話の居酒屋

第一話 料理は身を助ける

今号より「話の居酒屋」と題した新連載を始めます。これは、今月20日が私の喜寿(77歳)の誕生日で、本来なら次号(22日発行)からの掲載が順当な節目かなとは考えていました。ですが、思い立ったが吉日で、月初めの区切りよさもあって、今号より、題目どおりの、いっぱいやりながらの談話気分で進めてゆこうと思います。それというのも、なんとも当サイトは、論文調の堅苦しい話がほどんどで、目を通すにしても、難儀させられるところも少なくなかったはずです。しかし、そんな面ばかりが本旨ではなく、それこそ「ホーリスティック」に、膝を交えて友と語り合う、そんな話も大事にしたいと思います。

筆者は、まもなく喜寿を迎える、暦上ではまぎれもないジジイです。

そんないい年にいたっても、やはり、異性は気になるもんです。

そこでこの初回での話題は、そんな私の近年での実感で、料理でいくらか気の利いたものが作れ、サーブできれば、それは年には関係なく、そうした気になることにでも、なかなか役に立ってくれているという話です。

というのは、その程度の料理でもそれが仲立ちとなって、もちろん「もてる」とまではゆかずとも、すくなくとも「嫌われる」よりたいそうましな、「好意をもたれる」程のためのたしなみとして、料理の腕の効用というものがあるからです。

ただ、その相手が私と同年配ほどの場合、一般に、料理とか台所仕事というのは女の役目との通念があって、男としても、その分別くらい、わきまえておくべき場合があったりはします。そこで、そうしたデリケート領域に立ち入ってゆくにあたっては、そのテリトリーを侵したり、そこまでにはならなくとも、目立ちたがり屋の無神経などと反発されぬよう、一定の自然さの醸し出しは必要かも知れません。

まずはそんなあたりに用心しながら、そして、もし相手がけっこう若い世代だったりすると、思いのほか事情が変わってきたりするものです。

むろん、料理を我が意とする人もいて別な気遣いが必要な場合もありますが、多くは、それを曲がりなりにもこなすことすら、自分のシゴトとは考えていない人が増えつつあります。そして料理なぞはやりたい人がやればいいことと、それを進んでやってくれる人がいるならば、たとえジイさんであっても「それでいいんじゃない」ということになったりもします。つまり、そうしたジイさんにしてみれば、その場に加わって、そんな若い世代のひとたちとも、なんとか接点をもち、話の穂くらいはつなぐこがが可能となれるわけです。

 

そこで、下心も含めて言うと、たとえ結構なジイさんであっても、その料理の腕というのは、そうしたちょっと隔った世代の女性たちとの間の、食という、同じ口をもってなされながら、言葉とは異なるチャンネルを通じたコミュニケーションの手となりうるわけです。まして、いくらかでも好意を稼ごうと期待するむきにあっては、料理の腕はそれに応じて、なかなか有効な助けとなりえるということです。

もちろん、お金を奮発して、気の利いたレストランにでもつれて行くとの手もあるでしょう。それも一法でしょうが、お金頼りではなくその人の手料理として、それなりに相手の味覚や好みに働きかけうるというのは、また格別の感触や効用をもたらしてくれるものです。

 

それに、料理の実技というものは、それにとどまるものではないでしょう。

リタイアして、家に長居することが日常ともなれば、それまでの家族関係、ことに夫婦関係の平穏バランスに際どい変化が生じます。ただここではそんな変化の詳細には触れませんが、そこでその人が自活できるかどうか、ことに、自分で自分に食わすことができるがどうかは、その先の何十年もの長い道程がひかえているだけに、日ごとに累積してゆく、深刻な違いの発端となるおそれがあります。

また、そうして、自分が自分に食べさせることができるスキルというのは、年齢を加えるとともに、健康上のいろいろな食事の制約や好みが避けられなくなってゆくおのれの事情にあって、これまた深刻な分岐をもたらします。

そうした必至の事態にあって、誰かにこまごまとそれを説明したり理解を求めるのはなかなか骨の折れることです。そこで、自分で自分に食わせられるスキルというのは、そうした骨折りもいらず、またその失敗でイライラするどころか健康上の逆効果をまねくことも避けられ、自分で自分の要望に応えられる食生活を送れる能力をもつということとなります。

まして、やがて夫婦間で互いにたがいを支え合う余力すら失われてゆくそのまた先にあっては、自分が他人の世話には、なるべく頼らなくしようとの普段からの姿勢は、夫婦間の愛情やまして平和な心の形成の上でも、現実として、切実な要素になってゆくことでしょう。

 

料理というものは、たしかに面倒なものです。ところが、それがだんだん自分がなんとかこなせるものとなってゆくと、その効用はそれこそ限りなく、それにそれは、実際に親しんでゆけばゆくほど、意外に楽しいものです。

その「おいしい」という人生のかけがえのない楽しみや価値を、自分自身で作り出せ、かつ、心を通わせる人たちにサーブできるようになれるかなれないか、これはものすごい分かれ目となるはずです。

 


まとめ読み

第二話 「うら、おもてなし」

第三話 上の口と下の口

第四話 「粒子」と「波雄」

第五話 秋の日本へ

第六話 きれい好き日本

第七話 道路と鉄道って、別々でいいの?

第八話 過去と今時の性事情

第九話 人にある男女の調和

第十話 新旧「君たちはどう生きるか」を体験して

第十一話 えっ、「発達障害」? 俺だって

第十二話 「年寄りの冷や水」しようぜ

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