「量子的生命 QL」を試行する
パラダイム変化への新ツール

“KENKYOFUKAI”シリーズ(その2)

この「“KENKYOFUKAI”シリーズ”」の初回では、イントロとして、「同じもの」をキータームに、一見、結び付きそうもない二者を「同じもの」と扱う視野を提示しました。そうした結び付けは、シリーズのスタイルである「KENKYOFUKAI」――略して「KENFUKA」――をフル展開したがゆえの産物です。今回は、この手段とした「KENFUKAの手法」の今一度の説明もかねて、その有効性を吟味します。

 

私はこれまでに、量子理論をめぐる私なりの見解をいくつか著してきました。それは例えば、『新学問のすすめ』とか『MOTEJI 越境レポート』で、それらによって、自らの現実世界の中に、ある種の《パラレルワールド》――うっとおしいこの世のしがらみに一線を引く――を組み入れる手法として、Quantum Life〔量子的生命〕――略して「QL」――という創成世界の試行体験をこころみてきています。

また他方では、昔の教科書をふたたび開くように、量子理論の根底をなす数学の世界に立ち返り、その特殊専門領域の真髄に触れながら、数学という「宇宙の言語」――地球離れする手段――をたどるなどもしてきました。

こうして、私たちが通常に使う自然言語でもなく、かといって数学といった特殊言語に頼るわけでもない、言わばそうした両者の中間をゆく――あるいは、数学言語とは異なったチャンネルで「宇宙」にアプローチする――ために、自分なりの手法を考えてきました。

それが、上に挙げたQLあるいは《QL的発想法》で、それが、違った領域の議論を「我田引水」するという傾斜が強いという意味で、「KENFUKA手法」とも呼びえるわけです。

このQLを、「新手の文芸域」と見る人もいます。つまり良く言って文学の“新ジャンル”と言うのでしょうが、それにしては、科学上の専門用語が頻出します。つまり、当の本人としては、広義では文学と科学に両属する、狭義では情報と物質の境界域を開拓する、人間にとっての《新対象域》ではないかと考えているのです。言い換えれば、人間はそういう新たな栄養を摂取して、拡大した生命域を生きて行けるということではないか。

 

《QL的発想法》という新ツール

本シリーズ初回に述べたように、ノーベル賞受賞者と巷の女性を同列に並べ、そこに「同じもの」を見出すという着眼は、実は、こうした《QL的発想法》の実践の一例でした。

そして、そのような手法をもって、私たちの生活を「パラダイム変化」させる、あるいは、それをもって今日の混迷を生きる方途をつかむ糸口にできるのではないか、と考えてきています。

そこでの要所は、端的には、ある種の《現実離れ》を敢えて引き受ける思考力です。すなわち、現実が世界もろとも、巧妙かつ緻密にあらぬ方向に組織されてしまっているとするなら、少なくとも、その世界との望まぬ腐れ縁を、一旦あるいはどこかで断ち切らないでは、その“集団無理心中”へもろともに引きずり込まれる、ということでもあるからです。

ただ、《現実離れ》するといっても、基軸のない闇雲なそれは自害行為です。やはり、現実的な《現実離れ》とする必要があります。

そして、そこでの手掛かりが、この一世紀ほどに発展してきた量子理論の考え方です。むろんその世界は、私たちの日常生活とはかけ離れたものですが、その理論の核心において、既存の視野を破る根本的な違いを持っています。そこで、その根本的な違いを取り入れようとするものです。それが《QL的発想法》です。

ちなみに、量子理論は、最近の諸報道のように、すでにコンピューターの分野への応用が試みられており、桁違いの処理速度のコンピューターの実現も間近となっています。

そうした応用をこれも「我田引水」して言うなれば、《QL的発想法》とは、量子理論の私たち自身の思考法――脳というコンピューター――への応用です。

『私共和国』に記録されているように、2018年12月25日をQL初日としてQL暦を数えているのも、その発想を日常に生かしているサインです。

 

《老若共闘》の理論的根拠

私は、今73歳という「後期高齢者」のとば口にまで来ており、確かに、身辺にはそう遠くない先に来るであろう「永遠の旅立ち」の気配は漂ってきています。

ただし私は、上記の《QL的発想法》を、そうした老境がゆえのものとして述べているわけではありません。むしろ、現役の、あるいは、これから現役に加わろうとする世代の人たちにこそ、それの有効な「未来性」を見ています。

そこで、そうした現役視点を一方に据え、その他方で、私自らの老境世代の視点としても、この《QL的発想法》を両者をつなぐブリッジとして活用したいと考えています。

それは、やがてやってくるその「永遠の旅立ち」を、まずは「通過点」としてそれを捉え、その先への連続性を想定します。そしてさらにそれに留まらず、こうして接近してゆくそうした「域」を、行きどまりの終末とするのではなく、その先への開いた空間として捉えたいと考えます。そしてそこに開いた窓こそが、《QL的発想法》であると考えています。

それはすなわち、前回で述べた「ミクロとマクロが結ばれる」量子理論のもっとも量子理論たるところです。また、その結びつき――「エンタングルメント」と言ってもよい――が、私の展望する「老若共闘」が有効なものであるとする、理論的根拠にもなるものと考えます。

それをもし「老舗の店じまい」と考えるなら、そこですべてを閉じる、逆算的な今の過ごし方があるでしょう。

しかし、それが単なる「通過点」に過ぎないのなら、何も逆算的な準備は必要ないと言えるでしょう。たとえ、年齢相応な現実的処置はあろうとしても。

要は、不必要な消耗や弱化は避けつつ、自分の周囲のこれまでとこれからを、有効に結びつけることでしょう。

 

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