最も聖域=暗部に踏み込む

訳読コメント(その20)

今回のテーマは「バチカン」。著者のエソテリックな懐疑の視力は、とうとう、この世界の聖域の頂点にまで達しています。しかも、その眼力が見抜いているものは、隠されに隠された、どこまでもどす黒いその裏の裏の世界です。

ことに、最後の見出し「バチカンのバチカン観」に、「罪に値段をつける」という表現がある。つまり、信者の罪の意識を逆手取って、寄付の大きさと救済の度合いを関連付ける教会側の行動です。これは、安倍元首相暗殺の起点となった日本の統一教会の行いと何ら変わらないものがあります。

では、その最も聖なる、もっとも汚い世界「バチカン・ナチ」へ案内いたします。

 

さらに今号では、その次の章「アメリカン・ナチ」の訳読も完了しました。

その冒頭に、1946年のニュールンベルク裁判でのナチス政権のヘルマン・ゲーリング――ヒトラーの後継者に指名――の次のような証言が引用されています。

「国民は常に指導者の意のままになる。それは容易なことである。自分たちが攻撃されていると伝えればいいだけである。平和主義者は愛国心がなく、国を危険にさらしていると非難すればいいのである。どこの国でも同じことだ。」

その通り、いまや、どこの国も、同じことを行っています。

また、先に論じた「原爆はなぜ日本だけに落されたか」の米独共謀についての隠された経緯の詳細が、ここに述べられています。

では、その「アメリカン・ナチ」にもご案内いたします。

Bookmark the permalink.