『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて』の邦訳開始

今日のアメリカ社会への深読み視点を探って

訳読コメント(その1)

著者ブラッド・オルセン氏からの早速の快諾をいただき、今回より、別掲のように、「エソテリック・クシリーズ」第3巻『「東西融合〈涅槃〉思想」を越えて:牢獄惑星からの脱出』(原題 Beyond Esoteric : Escaping Prison Planet)の邦訳の連載を開始します。

すでに第1巻『「東西融合〈涅槃〉思想」の将来性』と第2巻『現代の「東西融合〈涅槃〉思想」』は邦訳済みで、本サイトに掲載されています。

そもそもこの「エソテリック」とは、人間の真実をそのもっとも奥義にまで掘り進んで探るものです。よってこのシリーズには、その奥行きの深さはもちろん、今日社会での主導をなす見解に、深奥な疑問をも突き付けるものです。したがって、主導派からは逆に「陰謀論」といった“八つ当たり”的な反応をも起こさせています。そうした脈絡では、いわゆる「対抗言説」と呼ばれるもののひとつと見なせるものです。

また、既刊の2冊にならい、この邦訳でも、この「エソテリック」を「東西融合〈涅槃〉思想」とあえてコンテンツを象徴的に意訳してあります。

 

私がことにこの第3巻に注目するのは、現在のアメリカ社会における、もっとも探求心のある見解のひとつがそこに展開されている――厳密には、これから「訳読」に入るという意味ではそれに“期待”する――からです。あたかも真っ二つに分断されたかの亀裂深いアメリカ社会にあって、その内に在ってそれを直視している知性がどうそれを受け止めているのか(もっと言えば、もう狂気沙汰と表現するしかない米国社会を、その国の国民の一人として、何を見出しているのか)。一般的な報道では決して触れられない、そうした興味深い見解がそこに読み取れるはずです。

 

この取り組みの冒頭において、ひとつの私的な見解を表しておきたいと思います。

それは、おそらくこの最終巻にも見られると思いますが、その〈アメリカ的表現〉です。というのは、その論調ににじむ、ある種の「神の視点的な断定観」と、それに関連する「愛」という概念についての特異な言及です。しかし、それでいながら、下のように、著者は、仏教用語も多用しています。むろんこれは私の見解ですが、著者のこうした東西文化を股に掛けた複眼視野に気を配りながら、この訳読作業を進めてゆきます。

その初回は、原文では Author’s Karma Statement(直訳では「著者の業(ごう)の表明」)と表現されている、「著者の使命感」です。

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