一つの仮説を立てて考えてみます―――。この世は、丸々が真実による世界と、その全部が嘘っぱちからなる世界という、二極をもったスペクトラム世界であると仮定します。すると、実際の世界とは、その二極の中間に存在する、真実と嘘がそれぞれの濃淡をもって混じり合ったグラデーション状のものとなります。そこでですが、その実際世界のグラデーションも、昔は曲がりなりにも結構な真実味を含んだグラデーションだったと、今年77になる私なぞには思えます。しかし、それが最近では、グラデーションなどとは生ぬるい話で、もう嘘で塗り固めた世界が大手を振ってのし歩き、真実味などはとうに吹っ飛ばされ、やりたい放題を先にやったもの勝の「なんでもあり」式の、かつての無法時代の再来とも見えてくるほどです。かくして、今や私たちは、嘘に騙されない猜疑心は言わずもがな、暴力に巻き込まれないよう物心共に扉すら開けないと言った、もはや真実自体が、フィクション上でしかありえない架空物にさえせざるを得ない時代へと変貌してきています。 詳細記事
人類のカミングアウト
「私たちって宇宙人との混血だった」
訳読コメント(その13)
「給料」と「戦争」
すんなり受け取らされてしまうもの
訳読コメント(その12)
今回の訳読の冒頭に、いくつかの「詳細記事
があげられています。そのひとつが、「自分の給料が何に拠っているかが解っていない人に、なにごとかを解らせるのは難しい」です。現在、世界にはもう始まってしまった戦争があり、平和主義であろうとするためでも、どちらの側に立つかの選択を強いられます。戦争って起こってしまった時で誰かの勝利で、それが「何に拠っているか」は、「給料」と同じく、誰もが鵜呑みにさせられてしまっています。
ナノサイズの生体ロボット
新たな“寄生虫”の疑い
訳読コメント(その11)
私たちは通常、なんとか健康を保っていて、病気のことなど考えたくもありません。そうであった病気が、しかも今や、聞いたこともないような病気が、次々と出現してきているとするなら、これは一層、忌まわしいことに違いありません。そしてそれが、自分の身の上にだったら。
今回の訳読の章のタイトルは「モルゲロン・ナノボット」。これが新しい病気の名前であるとするなら、さあ、いったい、どうすればよいのでしょう。その目にも見えないサイズのロボットが、自分に住み着いているとしたら、、、、
「東西融合」ここに於いても
医学への懐疑をめぐって
訳読コメント(その10)
今号の「内生物圏」とのタイトルの訳読記事では、生物、ことに私たち人間の「内部圏」という考えを中心として展開されている。そしてそれは、西洋医学の理論的主柱をなしてきた病気の「細菌原因説」に代え、生体内部環境の悪化がその原因であるとし、加えて、前者は長く医学界を歪めてきたと論じるものである。 詳細記事
自然に接するとなぜ爽快なのか
訳読コメント(その9)
私は「私共和国」の記事の中で、繰り返し、自然の中で運動してきた後の爽快感について書いてきた。その実感に間違いないないのだが、それがなぜなのか、はっきりとした説明ができなかった。
それが今回の「至高精神(ウーバーマインド)の実現」の中で、自然の持つ振動「シューマン周波数」によるものだと述べられている。そして、私たちの現代の生活が、そうした自然界の振動との接点を、どんどん失うものへと移ってきていることを警告している。
そうした関連も含めて、その「至高精神(ウーバーマインド)の実現」にご案内いたします。
物質の「素」への新知見
訳読コメント(その7)
今回の訳読は、物質の素である分子や原子レベルへの、従来の知見を越えた、量子論レベルの、しかもそれを、古代からの錬金術由来の知見をも圏内に取り込んだ見方の展開です。この「エソテリック・シリーズ」は、思想的なエソテリックを主眼としてきたのですが、ここでは、それを物理学のしかも物質そのものの考察についての「エソテリック」な議論です。 詳細記事
シンクロニシティの一実例
訳読コメント(その6)
量子理論という最先端の科学中の科学が、「死後の世界の存在を証明」と聞けば、誰しも「本当か」と大いに好奇心を刺激されるに違いありません。
たとえば、これをシンクロニシティと言うのでしょうか、今回の訳読中、「脳は必要不可欠か」とのセクションにやってきた時でした。それはこう説いているのです。
輪廻転生が示唆するように、精神は決して消滅せず、死はそう見せかけられた再誕生である。
この「死はそう見せかけられた再誕生」とは、実は、私がこれまでに繰り返し述べてきた「死という再・誕生」という考えと全く同じです。 詳細記事
技術の進化への問い
訳読コメント(その5)
私見を言わせてもらえば、これまでの内燃エンジンの普及にせよ、今日のCO2問題がゆえの電気自動車の奨励にせよ、その深部に、新技術の主導権争いをめぐる、うさん臭く巨大なトリックがあるのではないかとの見方には、捨て切れないものがあります。つまり、たとえその技術が副作用を伴おうと、いったんその勝者の地位さえ獲得すれば、あとは独り勝ちを奔走し、汚染問題なぞ二の次です。どうもクリーンエネルギーの議論には、異常気象をテコに用いた技術のヘゲモニー争いの、石化エネルギー陣営を出し抜かんとする下心が見え見えです。つまり、内燃エンジン技術に遅れをとった勢力にしてみれば、地球温暖化は救いの神です。ともあれ、環境問題とはそもそも、もっと根の深い問題のはずです。 詳細記事
「ウーバーマインド」って何
訳読コメント(その4)
本章を読んで、私は改めて、量子理論に潜む、その隔世的なダイナミズムを見出しています。量子理論の可能性については、私の理解できる範囲ではこれまでにも述べてきましたが、それはどこか、突っ込み不足感は拭えないものでした。しかし、ここで改めて、その着眼については誤ってはいなかったと、自信を新たにしているところです。 詳細記事
「東西の収れん」という「結論」
「キセル読書法」で解読
訳読コメント(その3)
こういうのを「キセル読書法」とでも呼ぶのでしょうか、両端だけを読んで、中間は、少なくとも今は、読まずにいる読書方です。今回の訳読は、そういう手法を用いて、前回の「イントロダクション」から、中間をはしょって、いきなり「結語」です。
というのは、読書をする場合、当たり前のことながら、ともあれまず最初に、一冊を選ばなければその先に進めません。邦書の場合なら、なんとか一定の選別眼があるようで、お目当ての本を選ぶにさほどの難しさはありません。ところが洋書の場合、その選別眼が働かず、また、“さっと読み”力にも格段の差があって、本格的な読み始めの前に、もうひとつのプロセスが避けられません。それがこの「キセル読書」です。 詳細記事