三年ぶりに日本を訪れ、その自然美に触れた。いろいろ語るより、一枚の写真にそれをお願しましょう。

埼玉県両神山山麓にて(2022年11月16日)

感激と落胆

アンナプルナ・トレッキング(その3)

ベースキャンプに無事到着

【第7日】デウラリ(Deurali 3200m)からアンナプルナ・ベースキャンプ(ABC 4200m)

この日の行程は、いよいよ大詰めの標高差千メートルの登り。高度もあって確かにきついのだが、天気もこの上なく、思わず風景に誘われて足取りも軽くなる。

 

日も西に傾くころABCに到着。眼前にアンナプルナ南峰の山肌が迫って圧倒される。

詳細記事

アンナプルナ・ベースキャンプへ

アンナプルナ・トレッキング(その2)

アンナプルナ・トレッキングは、行程を一日早め、10月21日、無事、ポカラの町に帰ってきました。そのレポートは多岐に渡りそうなのですが、それを二テーマに絞り、三回にわたって掲載します。今回はその全行程を、写真でまとめたものの前半です。運よく、全行程、好天に恵まれ、まさしく、写真撮影には絶好の機会でもありました。

これがポカラの町から見わたせる、アンナプルナ山群の遠景です。中央がフィッシュテイル(6997m)。この角度からでは槍先のように見えますが、今後山中に進むにつて、その名のごとき姿を見せてきてくれます。

 

詳細記事

到着したカトマンズは雨の中

 アンナプルナ・トレッキング(その1)

今日は10月6日、ここカトマンズは朝からけっこう強い雨。

4日にシドニーを立ち、シンガポール、クアラルンプール(KL)をへて、昨夜遅く、当地に到着。

 

カトマンズ行きのBatika Air機。尾翼のデザインがいかにもネパール風。(クアラルンプール空港にて)

 

 

 

詳細記事

意外に関心あつい老人イッシュー

シリーズ「老いへの一歩」への閲読データを分析

日本では、9月19日は「敬老の日」であったようです。しかしここオーストラリアでは、父の日や母の日はあっても、老いを趣旨とする祝祭日はありません。そうした文化や制度上の扱いの違いのある「敬老の日」ですが、その日にちなんで本記事は、ほぼ十年前に掲載したシリーズ記事「老いへの一歩」への閲読データを用いて、読者におけるそうした「老人イッシュー」への関心動向を改めて分析しました。私は、ブログ発行は、蓄積された読者反応データの分析を通じて、書かれた記事のネット社会による評価度と、逆に、特定記事を設問にみたてたある種の世論調査という、二面の働きをなしえると考えています。本稿は、そういう二方向の意味を探った分析結果です。 詳細記事

これまで本サイト掲載の「いちばん若い『昭和人』」や「国際看護師オープンキャンパス」の記事でおなじみのR.Y.さんこと山本瑠璃さんが、今度は、左図キャリア講座で、8月28日(日曜)午前11時(日本時間)より、国際看護師の一人としてオンライン対談します。参加希望の方は、以下で予約(無料)を。https://medistudio.com/career/20220828

 

前号にそのレポートを掲載しましたように、「老若共闘」への具体的歩みとして、若い世代との交流が始まっています。それは「時空トラベル」と呼ばれる世代間の隔たりを旅する行為です。ことにそこには、その隔たりをつくる人生体験の長さの違い、つまり、時間という“距離”がもたらすものを、何によって、どのように互いに交換できるのか、そういう、おそらく他の機会では絶対にありえない、「時空世界」を実際に体験できる機会があります。そのような、言わば人間としての究極の「トラベル」を通じて、そしてそれをもってしかやり取りできない、過去よりの《人生の知恵》と、未来という《新品の時間》との融合が可能となります。 詳細記事

「私の健康観」の数バージョンを通して述べてきているように、自分の健康を、地球環境と連続している《自分環境》の産物と考えるならば、私にとっての気候変動問題との取り組みの核心は、自分の健康を“持続可能”に維持増進する――少なくともそれを起点にする――以外に、親身になりうる関わりなどありえない、と考えるものです。

健康という、誰にとってものもっとも切実な財産の保全が第一に、そして何よりも本気に取り組まれることなくして、CO2排出ゼロ政策が前面に出されてくるメリットなぞ、いったい何なのでしょう。それとも、私たちの健康と地球温暖化の問題は、まったく別個の問題とでも言いたいのでしょうか。それこそ、地球も私たちも、共に発熱しているというのに。

そういう意味で、目下の私のスローガンとして、「ヘルスファースト」を掲げたいと思っています。 詳細記事

English Version】 

「私共和国」に掲載してきた《四分の三プロジェクト》の計画作業がようやく煮詰まって、その骨格が《時空トラベル》との呼び方で形をなしてきました。それを契機に、今回よりサブタイトルを「《時空トラベル》時代  =旅立ち編=」と改称し、その進捗具合をノートし始めています。その初回は「《時空トラベラー》という過客」とのタイトルです。

そういう次第で、いよいよここに始まる《時空トラベル》なのですが、何やらSF風な響きのあるそのトラベルとは一体どういう“旅”なのでしょう。まさか、タイムトラベルのことを言っているのではないでしょう。

ところがです、私は本気で、これが、まさにSFで言うタイムトラベルにも通じるその第一歩と考えています。つまり、タイムトラベルはこうして実現するかも知れないのです。 詳細記事

本稿の目的は、二つの視点間に橋渡しをするものです。そしてその二つとは、このサイト『両生歩き』の「私共和国」で述べられている《老化に伴う「性的マイノリティ」化――「《「男の急所」の料理法》その2」――と、兄弟サイトの『フィラース Philearth』で述べられている《人生という「実験」》――「理論人間生命学」第2部――です。そしてこの橋渡しとは、言わば、私たち自身に関する微視的視野と巨視的視野、あるいは、現実的視野と理論的視野のそれぞれの二者間を関連付ける架橋との意味合いを持つものです。 詳細記事