以前に述べたことではありますが、私にとっての「訳読」とは、その書物の「本読」を前に、それが期待にそう本であるかどうかを判断する、一種の準備作業のことです。
それが日本語で書かれた本の場合、事前にさっと内容に目を通すことでおおむねそうした判断ができるのがほとんどです。しかし、それが外国語で書かれた未邦訳本の場合、そうした「さっと見」ができず、ともあれまず内容をいったん通読可能な日本語にし、それをもって判断しなければならない、おそろしく手間ひま要する下ごしらえが避けられません。 詳細記事
逆宣伝に乗せられないために
必読の いわゆる“陰謀論”書
以前に述べたことではありますが、私にとっての「訳読」とは、その書物の「本読」を前に、それが期待にそう本であるかどうかを判断する、一種の準備作業のことです。
それが日本語で書かれた本の場合、事前にさっと内容に目を通すことでおおむねそうした判断ができるのがほとんどです。しかし、それが外国語で書かれた未邦訳本の場合、そうした「さっと見」ができず、ともあれまず内容をいったん通読可能な日本語にし、それをもって判断しなければならない、おそろしく手間ひま要する下ごしらえが避けられません。 詳細記事
「二重の構え」の二者の間で
提示されるさらなるリアリティー
「ETはすでに居る」とのタイトルの今回の訳読は、この地球はすでに、ETたちが必要とする食品を飼育する“牧場”となっており、まさに私たちは、ETの“家畜”にされているとの話です。 詳細記事
深掘りアメリカ人による視野
エソテリック三部作に表現されている世界
私はこの「エソテリック三部作」を、ひとつの角度、すなわち〈知的アメリカ人による自国観〉と見て、訳読の趣旨のひとつとしています。というのは、私にとって、アメリカとは、戦後生まれの私の成長の背後に設定されていた隠れたバックボーンであり、ポジにもネガにも、私の世界観の形成の一つの所定条件となってきました。そういうアメリカには旅行で訪問したことはありますが、住んだ体験はなく、その理解の土台は一般的報道の域を越えるものではありません。そういう米国で、ことに親しいアメリカ人の友人もいませんが、この三部作の著者のブラッド・オルセンとは、その旅行の際、彼の在住するサンフランシスコで一度お会いしています。
この三部作なり『天皇の陰謀』なり、私が米国人による著書を、けっこう慎重に読んできているのも(いずれも「両生図書館」に蔵書)、そうした私のなかに刷り込まれた部分の出所を検証したいからでもあります。 詳細記事
人類のカミングアウト
「私たちって宇宙人との混血だった」
一つの仮説を立てて考えてみます―――。この世は、丸々が真実による世界と、その全部が嘘っぱちからなる世界という、二極をもったスペクトラム世界であると仮定します。すると、実際の世界とは、その二極の中間に存在する、真実と嘘がそれぞれの濃淡をもって混じり合ったグラデーション状のものとなります。そこでですが、その実際世界のグラデーションも、昔は曲がりなりにも結構な真実味を含んだグラデーションだったと、今年77になる私なぞには思えます。しかし、それが最近では、グラデーションなどとは生ぬるい話で、もう嘘で塗り固めた世界が大手を振ってのし歩き、真実味などはとうに吹っ飛ばされ、やりたい放題を先にやったもの勝の「なんでもあり」式の、かつての無法時代の再来とも見えてくるほどです。かくして、今や私たちは、嘘に騙されない猜疑心は言わずもがな、暴力に巻き込まれないよう物心共に扉すら開けないと言った、もはや真実自体が、フィクション上でしかありえない架空物にさえせざるを得ない時代へと変貌してきています。 詳細記事
「給料」と「戦争」
すんなり受け取らされてしまうもの
今回の訳読の冒頭に、いくつかの「詳細記事
があげられています。そのひとつが、「自分の給料が何に拠っているかが解っていない人に、なにごとかを解らせるのは難しい」です。現在、世界にはもう始まってしまった戦争があり、平和主義であろうとするためでも、どちらの側に立つかの選択を強いられます。戦争って起こってしまった時で誰かの勝利で、それが「何に拠っているか」は、「給料」と同じく、誰もが鵜呑みにさせられてしまっています。ナノサイズの生体ロボット
新たな“寄生虫”の疑い
私たちは通常、なんとか健康を保っていて、病気のことなど考えたくもありません。そうであった病気が、しかも今や、聞いたこともないような病気が、次々と出現してきているとするなら、これは一層、忌まわしいことに違いありません。そしてそれが、自分の身の上にだったら。
今回の訳読の章のタイトルは「モルゲロン・ナノボット」。これが新しい病気の名前であるとするなら、さあ、いったい、どうすればよいのでしょう。その目にも見えないサイズのロボットが、自分に住み着いているとしたら、、、、
「東西融合」ここに於いても
医学への懐疑をめぐって
今号の「内生物圏」とのタイトルの訳読記事では、生物、ことに私たち人間の「内部圏」という考えを中心として展開されている。そしてそれは、西洋医学の理論的主柱をなしてきた病気の「細菌原因説」に代え、生体内部環境の悪化がその原因であるとし、加えて、前者は長く医学界を歪めてきたと論じるものである。 詳細記事
自然に接するとなぜ爽快なのか
私は「私共和国」の記事の中で、繰り返し、自然の中で運動してきた後の爽快感について書いてきた。その実感に間違いないないのだが、それがなぜなのか、はっきりとした説明ができなかった。
それが今回の「至高精神(ウーバーマインド)の実現」の中で、自然の持つ振動「シューマン周波数」によるものだと述べられている。そして、私たちの現代の生活が、そうした自然界の振動との接点を、どんどん失うものへと移ってきていることを警告している。
そうした関連も含めて、その「至高精神(ウーバーマインド)の実現」にご案内いたします。
物質の「素」への新知見
今回の訳読は、物質の素である分子や原子レベルへの、従来の知見を越えた、量子論レベルの、しかもそれを、古代からの錬金術由来の知見をも圏内に取り込んだ見方の展開です。この「エソテリック・シリーズ」は、思想的なエソテリックを主眼としてきたのですが、ここでは、それを物理学のしかも物質そのものの考察についての「エソテリック」な議論です。 詳細記事
シンクロニシティの一実例
量子理論という最先端の科学中の科学が、「死後の世界の存在を証明」と聞けば、誰しも「本当か」と大いに好奇心を刺激されるに違いありません。
たとえば、これをシンクロニシティと言うのでしょうか、今回の訳読中、「脳は必要不可欠か」とのセクションにやってきた時でした。それはこう説いているのです。
輪廻転生が示唆するように、精神は決して消滅せず、死はそう見せかけられた再誕生である。
この「死はそう見せかけられた再誕生」とは、実は、私がこれまでに繰り返し述べてきた「死という再・誕生」という考えと全く同じです。 詳細記事