今回の「話の居酒屋」シリーズは、Line環境を通じての日豪越境談義。前回の「二人のガイド」を読んだDとそのAとの対話である。AとDは、かれこれ二十年来の付き合い。Dは、四十代後半の典型的な氷河期世代で、かつて、冷え切った日本に見切りをつけ、転機を託してオーストラリアに渡ってきていた。そしてAとは、シドニーの和食レストランで働く、年の離れた同僚同士となった。Aは長年の準備もあって永住の地位を得ていたが、ワーホリだったDは、全力をあげた努力にもかかわらず万策尽き、その日本への舞い戻りの憂き目を見るにいたった。今回の談義は、こうした背景を持ち合った、団塊とそのジュニアの世代間の、「疑似親子」同士のやり取りである。 詳細記事
この一月、雪におおわれた山を体験したことで、自分がなぜ山が好きなのか、その疑問が解けるような見解を発見した。それはどうも、当たり前のことなのだが、自分というものを、それを中心にして考えてしまう、つまりそれがまず主観としてしか意識に登ってこないという、いわば〈意識の錯覚〉とでも呼べる、その出現にまつわる不可避の形を見たからだ。 詳細記事
今回の居酒屋は、都会の片隅にかろうじてある、そんな開襟の場ではない。そしてその場とは、厳冬の雪山の中、海抜千数百メートルに位置する、雪にほとんど埋まろうとしている避難小屋である。急激に悪化しつつある天候で、外は猛吹雪が吹き荒れはじめている。その限界環境にあって、なんとか“生存”が可能な最小限空間を確保しえている、男女三人の間の遣り取りである。その一人は、この山行を希望したほぼ平均寿命に近い男。他は、エベレスト登頂経験もある四十代初めの有能気鋭な山岳ガイド。そしてこのガイドの親しい友人であるキャリアに悩む三十代半ば女性ナース。 詳細記事
今回は、半世紀ほどもの年齢差間での、あたかもタイムスリップな「居酒屋談義」である。世俗的には、じいさんと孫との、いわば昔語りを軸としたごときの遣り取りだ。しかしその交換の軸が、世代にかかわらず人であるなら誰でも遭遇せざるをえない人生上の懸案にかかわるものとするならば、そこに世代の違いは問題とはならないどころか、片や未知と他方は既知とが合いまった、実に噛み合ったキャッチボールが交わされることとなる。 詳細記事
