作られている奇病

今号で『エソテリック3部作』訳読が完結

訳読コメント(その23)

今回の「地球工学」の章は、きわめてテクニカルな内容となっています。しかも、その地球工学という一見穏当な名称にも拘わらず、その議論は、とても信じられないような奇異な問題を指摘しています。すなわち、この地球全体の環境を操作する工学の大義名分が気候変動への対策とされていながら、実は、それは見せかけのもであるとの議論です。

 

近年、急激にその深刻化が進む気候温暖化に関し、その犯人とされている大気中のCO2にしても、大気中に含まれるその成分は――窒素の約80パーセント、酸素の約20パーセントに対し――0.035パーセントにすぎません。そして、人間活動による化石燃料の燃焼によって発生するCO2の量は、その大気中総量のうちの1パーセント以下と見積もられています。加えて、排出したCO2の少なくとも四分の一は植物が、また他の四分の一は海が吸収し、大気中に蓄積してゆくのは全体の半分です(以上の数字の出所は、福岡伸一著『動的平衡2』236-9頁による)。

それほどのわずかな量の増加に関わる地球温暖化問題なのですが、それが気候変動に影響を与える可能性がないとの証明もありません。

そこで、事実として、そうしたわずかな量の変動への対応のためのこの工学的活動なのですが、それにしては、実に不気味な効果を及ぼす大規模な環境操作がなされているとの議論です。つまり、そのバランスを欠いた対応には、気候変動対策の名を借りた別のねらいがあるのではないか、との奥儀を探るエソテリックな議論です。

それでは、「地球工学」の章へご案内いたします。

 

ところで、2015年3月以来、8年4か月をついやしてきましたこの『エソテリック3部作』の訳読は、本章をもって、そのすべての作業を完了しました。

 

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