意外に関心あつい老人イッシュー

シリーズ「老いへの一歩」への閲読データを分析

日本では、9月19日は「敬老の日」であったようです。しかしここオーストラリアでは、父の日や母の日はあっても、老いを趣旨とする祝祭日はありません。そうした文化や制度上の扱いの違いのある「敬老の日」ですが、その日にちなんで本記事は、ほぼ十年前に掲載したシリーズ記事「老いへの一歩」への閲読データを用いて、読者におけるそうした「老人イッシュー」への関心動向を改めて分析しました。私は、ブログ発行は、蓄積された読者反応データの分析を通じて、書かれた記事のネット社会による評価度と、逆に、特定記事を設問にみたてたある種の世論調査という、二面の働きをなしえると考えています。本稿は、そういう二方向の意味を探った分析結果です。

 

ではまず、その「老いへの一歩」というシリーズ記事とは何かですが、それは2012年末よりほぼ一年をかけて掲載された、以下のような各タイトルを持つ12回の記事です。


  各記事のタイトル(掲載年月日)

【各タイトルはそれぞれの本文にリンクされています】

  2022年8月

合計数  (順位)

 第1回 「変調」のささやき (2012年12月22日) 

 第2回 入力体から出力体へ (2013年1月7日)

 第3回 「物忘れ」 大いに結構 (2013年2月7日)

 第4回 先頭ランナー (2013年3月7日)

 第5回 案内人なき海域  (2013年3月22日)

 第6回 タナトス・セックス (2013年3月22日) 

 第7回 「魅力」 という情報  (2013年4月7日)

 第8回 「タナトス誕生」 装置 (2013年5月7日)

 第9回 遺品のショパン (2013年5月22日)

 第10回 老若 “共闘”  (2013年6月7日)

 第11回  《愛》 という 「クロッシング」 (2013年6月22日)

 第12・最終回 原点回帰 (2013年10月8日)  

  36  (9)

  32  (10)

  47  (3)

  43  (5)

  45  (4)

  95  (1)

  38  (7)

  39  (6)

  17  (12)

  53  (2)

  28  (11)

  37  (8)

         合計   475

また、上表右欄の各数値は、2022年8月の最新集計による、各記事への月間ヒット数と括弧内はその順位です。上で言う、社会からの評価度の実勢です。

この一か月間に合計475ヒット、一つの記事にすれば月40ヒット程の読者反応について、それを十分多いと見るかどうかの議論はあります。たしかに、ある月だけの断面をもって全体を解釈するには限界があります。しかし、それを数年にわたる変化を追って観察することで、一定の意味を見出すことができると発行人は考えています。

順位が1位となった「タナトス・セックス」は、人目を誘う題名からありうるヒット数かと思いますが、予想外だったのは、2位の「老若“共闘”」です。日本社会の特徴として、高齢者と若者(現役)との間には大きな認識上のギャップ、ことに年金をめぐる――意図的にあおられてきた――利害対立論があり、まして“共闘”とのこの生硬な用語への反発も少なくないだろうと見ていたのですが、この記事がこのくらいに読まれているとは、嬉しい見込み違いです。

ところで、この今年8月の合計475ヒットという数値は、上コラムのように、有意なほど多数かどうかが気になります。そこで、この点に関する別の意味を探るために、経年変化を追う二つのグラフを作成してみました。

まず図―1のグラフですが、これは過去およそ7年間(その前はデータが不完全)の毎月の合計ヒット数の変化で、ヒット実数としての経年変化を表わしています。

それを見ると、全般に月変動が激しく、ことに前半の4年間はそれが大きく、後半(黄色着色部)になってやや落ち着いてきています。また点線は全期間でのトレンド線で、わずかな増加傾向が見られます(決して衰退してはいません)。

図―1 

 

次に、この2016年より今日まで6年8カ月のうち、後半の2020年以降(黄色着色部)を他の同時期の記事群を対象として比較してみたものが下の図―2のグラフです。

図―2

赤線は、図―1のグラフの黄色着色部を横に引き延ばした同じ折れ線で、これはヒット数の実数値の変動です。

緑線は、両生空間の2010年代の総記事(1/10でプロット)、つまり「老いへの一歩」記事と同時期に掲載された他の諸記事へのヒット実数とを合わせた総合計です。そして、青線は、この緑線の総合計数への「老いへの一歩」記事(赤線)の占める割合(%、10倍してプロット)を表わしたものです。

赤線のように、「老いへの一歩」記事への実数は、上下動はありながら、図―1グラフの赤点線のように均したトレンドとしては微増しています。他方、緑線の総合計数は時系減衰が見られます。その結果、前者(赤線)の後者(緑線)に占める割合(青線)は、最近になるほどに高まり、2020年初めには5パーセントほどだったものが、この8月には30パーセントまでにも達しています。パーセント数値として、6倍もの上昇です。

つまり、「老いへの一歩」記事への読者の関心は、時とともに減衰するどころか、確固とした拡大を見せているのです。言い換えれば、上で言う一種の世論調査として、社会の注目度は、急増を示しているのです。

 

以上をまとめると、この「老いへの一歩」という、老人をめぐる個人から社会全体を物語る諸記事が、持続的かつ尻上がりに読まれており、発行人が予想していたほどに、辺縁化されている実態ではないことが確かめられました。

そういう意味では、その老人イッシューの真っ只中にますます進んでいる本人として、大いに力付けられるものがあります。

また、閲読者の年齢分布は不明なのですが、分析アプリに見られる端末機器が携帯とPCとがほぼ半々であるところから推測すると、意外に“非老人”、つまり現役世代が多そうな感触もあります。

ともあれ、とかく孤立しがちな老人各者にとって、相互だけでなく若者世代をも含めた一種の連帯を思わせるかの、いい意味で予想外の分析結果となったと捉えています。

そしてさらには、老人と若者は、「共闘」しないで孤立していると、共にどんどん墓場に送り込まれてしまうという話ではないか。

 

 

 

Bookmark the permalink.