ホーリスティック・エクササイズだったベトナム旅行

どんな旅でもない旅(その3)

はじめてのベトナム

今度の6月11日から23日までのベトナム旅行の感想として、〈体にとって健康、脳にとって知性とは何〉と言うと、なにやら落語の大喜利のやり取りのようです。つまり、先にこの旅行の特徴を「偶然ゲーム」と表現したのですが、そうした興味を違った風に言ってみると、こうした大喜利まがいの「なぞかけゲーム」の味わいとなります。

大喜利は、「何々とかけて」という問いがあって、「何々と解く」との返答あり、そして「その心は」と落ちがきます。そういう三ステップの「話のゲーム」です。

ではあらためて、大喜利風に言いますと、

「ベトナム旅行とかけて」

「体にとっての健康、脳にとって知性、と解く」

さて、「その心は」、、、、、

降り立った乗客でごった返す終着サイゴン駅ホーム

「旅行は、その両方にとっての運動だから」となります。

ただ、これだけだと、ちょっと飲み込みにくい。そこで、以下、「落ち」に説明を入れるようで興ざめな蛇足となってしまいますが、この「運動」について、少々「足」を加えさせてもらいます。

 

すでに書きましたように、この旅行では、バスだの列車だのと、あえて手間ひまかかるローカルな移動手段を取りました。

それは、一面、安いという理由もありますが、それ以上に、より、その目的地や人々のありのままの姿に接しやすいからです。物見遊山な訪問も、いくつか入れましたが、それでもなるべく、送迎付きのバックツアーを選ばず、一定の情報を手掛かりに、「行き当たりあたりばったり」のスタイルを重視しました。

そうすると、上記のように「手間ひまかかる」という、自分自身の動きや働きに、より負担がかかってきます。

そしてこの「動きや働き」というものが、身体的かつ頭脳的な〈運動〉ということなのです。

 

しかもこの二面の意味をもつ〈運動〉は、別掲記事で述べてように、「ホーリスティック・エクササイズ」という、人間の心身両面の相互に支え合い、発展させ合う、「1たす1は2」どころではない、相乗的働きを特色としています。それが生命というものです。

 

夏のベトナムは、太陽はまさに頭の真上にあり、自分の影は、真下の自分の足の上に落ちています。それだけに、その暑さの中での行動は、それこそ、一日に二度のシャツやパンツの交換が必要なほど、汗まみれのものとなります。

ですから、飲む水の量も半端ではなく、1.5リットルのボトルがみるみる空となります。それも、味付きでシュワシュワのいわゆる清涼飲料水などより、ただの水が本当においしい。

それでも、やはり夕食時には、習慣となっているビールが欠かせません。そうなのですが、もうこの節、私のビールの飲み方は、冷水2とビール1――ちなみに、必ず冷水にビールを注ぐこと――の、水割りビールが一番です。おつむが欲しがるビールとボディが欲しがる水との、平和的妥協の産物です。

そして、こうした発汗作用による体の解毒効果も、並のものではないはずです。

 

そうしていると、もう何十年も忘れていた「汗疹〔あせも〕」なるものを体験するなり、扇風機やうちわの暑さしのぎに頼るなり、今の自分と、そうした夏を過ごしていた子供の頃の自分との間を往復する体験をすることとなります。ある意味では、ちょっとしたタイムスリップです。

このように、上記の大喜利風の「その心」の「そのまた心」を述べれば、旅行とは、無数にある訪問可能な地から、普段では得にくい、自分の心身能力に合わせた、体と頭のダブルの運動=ホーリスティック・エクササイズのできる地を訪れること、となります。さもないと、つい巧みな情報に乗せられて、安くもない旅行商品を買わされる、コト消費者にされてしまいます。

「では、お後がよろしいようで」。

 

 

 

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