シンクロニシティの一実例

訳読コメント(その6)

量子理論という最先端の科学中の科学が、「死後の世界の存在を証明」と聞けば、誰しも「本当か」と大いに好奇心を刺激されるに違いありません。

たとえば、これをシンクロニシティと言うのでしょうか、今回の訳読中、「脳は必要不可欠か」とのセクションにやってきた時でした。それはこう説いているのです。

輪廻転生が示唆するように、精神は決して消滅せず、死はそう見せかけられた再誕生である。

この「死はそう見せかけられた再誕生」とは、実は、私がこれまでに繰り返し述べてきた「死という再・誕生」という考えと全く同じです。

たとえば、2018年に、早死にした友人があの世から語ってくるとの想定の空想小説で、「俺の真言」と題した章で、こう語らせています。

つまり、俺の言わんとすることは、《し》を前にした晩年だからこそテーマにすべきことは、すべての終わりが来ることではなく、それを通過点として、その後をいかに展望できるか、少なくとも、「全巻の終わり」などではないということだ。そう、思春期と成人期の境にイニシエーションの儀式があるように、この世とあの世の間にあるべきなのは、葬式ではなく、《再・誕生》式なのだ。

ひとことで言って、今回の「未来の頭脳」の章は、おもしろいほどの、奇遇な一致があります。

これは、シンクロニシティの言論版として起こっているのですが、その重なり合った議論の核心には、ホログラフとしての私たちの存在があります。

よって私の最近の論考「ホログラム存在」も合わせて参照いただければ、いっそう興味をそそられるはずです。

では、「未来の頭脳」へご案内いたします

 

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