所与ファクターの違い

話の居酒屋

第四十二話

今回の「居酒屋談義」は、もうそんな昭和風な設定を脱して、現代でのネット空間で交わされているリモート談義。そして話題は、前号『両生歩き』に掲載された「未必の必然」をめぐる遣り取りとなっている。親子ほどの年齢差の二世代にとって、どうにも避けられない違いをめぐってのギャップが、両者の対話の大枠を握っている。

 

A やあB君、元気かな。ところでだが、例のサイトの「未必の必然」、読んだ?

B はい、読みました。よくもこのような概念を文章にできたもんだと感心させられました。

A そうんなんだよ。俺もそんなイメージのことは考えてはいたんだが、確かに、それを明瞭につかめないでいた。それがこれではっきりつかめた。

B そこでなんですが、自分にとっては、何というか、もし、そういうことがあるとするなら、それからは逃れていたい気がしてるんです。

A えっ、逃れていたい? つまり、そういう「未必の必然」ってのは、歓迎したくないってことかな。

B Aさんにとってそれは、きわめて望ましいことのようですが。

A だってそうだろう、考えるに考え抜いて、そのために遠回りもさせられて、なんとかそこに価値を見出せそうとしてきたことに、そうやって、はたからみれば偶然のようにしても、自分としてはそうやって到達できるってことなんだから、それはまさにゴールデン・ゴールだよ。やったぜってね。

B うーん、それについては、実はずっと考えあぐねてきているんですが、もし、そうした可能性が自分にとってあるとするなら、そんな可能性はもう沢山だって気持ちがしています。

A もう沢山? ちょっと待ってくれよ。俺にとってその「未必の必然」ってのは、いわば、もっとも肯定したい、考えうる限りの最善のターゲットなんだが。

B そこなんですよ、自分も確かに若い頃、そうした言わば理想に燃えていたころはあったし、「未必の必然」なんてややこしい言葉なんぞもなしですが、そのターゲットに向けて突進して行きました。イノシシみたいに。

A そうか、それがことごとく、失敗とは言わないが、少なくとも裏目にでてきたってことだったね。それが氷河期世代の人たちを覆っている重たい現実。

B 氷河期だけじゃないです。自分の場合。生まれてこのかた、ついていない人生っていうか、大げさにきこえるかも知れないが、「のろわれた」人生っていうか、ともあれ、やることなすことすべて、ほんとにすべてで、いいことなしづくめでした。

A うん、家族問題や、そうした人生上の不運については、これまでに聞いてはきた。わざわざ神社に詣でて、開運の札を突っ返してきたって神をおそれぬ話もね。

B まあ、表立って人に言えるような話ではないんですが、それがどうしてだかは知るよしもありません。いや、もう、そこらの出来の悪い神の悪戯かとも考えたくもなってます。そうした、これでもか、これでもかといったネガティブな巡り合わせのオンパレードに、性も根も尽きはてるとは違うのですが、一種の腹を決める心境には来ています。

A それが、俺と君との差ということか。

B 時代を恨んでみても、らちは開きません。立派な特別年金でも保障されれば、話は変わるかも知れませんが。

A こんな考えは、年金の足しにもならないが、例の俺の癖で話が飛躍するんだが、人間、誰だろうが、生まれ育った環境による刻印からは逃れられない。これに例外はありえない。逆に云うと、そうした環境による刻印を、しみじみとだろうが華麗にだろうが、つぶさに見つめるしかない。

B つまり、誰にしても、いずれの死の時は、その環境へと、裸で旅立つしかない。

A だから、その死もふくめて、この大自然、宇宙の、森羅万象の摂理は何か。

B ならば、そういう人類として、その知恵を生かし、その環境の刻印という時代や生まれによる違いを大きく均すような、偉大な働きを望みたいところですね。有事や戦争なんかに血道をあげないで。

 

 

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