同じ道をたどる 裕仁 と 習近平

ダブル・フィクションとしての天皇 : 《「繰り返される歴史」編》

私は先に、数年を要してデービッド・バーガミニ著の『天皇の陰謀』を訳読し、7年前にそれの本サイトへの連載を完結しました(本号に関連記事)。そこでですが、最近の中国の国家主席の行いを見ていると、この先あるまとまった年月の審判をへた時、この『天皇の陰謀』に続くかのように、多分、『国家主席の陰謀』とでも題した、その中国版の類同書が著されるのではないかとの思いを、日増しに抱くようになっています。つまり、裕仁〔ヒロヒト〕と習近平〔シー・ジンピン〕は、ほぼ同じように過信された、誤った方向に国家・国民を導いている点では、同じ道を選んでいる、同等な使命を強固に自認している人物同士と考えられるからです。

 

以下は、時期は異なるとは言え、日本と中国による太平洋への進出の過程を物語る地図です。

 

日本の太平洋進出

『天皇の陰謀』第26章「真珠湾(1941)」より

 

              中国の太平洋進出

中国の海洋防衛線(米国防総省資料より)

日本経済新聞2019年10月10日電子版記事より

 

 

 

 


これまでに記述のように、『天皇の陰謀』は、昭和天皇裕仁が、日本人を含め、世界の大半でそう信じられている「軍部に蹂躙されたむしろ平和的ですらあった国家指導者」とする裕仁像が日米合作によるフィクションで、真実は、まれにみる英邁〔えいまい〕な独裁者で、アジア・太平洋戦争を指揮した張本人であったことを克明に描いた著作でありました。そして私は、その著作が、昭和天皇についてのフィクションを暴いただけでなく、米国が世界に向けて作り上げたフィクションをも暴いたものとして、「ダブル・フィクションとしての天皇」との視点でもって、連載する訳読へのコメントを掲載しました。また、それだからゆえに、その原著者バーガミニは、米国の欺瞞性を暴露した仕打ちとして、自国社会ではひどく冷遇される後年を強いられたとも述べたのでした。

むろん、天皇裕仁と国家主席習近平を同列に並べることには、諸方面からの異論が出されることでしょう。それに後者は、まだその野心を辣腕に追求中の現役の国家指導者です。

 

そこで歴史を振り返ると、西洋文明が地球上を、片や東向きに、片や西向きに広がり、東アジアの地において遂に東西が収れんするという、世界史における変遷として、そこが深い緊張を作り出さざるを得ない特異地域であるのも、偶然なことではないでしょう。

そこでは、その緊張が醸し出す反西洋の東洋的マインドが、否が応でもナショナリズム形成の巨大なエネルギー源ともなりました。それがかつては日本発として――「八紘一宇」という精神的普遍性を掲げて――発生し、現在ではそれが、中国発として――「一帯一路」という物質的普遍性を推進力に――進行しているわけです。

東洋が、西洋列強によって巧みに牛耳られた後、日本そして中国は、歴史のもたらした地政的、経済的発展の機会に乗じてそれぞれ特異に勢力を伸ばし、時期や掲げる国家理念の旗幟は異なれ、いずれも国家主導資本主義――追いつけ追い越せ型発展には最適――を動力に国家発展を達成させ、その独特なナショナリズムを世界モデル――少なくともアジアモデル――と唱道する試みを実践した、あるいは、しているわけです。

そうした目下の中心人物、習近平は、日本の歴史の教訓から学ぶというより、その「失態」を繰り返さない鉄則を強靭に旨としているかにうかがえます。それこそ、中華思想の本家本元として、東洋あるいは世界の中核である中国こそが、今やいよいよ、世界の表舞台におどり出る時が到来した、との使命認識であるのでしょう。

このように、東アジアは、西洋と東洋が遭遇し合う地球文明発達上の最前線です。

そこで地球の将来に向かっ、その東アジアは、そうした二者のいずれが勝者となるか、それとも、いかなる融合形態が見出されてゆくのかをめぐる、歴史的実験場であるかのようです。

いずれにせよ、私個人としては、中国によるその時勢を最大限に活用した突出が、世界の緊張を作り出すのみに終わらず、日本がかつてたどった道が再現されることのないよう、少なくともここに限っては、「歴史が繰り返されない」ことを望むものです。

それと同時に指摘されるのは、かつての日本は、ここオーストラリアからのいかにも白豪主義の色濃い視野で言えば、「Yellow Peril 〔黄禍〕」――黄色人種による災禍――であったのですが、今や、それと同列のセンチメントが、中国に対しても向けられ始めているのは確かです。

 

 

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