巣立つ園児に贈った言葉  

リタイア元幼稚園教員の手放せない原稿

子どもの情景(1)

 

送られてきたアルバム

 

お正月が過ぎたころ、私の家に、古いアルバムが届きました。

どの位古いかというと、ちょうど70年前のものでした。

みなさんのお父さんもお母さんも生まれていないころ、もしかしたら、みなさんのおじいちゃんやおばあちゃんも生まれていないころのアルバムです。

そのアルバムには、私の夫の父親が、学生だった頃の写真がたくさん貼ってありました。下駄をはいて、マントを着て映画館の前に立っている写真。学校の教室で、机の上に腰を掛けて友達としゃべっている写真。バスケットボールをしているところや、ボートを漕いでいるところなど、学生生活の様々な場面がありました。

写真には、一枚一枚、説明書きが添えてありました。お父さんの妹、つまり、私の夫の叔母にあたる人が81歳の今、昔のことを思い出して、つけてくれたのです。この70年の間には戦争もあったはずなのに、アルバムは、表紙こそ少し外れかけていましたが、本体は、それほど傷んではいませんでした。叔母の家族がどんなにこのアルバムを大事に守って過ごしてきたかが想像できます。実際、叔母の手紙によれば、夫の祖父が、空襲の度に、何度も防空壕へ、抱えて持ち込んだと書いてありました。叔母自身が子供だった訳ですから、説明をつけるということは、この写真を見て何度も家族で懐かしんだに違いありません。私は、その古いアルバムにというより、叔母が丁寧に書いて添えてくれた文字に圧倒されました。

これこそ人に伝えたいと思うこと、これこそ人に見せたいと思うことは人と人をつなげていく大切な気持ちです。人と人がつながるとき、温かい気持ちになることができます。そこには、一人で生きているのではないという安心感が生まれます。

幼稚園で、皆さんはたくさんの友達とつながりを作ってきましたね。一人でコマを回すより、友達と一緒に回すほうがずっと面白いし、楽しさがふくらみますね。何よりも、「楽しいね」って、言い合える友達がいることが最高ですね。

幼稚園でできた人とのつながりは、みなさんの宝物です。

その重さをしっかりと手に感じて、巣立って行ってください。

幼稚園はみなさんの根っこです。

【付記】 私の夫は、1945年4月28日生まれです。満州で生まれ、その2か月後に夫の父親は、病気で亡くなり、母親が乳児の夫を連れて、鹿児島に帰ってきました。夫は一人息子でしたから、いろいろとありましたが、母は、実家に戻って、一人で育てました。そのような中で、「アルバムを夫に見せたい」という思いがつながったことに、感謝しております。私は、長く幼稚園に勤めまして、これは、副園長からの卒園のことばとして、記念文集に書かせてもらったものです。子どもあてになっていますので、読みにくいところはお許しください。また、断捨離の今、捨てようとして、捨てきれなかった原稿です。

ここまで読んでいただき、感謝申し上げます。 

2020年8月17日  北谷正子

 

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