今回の「地球工学」の章は、きわめてテクニカルな内容となっています。しかも、その地球工学という一見穏当な名称にも拘わらず、その議論は、とても信じられないような奇異な問題を指摘しています。すなわち、この地球全体の環境を操作する工学の大義名分が気候変動への対策とされていながら、実は、それは見せかけのもであるとの議論です。 詳細記事
作られている奇病
今号で『エソテリック3部作』訳読が完結
訳読コメント(その23)
日本の劣化の根源を見る
訳読コメント(その22)
今回の「ビッグブラザー」の章が指摘しているのは、まさに、現在の世界をおおういかんともしがたい悲惨さの根源だろう。
著者のオルセンの論じる米国社会の実像が真実だとするなら、日本の存在とは何なのだろうか。そうした米国の実像からは分離されたものなのか、それとも、それに追随しているどころか、その下敷きにされているのだろうか。戦後史を見るだけでも、それを無関係とすること自体、非現実であろう。 詳細記事
特殊秘密政策の詳細
訳読コメント(その21)
最も聖域=暗部に踏み込む
訳読コメント(その20)
今回のテーマは「バチカン」。著者のエソテリックな懐疑の視力は、とうとう、この世界の聖域の頂点にまで達しています。しかも、その眼力が見抜いているものは、隠されに隠された、どこまでもどす黒いその裏の裏の世界です。
一人の米国人による〈うめき〉声
アメリカ社会の隠蔽を暴けばあばくほどに
訳読コメント(その19)
ある種の“ウンザリ”感―――正直言って、このエソテリック三部作を訳読していて、それがあるのは否定しません。しかし同時に、著者ブラッド・オルセンがアメリカ人の一人として発する深い〈うめき〉の響きが、私には伝わってきます。そしてそれほどの泥沼の深さがいまのアメリカ社会なんだろうと認識されてきます。 詳細記事
最も背後の真実
米、欧をめぐるオカルト世界の詳細
訳読コメント(その18)
アメリカはどうしてこうなったのか
通り一片の説明が腑に落ちない人に
訳読コメント(その17)
もし私が、この部のタイトルである「ネオファシズム」というアメリカにいての命名を、例えば、10年前に読んでいたいたとしたら、多分、それに納得できなかったでしょう。しかし、それを今読むと、まさしく、それがアメリカ社会であることに深くうなずけます。
たとえば、この表現です。 詳細記事
逆宣伝に乗せられないために
必読の いわゆる“陰謀論”書
訳読コメント(その16)
以前に述べたことではありますが、私にとっての「訳読」とは、その書物の「本読」を前に、それが期待にそう本であるかどうかを判断する、一種の準備作業のことです。
それが日本語で書かれた本の場合、事前にさっと内容に目を通すことでおおむねそうした判断ができるのがほとんどです。しかし、それが外国語で書かれた未邦訳本の場合、そうした「さっと見」ができず、ともあれまず内容をいったん通読可能な日本語にし、それをもって判断しなければならない、おそろしく手間ひま要する下ごしらえが避けられません。 詳細記事
「二重の構え」の二者の間で
提示されるさらなるリアリティー
訳読コメント(その15)
「ETはすでに居る」とのタイトルの今回の訳読は、この地球はすでに、ETたちが必要とする食品を飼育する“牧場”となっており、まさに私たちは、ETの“家畜”にされているとの話です。 詳細記事
深掘りアメリカ人による視野
エソテリック三部作に表現されている世界
訳読コメント(その14)
私はこの「エソテリック三部作」を、ひとつの角度、すなわち〈知的アメリカ人による自国観〉と見て、訳読の趣旨のひとつとしています。というのは、私にとって、アメリカとは、戦後生まれの私の成長の背後に設定されていた隠れたバックボーンであり、ポジにもネガにも、私の世界観の形成の一つの所定条件となってきました。そういうアメリカには旅行で訪問したことはありますが、住んだ体験はなく、その理解の土台は一般的報道の域を越えるものではありません。そういう米国で、ことに親しいアメリカ人の友人もいませんが、この三部作の著者のブラッド・オルセンとは、その旅行の際、彼の在住するサンフランシスコで一度お会いしています。
この三部作なり『天皇の陰謀』なり、私が米国人による著書を、けっこう慎重に読んできているのも(いずれも「両生図書館」に蔵書)、そうした私のなかに刷り込まれた部分の出所を検証したいからでもあります。 詳細記事