もし私が、この部のタイトルである「ネオファシズム」というアメリカにいての命名を、例えば、10年前に読んでいたいたとしたら、多分、それに納得できなかったでしょう。しかし、それを今読むと、まさしく、それがアメリカ社会であることに深くうなずけます。
たとえば、この表現です。
私たちが自由市場資本主義と婉曲に呼んでいるものは、民間人の服を着たファシズムのことである。企業財閥と政府は一心同体であり、よって、支配層とビジネスエリートの間の「回転ドア」がありふれればありふれるほど、一般市民が意味のある市民活動から排除されることが進む。さらに、社会のより無知で偏狭な層の偏見、憎悪、不安を助長するように作られたプロパガンダや恐怖の扇動が拡散すればするほど、人々は自分たちの目的のために経済の富を使わせるために組織的に動くのではなく、同胞の集団的な負の特徴に焦点を当て続けるようになる。
上記の説明の一方をバイデン政府とし、他方をトランプ政府として読むと、なぜ、アメリカ人同士が銃をもって殺し合うようになったのかが判ってくる。
アメリカ人である著者は、自分の国がどうしてこんなことになったのか、それを克明に描き出している。
衰えたとはいえ、いまだ世界最大の影響力を持つ国が、どれほど病んでいるのか、その原因を知りえる章となっています。
ではその「ネオファシズム」にご案内いたします。