A お前と俺の付き合いも、学生時代以来だから、もう60年を越えてる。つまり“半世紀”以上ってわけで、何やら歴史的関係になってきた。
B 時のたつのは早いもんだが、そう言われてみると、確かに、並み大抵の長さじゃないね。

「レトロな昭和シーン」で検索すると、こんな写真が。子供の頃、たしかにこんな風景の中で生活していた。
A そうなんだよ。この節、若い世代の間じゃあ、その「昭和」ってのが、一種の流行りの世界みたいになってきてるよね。レトロ、レトロって。
B そうそう。俺たち、その「昭和」の真っ盛りを生きてきた人間。だから、そんな話を見聞きすると、「おいおい、俺ってそのレトロの“生き”証人か」って思ったりもする。
A まさに「歴史的」で、流行りの最先端。
B そういう「流行りの先端」が二人、こうして「歴史的」談話を交わしてるわけだ。これって、並なことじゃないのかも。メディアに取材されたりしてね。
A 俺なんか、暇にまかせて、ブログなど書いたりしてるんだが、たしかに、自分がそうして思ったり、書いたりしていることが、今時、どこまで通じてるんだろうかと、時には孤独な気分に陥ったりもする。まるで闇夜に向かって、独り叫んでいるみたいな。
B それでも、何か反応はあるんだろう。
A いやいやそこなんだが、かなり意図的に探ろうとしない限り、その一方通行はまず、なくならないね。だからたとえば、そのブログに、投書欄だの、時にはアンケートめいたことを載せたりもしているが、その期待はほとんど「骨折り損のくたびれ儲け」に終わらされるね。だいたい今の時代、見返りもないそんな悠長な企画に、誰が好んで応じてくれるだろう。
B そのためなのか、お前がブログに、毎月、訪問者統計分析を載せているのは。結構、几帳面な努力だなって、思ったりもしている。
A ブログを始めたばかりの頃は、ホームページに訪問者の累積カウント数を載せたりもしていた。だが、それもただの数字で、それがどうなんだと、マジな参考にはならない。そこで、ウエブプロバイダーから提供される日々のヒット集計に目をつけ、そのサービスへの料金も払ってることだし、そのぼう大なデータの統計分析を始めた。
B それを読ませてもらってるが、そのグラフといい、けっこう真実味ある分析にはなっているみたいだが。
A 舞台裏を明かせばね、あれって、そうした分析からそんなストリーでも自分勝手に作り出さない限り、いったい何をやっているのか闇につぶされてしまいかねない。そんなもがきの側面もある。まあ、その闇夜の孤独を紛らわせるための、マスターベーションかも知れんが。
B 俺も幸いに、まだ健康寿命にあって、毎日をなんとか自力で過ごせている。だけど、正直言って、そういう自分が何をすればいいのか、そこのところじゃ、自分の体重を持て余してるって面はあるね。
A そう、だから、もはやナルシスだっていいじゃないか、そのどこが悪いって心境だな。
B 別にそれで、誰かの世話になっているわけでも、迷惑かけているわけでもないしね。
A そこで、むしろ開き直ってみて、どうせそんなナルシスが避けられんのなら、いっそ、それに徹底し、磨きをかけてみようって気にはなるね。
B ほおー、なかなか意欲的じゃないか。それがブログ作りに打ち込む理由なんだ。
A そんなじり貧なやる気に点火した時、あえて悪がって、病的なことにかまけることも出来なくもない。しかしだよ、それで回りのお荷物になってしまうわけにもゆかんだろう。突然死でも、あえて演出しない限り。
B ナルシスだろうが、うぬぼれだろうが、まずは健康第一にして、道楽程度でもを続けるしかないってことか。
A 開き直りついでに言わせてもらうと、人間のやっていることって、とどのつまり、大なり小なりの“道楽”の範疇は越えていないってことじゃないかな。まあ、それがどれだけ金稼ぎに結び付いているのか、そのへんの違いがあるだけで。
B 出ましたね、まさに「歴史的見解」。
