界モデル論」のように)いずれ同様なあい路に入り込む、もとの木阿弥となるのでしょう。 詳細記事