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悠久たるガンガの命の源泉

 

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ヒマラヤ・トレッキング・フォト・レポート

標高5000メートルへのチャレンジ

今回のトレッキングのハイライト、バンダパンチ山(6450m)の朝日を浴びる雄姿

今回のトレッキングのハイライト、バンダパンチ〔Bandarpunch〕峰(6316m)の朝日を浴びる雄姿

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今回、前立腺ガンからのひとまずの回復を背負いながら日本に滞在していて、たどり着いたある思いがあります。

それは、人が誰かと伴侶関係をつくってゆくとき、その人へのプレゼントとして何があるだろうと考えると、ことに次世代生産期を終えた「人生二周目」にあっては、それは、地味ではあってもなかなか至難な、健康を維持し続けること、あるいは、その人の“荷物”とならないようにつとめることという、しごく当たり前な思いでありました。

つまりは、「ガンにも認知症にもならない」二周目期を、どうにかしてでも送ってゆけないか、という希望でありました。

そしてそれは、巡りめぐって究極は、自分にとっても、なににも代えられぬギフトになってくれることでもあります。

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「ガンは自分で治せる」、これがいま、私の抱いている実感です。

今年3月18日、生検の結果から前立腺ガンを告知された時、いよいよ来る時がきたかと、その遭遇に重い覚悟を突き付けられていました。

それを思い出すと、私は今、実に爽快で幸福な気持ちです。そして、このあたかも不可能を可能にしたとも言えるようなことが、決して奇跡でも偶然でもなく、ただ、誰にでもなしえる平凡な真実であると、心底より実感しています。

むろん、その「完治」が診断されたわけではなく、それよりも、ガンとはそもそも、完治という完璧な落着のあり得ない類の病気でもあることです。その意味では、ガンの部位を切り取って完治とするのは幻です。

ともあれ、こうした回復の達成がどのような紆余曲折をへて実現できたのか、その足取りについては、別掲の「 」で述べてきました。そこでこの稿では、そうした体験から得たもう少し踏み込んだ見地を、その感慨もふくめて、述べてみたいと思います。 詳細記事

「人生学」が必要という考え方

『新学問のすすめ』のご案内

医学に臨床という分野があります。それは、医学という応用生物学の体系を、実際の病気や傷を負った患者に適用する実用分野のことです。言ってみれば病院《現場》での実務の分野です。

同様な臨床分野を科学全般について見るならば、それは「臨床」とは呼ばれず、「技術」と呼ばれます。医学の裏付けのない臨床がないように、科学の裏付けのない技術はありません。そして、そうした一体となった関係をもって、科学技術などとひとくくりに称されたりもします。そういう技術が私たちの生活《現場》向けに実用化されたものが、今日の市場をにぎわす様々な商品群です。

芸術についても、上の二領域ほど明瞭に区別されるものではないにせよ、音楽、美学、文学と呼ばれるものが教育カリキュラムに採用されているように、その学問的・理論的分野は存在し、その「臨床」分野といえば、コンサートとか美術館とか書店とかがあります。そして、印刷とかオーディオ技術を駆使してさまざまな商品に生まれ変わって、私たちの毎日の生活《現場》を彩ってくれています。

それぞれ以上のように見なせるのであるならば、私たちの人生というそれらすべてを含んだ《現場》にも、それを「臨床」と見る視点はありえるはずであり、さらに、それが「臨床」と見なせるのなら、そういう実用をもたらす元となる、たとえば《人生学》と呼んでもよいような学問体系があってもしかりなはずです。 詳細記事