二人のユダヤ人

本田 健『ユダヤ人大富豪の教え』を読む

いま読書中と日本の若い友人が知らせてきた本――『ユダヤ人大富豪の教え』――を読んでみた。

フィクションとして読んでも怖ろしく良くできたこのストーリーは、多少の脚色は加えてあるようだが、著者の実体験をつづった実話というところが味噌だ。

つまりこの本は、そのユダヤ人大富豪との偶然としても幸運すぎるような出会いに加え、その大富豪の語る奥深い教えを、15年の反すうを経て、世に伝えようとしたものである。

一般に、どんな体験であろうと、それを引き寄せられたのはその人の能力のたまものだし、さらに、そうした体験を、きちっとまとめる能力もなければ、それが出版の日の目を見るまでには至らない。

そうした関門をくぐってきた本書は、ナチの迫害から逃れたそのユダヤ人老富豪が、これぞと白羽の矢を立てた日本の青年に、一カ月間、自分の豪邸に客人として招いて一対一で授けた人生の奥義書である。

それが、比肩を見ない値打ちものでないわけがない。

 

むろん著者は、その教えを独り占めできなくはなかったろうが、そんな姑息が念頭に浮かぶことすら吹き飛ばす、まだ若年だった著者に計り知ることさえ困難なその教えだった。

というより、その大富豪のゲラー氏にとって、自らの使命とは、自分が到達した人生の真意を社会に返納することにあると考えていた。

第二次大戦中、ナチの手に落ちた故国オーストリアを捨て、シベリア経由でアメリカへの亡命の途上、ようやくたどりついた神戸で思わぬ恩義を受けた〔注〕。それから半世紀、人生上の成功にも達した頃、その神戸出身の若者と出会う。それはゲラー氏にとって、まさに運命的な出会いと受け止められ、かねてから考えていた恩の返礼をついに実行に移す天与のごとき機会となった。

〔注〕 「東洋のシンドラー」として語られる故杉原千畝領事が欧州のリトアニアで、日本外務省の訓令に反して発給したビザで窮地を脱したユダヤ難民の一人かと思われる。(ウィキペディアよれば)神戸には4,000人がたどり着いたという。野坂昭如の神戸空襲を題材とした作品「火垂るの墓」にもその描写がある。

かくして、ゲラー氏というメンターをえた著者は、その教えの広めを自ら実行する使命につく。

そういう実話の公開であるからこそ説得力や波及力に富んでいて、本書の評判は、それこそ、私の住むオーストラリアにも届くほどのものとなった。その出版から15年、運命的出会いから30年余り後のことである。

 

さて、そういう本書なのだが、「幸せな金持ちになる17の秘訣」との副題が付されている。

私が思うには、それがあるために本書は、「幸せな」は見落とされがちで、俗な関心を引きやすい「金持ちになる」ノウハウ物かと誤解されそうな出版物となっている。

むろん、そう題したのは計算ずくのことで、教えの広めにとっても出版ビジネスにとっても、まず買ってもらえなければ話にならない。そのための定石だろう。

それはそれとして、私がそこで気になるのは、そうした定石を打つ一方、その本が告げる肝心な内容に、ゲラー氏が注意深く繰り返している「お金のことは忘れろ」との言葉があり、それへの思慮も欠かせないはずだ。

それは単に私の感じ方と言われてしまえばそれまでだが、本書の“顔”に見られるこうした定石で、その金言は、少々、雑に扱われすぎではないか。

それにそもそも、その「お金」という、人生上の言わばもっとも機微と通俗さに富んだ難題について、その扱いしだいでは、せっかくのその金言が手垢まみれにされているとの印象を持たれかねない。

私なら、「金持ちをこえる17の秘訣」とでもしたいところだ。

 

私は、ゲラー氏が語る「お金のことは忘れろ」との忠告は、こういうことではないのかと推量する。

彼が「金持ち」になったのは、その「忘れろ」を常に実行してきたからの結果のひとつであって、「金持ちになること」は決して、常に頭のトップにあって目指されてきた類のことではなかった。

その一方、この本の内容の限りでは、確かに、17の秘訣のうちかなりの項目が、お金やビジネスについて述べられている。それらは、読みようによっては、恰好のそういう成功のためのノウハウ論として読める。

だがしかし、それはその先へ達するための、言わば富士山登山の七合目や八合目の越え方であって、そのあたりでの満足を勧めるためのものではないはずだ。

言い換えれば、氏は、登頂経験者の持つべき心得について話しているのであるし、最後の17番目の秘訣は「人生がもたらす、すべてを受け取る」と題され、「本当の成功とは、完全に人生に身をゆだねることなのだよ。それができる人間は少ない」と結ばれている。

つまり、氏の言う「成功しても失敗しても、どちらもOKだというところに行かなければ、真の意味で幸せにはなれない」との山の高さなのである。

 

さて、以上は本書に描写されたのゲラー氏像を受けての私の推量を含む見解である。

それに続く以下では、そういうゲラー氏像に接せられたことをきっかけとして、勝手ながら、私の「登山体験」とでもいった見方を追記したいと思う。

そこでだが、本書には17の秘訣が著わされているが、その全般にわたり貫かれている秘訣中のそのまた秘訣は、次の3点であると私は解釈する。

すなわち、「お金のことは忘れろ」、「自分の心の声を聞け」、そして、「自分の考えていることを紙に書け」である。

つまり、この3点の実行が、ゲラー氏の言う「成功しても、失敗しても、どちらもOK」と見れる、その人生の奥義に到達する登山上の実務なのだ。

その3つを選んだ理由はと尋ねられれば、それが私の体験であったからと答えるしかない。だからこそ、その経緯を本サイトに述べているのだが、実を言えば、本書に語られているこの3点を読んだ時、それが私の体験に実によく重なり合っていることに驚かされた。

つまり手前味噌に言えば、だからそれらは、誰にとっても必須の秘訣である、と言ってしまいそうだ。

 

重ねて私事に触れるのだが、私がオーストラリアで出会い、もう30年以上も親しく交友を続けている人物に、富豪ではない「ユダヤ人」がいる。私より数歳若いが、もういい年齢に達している。

私は彼に関し、お金との付き合い方において、確かに、特異な技量をもっていると幾度も感じてきた。

たとえば、彼はこれまでの一生で、一度たりとも人に雇われたことがない。だからと言って、常に雇用主で来たというわけでもない。

つまり、自分の食い扶持を稼ぎ出すくらいは彼にとって、なにも自分を売りに出すほどの問題ではない。

そこで私など、身売り根性にみごとに染り切った者なぞは、稼ぐ機会は幾らでもあるだろうにと思ったりもする。だが彼は、いっこうに金持ちになろうとはしない。

たしかに、そういう互いに火種を欠いているところが、私と彼の友情を長続きさせている要素でもある。

ともあれ、彼のそうした稀有な才能に長年接しながら、私などは火種どころか、火を付けようにも、いまだに、くすぶりもしない。

 

 

Bookmark the permalink.