「私の健康観」 v.3

もはや「人間観」のレベルへ

「四分の三プロジェクト」に関わって

『私の健康観』 v.2」を発表したのが一カ月前でしかも13年ぶりでしたから、もうその「v.3」とは、ちょっとバージョンアップのペースが早すぎるかもしれません。それに、バージョンも3までに上がってくると、もはや「健康観」の域を越えて、一種の「人間観」と言ってもよいレベルほどに入ってきています。というのは、その「健康観」の延長上で、私は、《ふたつの意識》を発見することとなったからです。

そこでまず手始めに、そのふたつを「A意識」と「B意識」と呼ぶこととします。

A意識は、自分の意識の中でも原初的なもので、個別的あるいは没我的、刹那的、フラジャイルで、どこか依存的なところがあります。主観的で「局所的」〔後述〕と言ってもいいでしょう。

B意識は、そういう自己中心的な意識を外から一定の距離をい置いて見る意識であり、ここまでくるには相当な経験を要し、むろん自立し、客観的で「非局所的」〔後述〕な意識です。位置感覚的には山頂にでも立ったような高所からの意識で、自分の意志すらその下にかしずかせるような、「神的」と言っても大げさではない意識です。 詳細記事

豪州「昭和人」群像

その《はつらつさ》の由来を探る

《新連載 第1回》 戦争を知らない最初の世代

日本“本国”では、いまや「昭和」が、レトロ趣味やら、あるいは逆にそれが新鮮と、「平成」越えた「令和」の話題をさらっているようです。そんな本国トレンドを知ってか知らずか、ここオーストラリアでは、当地に根を下ろした「昭和人」の特徴ある群像が見られます。それは、昭和世代にあたる人たちの見せる、この地での生きざまの《はつらつさ》で、あたかも、本国の同世代との思いもよらぬコントラストをなしているかのようです。昭和世代といえば、今年、上は96歳から下は33歳にいたる広い年齢層の人びとを指します。それに「昭和」人気は、誕生年号の「昭和」以上に、「昭和」が醸し出す特異な息吹にもよっているようです。今回より始まるこの新たな連載は、そうした昭和世代のうち、あえて豪州の地を選んで定着したさまざまな人たちを取材し、その《はつらつさ》の源泉を探ってゆきます。あえて名付ければ、「現代“ディアスポラ”日本人」の豪州版実像です。〔「ディアスポラ」の語源は、故国を後に世界に四散したユダヤ人のこと〕

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下表のように昨2021年の運動記録を集計しました。

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「私の健康観」 v.2

「四分の三プロジェクト」に関わって

私が「私の健康観」を書いたのは還暦から2年後の2008年で、その要点は、健康とは自分の「内外」のエコロジーの共に良好状態のことで、そのポテンシャルを最大化する「自頼」に焦点を当てようとするものでした。

私の「二周目人生」はいま、それから13年目を迎え、人生ステージも「仕事」を中心に演じられた場は幕を閉じ、まさしくフルにその「自頼」を実践してゆくべき場へと至っています。

かくしてわが人生は、日々への取り組み方が人それぞれに選ばれる、《自創自現》の次元へと移ってきています。

それは先にも述べましたように、自分をサンプルに「実験台」とするとも表現できるものです。

ともあれ、内外エコロジー上のそういう良好状態をなんとか失わずにここまで来られたことに驚きを込めて感謝しつつ、加えてこの健康を、残された歳月を支える何ものにも替えがたい筆頭の資源として、その活用を図るとともに、願わくばその研磨をもって、有終の仕上げのための糧にしたいと考えています。 詳細記事

いま読書中と日本の若い友人が知らせてきた本――『ユダヤ人大富豪の教え』――を読んでみた。

フィクションとして読んでも怖ろしく良くできたこのストーリーは、多少の脚色は加えてあるようだが、著者の実体験をつづった実話というところが味噌だ。

つまりこの本は、そのユダヤ人大富豪との偶然としても幸運すぎるような出会いに加え、その大富豪の語る奥深い教えを、15年の反すうを経て、世に伝えようとしたものである。

一般に、どんな体験であろうと、それを引き寄せられたのはその人の能力のたまものだし、さらに、そうした体験を、きちっとまとめる能力もなければ、それが出版の日の目を見るまでには至らない。

そうした関門をくぐってきた本書は、ナチの迫害から逃れたそのユダヤ人老富豪が、これぞと白羽の矢を立てた日本の青年に、一カ月間、自分の豪邸に客人として招いて一対一で授けた人生の奥義書である。

それが、比肩を見ない値打ちものでないわけがない。 詳細記事

私には子供がいません。なので、いわゆる「問題の子孫送り」の是非議論に加わらなければならない現実の事情を抱えているわけではありません。しかし、だからと言ってそういう議論に、「我存ぜぬ」とそっぽを向いているわけでもありません。

そうした議論に、たとえば、今月13日に閉幕した国連の気候変動会議(COP26)のテーマ――CO2の削減問題――があります。そのような地球の将来、つまり誰もの子孫にかかわる自然環境の問題に関しての私の立場は、自分の末裔に降りかかる災厄がゆえのものではなく、むしろ、純粋に思念的かつ個的動機に発するものと言えます。そして、私がもっとも強く関心を抱くのは、人間の「生命」とか「健康」といった分野を介しての結果的な地球環境とのつながりです。 詳細記事

 

かくも醜く、そして切ない「下心」

女性メダリストたちが作った#MeToo運動の別の風穴

私はすでに、「じいさん」と呼ばれて充分にふさわしい年齢に達しましたが、衰えたとはいえ、雌雄別上ではあいかわらずの雄です。そういう私が、ことに最近、社会でかまびすしい問題について、少々、考えさせられているところがあります。 詳細記事

天皇の陰謀』の著者、故ディビッド・バーガミニが、新作『Chinas Imperial Conspiracy(皇帝の陰謀)』を、あの世から出版した。【English version 詳細記事

かねてから狙っていたものの、決断に至らなかったこの計画でしたが、昨日、ついに決行し、無事、成功しました(5月15日記)。

シドニー南部の沿岸地帯に広がるロイヤル国立公園。その見どころは、何といっても、切り立った断崖絶壁をなして海に落ち込む、豪州大陸が造り出す壮観な地形美です。

断崖絶壁は、高いところでは100メートルを越える。

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本サイト『両生歩き』は、2013年に現在のデザインへと改めた後、ほぼ毎日、ヒットログデータを蓄積してきました(その行為は超小規模ながらGAFAなどと同じですが、本サイトではビジネスを目的とはしたものではありません)。以下は、2014年末より現在までの7年半ほどの間のそのデータを分析した結果です。膨大なデータ量のため、分析に時間を要してきましたが、このたび、作業のおおむねを終えました。

では、何ゆえにそんな労力を要する作業を必要とするのか。それは、ネット社会を、より非拘束な《もうひとつの人生の場》と位置付ける者にとって、自己を展開する自分のサイトは、一種の自分のアバターです。それがゆえ、その自分の“影武者”がネット社会でどう活躍しえているのか、それを確認しないでは、そのねらいは完結しない――単に一人よがりに終わるならまだしも、へたをするとGAFAらの餌食とされかねない――と考えるからです。 詳細記事